ガンダールヴ 進軍する自軍の後方に陣取るのは、目に映るどの馬よりも気品のある馬にまたがった厳つい男。新生アルビオン軍将軍。ホーキンス。 使い込まれた鎧に身を包み、己の相棒である杖を腰にさし、険しい表情で見つめる先には自らの仕事を行う目標がある。 トリステイン王国。 新生アルビオンは彼の国を討たねばならない。 正直、ホーキンスはなぜトリステインを討たねばならないのか未だに掴み損ねていた。なにしろ、トリステインは国とはいってもゲルマニアやガリアに比べれば明らかに小さな国であり、資源が豊富というわけでもない。 特殊な宗教を信仰しているわけでもなければ、アルビオンに攻撃を加えたことがあるわけでもない。 確かに王家のほうでの問題はあったのかもしれないが、本音を言ってしまえばそんなことの尻拭いに国を滅ぼせなど、愚かなことだと思うのだ。 しかもそれを行うのは我々軍であり、兵隊なのだ。アルビオンがトリステインに後れを取るなど万に一つもないだろうが、そんなことのために部下の命が散らされるのは気分のいいものじゃない。 将軍などという肩書がなければ、溜め息の一つもつけるものを……。 ホーキンスは自らの溜め息一つが士気にかかわる身分に、嫌気がさした。 「どうかしましたか」 副官の男がホーキンスの様子を怪訝に思ったのか話しかける。 ホーキンスはこの男を信頼していた。 軍に入って暫くしてから知り合った間柄で、最初は冷静沈着にすぎる性格が大嫌いだった。熱くなりやすくまたそれを受け入れているホーキンスにしてみれば、癇に障る相手だったのだ。 しかし、ふとしたきっかけでこの男も心の奥では燃えたぎる炎を飼っていると知った時は、それまでの印象など消し飛んでしまった。 無理やり酒に誘って互いに語り明かしたものだ。 それ以降、自分が指揮官で奴が副官というポジションが定着した。腹を割って話したからこそ生まれた強い信頼だった。 だからこそ、ホーキンスは彼を常に隣に置いているのだ。 「いや……損な役回りだ、と思っただけだ」 将軍としても。今回の仕事も。 二つの意味を持たせていったホーキンスの言葉に、副官は一言、そうですねと返した。 長年の付き合いのなせる業か、こうして言葉の裏の裏まで察してくれるのは非常にありがたい。 ホーキンスは角ばった顔を野性的な笑みで彩って、嬉しさに口元をゆがめた。 と、そんな折だ。 一頭の馬がかなりのスピードでこちらに向かってくるのが見えた。 笑みを消し、将軍という地位にふさわしい威厳を纏う。よく見れば前衛部隊の者ではないか。杖ではなく槍を持っているので間違えようがない。 馬はホーキンスらの近くまで寄ると、ひどく慌てた様子で馬から降りて傅いた。 「で、伝令でございます! トリステインより奇襲を受けました!」 「なに?」 その報告に眉をひそめ、ホーキンスは目を小高い丘のあたりに運ぶ。 どこにもメイジどころか騎兵の影も形もない。だが、確かに前方で戦いが起こっているようだ。炎やら氷やらが飛び交っている様子が見て取れた。 「続けよ」 「はっ! 先ほどの時点で前衛に54の怪我人、士官に3人の重傷者が出ており、現在でも被害は増え続けております! 騎兵隊だけでなく、メイジの騎士の間にも多数の被害が出ております!」 影も形もない軍相手にか? とはホーキンスも言えなかった。とてもそんな風に茶化せるような状況ではない。 「彼我戦力差は?」 ホーキンスに変わり、副官が伝令役に問いかけた。 前衛の者がこうして後方に伝えに来るほどだ。対処できないほどの戦力であろうことは予想できた。対策を講じるためにも知るべき情報であることは明白であるにもかかわらず。 伝令役の兵は、なぜか口ごもった。 「どうした。言え」 再度促され、兵はどことなく恐れを含んだ口調で報告した。 「わ、我が軍七万に対し、て、敵軍――」 ごくり、と兵の喉が動いた。 「ひ、一人です」 悪夢だ、と誰かが呟いた。 何なんだ、と誰かが洩らした。 しかし、そんな小さな雑音など纏めて飲み込む勢いで、一人の剣士はただ我武者羅に破壊をもたらす。 「おおおおおぉぉぉぉ―――ッ!!」 「そうだ相棒! 心を奮わせろ! なあおい、ガンダールヴよ! お前の力はこんなもんじゃねえだろうがよ!」 疾風の如き速さで切り込まれた前衛部隊は、馬上から槍で才人を仕留めようと周囲を取り囲む。しかし、目にも留らぬ速さで包囲網の一角を切り崩されると、すぐさま他の者も被害にあう。 馬の腹を峰で殴り、兵士が落ちたところを踏みつけて気絶させる。槍を繰り出されると、それを弾いて刀身でぶん殴った。暴れ始めた馬に気を取られた奴らを、片っぱしから殴って蹴って叩きつけて気絶させる。 それだけでもう、前衛部隊は大混乱だった。 しかし暫くすると、騎兵たちが待ち望んだメイジによる魔法攻撃が始まった。 前衛の兵たちは、これでようやく終わったとあからさまに息を吐いた。剣士程度、貴族であるメイジに敵うはずがないというわけである。 剣士であるからには、平民の出であるはずなのだ。魔法が使えないから、代わりの武器として剣を取るのだから。 多くのメイジが放った魔法は寸分の違いなく才人のもとへと向かっていく。炎と氷と雷と風。すべての魔法が才人を殺すために放たれる。 メイジたちもそこで安心した。これで終わりだ、と。それが愉快で口元に笑みさえ浮かぶ。 しかしそれも次の瞬間には真っ青な顔に変わる。 才人はデルフリンガーを正眼に構えて魔法に向き合った。 「喰らいつくせ、デルフ!」 「おうともよぉ!」 放たれた魔法はその悉くが才人の持つ剣に吸い込まれていったのだ。 目の前の光景が信じられずしばし呆然とするが、そこは軍人、すぐに我を取り戻して再度の魔法攻撃を開始する。が、その悉くをデルフリンガーは吸収していく。 何度も何度も攻撃を続けるメイジ。しかし、才人は瞬速でメイジたちに接近しながら時にはデルフリンガーで吸収し、時にはかわし、着実に距離を詰めていく。 それに馬鹿の一つ覚えのようにメイジたちはただひたすら魔法を叩き込む。そしてそれは吸収されて無効化する。その繰り返しだった。 メイジには魔法しかない。それしか攻撃手段がないのだ。接近戦にでもなったらまずやられる。剣など握ったことがない者がほとんどなのだ。魔法さえ使えれば、この世界では強者となれるのだから。 だから、才人の突進を阻むことが出来ない。そして近づかれたが最後、メイジ部隊の一つは瞬時に潰された。 「はあっ! はあっ! ……ッ! おおおお――ッ!!」 雄たけびを上げながら才人は愚直に進む。 退けば死ぬ。向かっても死ぬ。けれど、退かなければルイズが死ぬことはない。それだけが、才人の希望だった。 「相棒、左だ! しゃがめ!」 「ッ!」 横から飛び出してきた剣をすんででかわす。 「峰で顎をかちあげろ!」 「どりゃあッ!」 言われたとおりに才人は実行する。 ぼき、と音が聞こえてその兵士は一瞬の空中浮遊の後に地面に倒れこんだ。 「はあッ! はあッ!」 荒い息を吐きながら、しかし休むことなく才人は剣を振るい続ける。 向かうは後方。この軍の将がいるところへ――! 傷を作りながらも、才人はデルフリンガーだけを頼りに進行する。兵を殴りつけ、切り払い、しかし殺さないように気をつけながら、進み続ける。 「――ッぅぐ!」 射られた矢が背に刺さった。 「ぐ、あぁ!」 魔法の炎が肌を焼いた。 「ぐ、ぁぁぁああああああ――――ッ!!」 それでも、才人は歩みを止めない。剣を振るう。時には力任せに。時にはデルフリンガーの言に従って。ただ剣を振り続ける。 痛い。 痛みに涙が浮かんでくる。けれど、決して零さない。絶対に零さない。 俺が泣いていいのは、ルイズを守り切った時だけだ。あの可愛いご主人様の前でだけだ。それ以外で、何が何でも泣いてやるものか。 「ああああああああああぁぁぁぁぁ――――ッ!!」 兵の頭を殴り、昏倒させる。 (ルイズ!) メイジの杖を腕ごと折ってやる。 (ルイズ!) オーク鬼の右腕を切り取ってやる。 (ルイズ!) 氷の矢が服と一緒に肉をえぐる。 (ルイズ!) 炎が左腕にからみつき、炭化させる。 (ルイズ!) 右手に持ちかえ、振るい続ける。 (ルイズ!) 受けた斬撃に血が噴き出す。 (ルイズ!) それらすべての痛みに、歯を食いしばって耐える。 「こ、んな……もん……」 魔法に焼かれたのがなんだ! 肉を削がれたのがなんだ! 血が飛び散るのがなんだ! 腕が消し炭になったがどうした! 「お、れは……」 ルイズ。俺の、可愛いご主人様。 「オレは、ゼロの使い魔だあああああぁぁぁぁ――――ッ!!」 出航していくレドウタブール号の甲板の上で、ルイズはうっすらと瞼を開いた。 (サイト……?) 脳裏に、なぜか彼の自分を呼ぶ声が聞こえたような気がしたからだった。 風が頬をなでる。自らの髪がいたずらに頬をくすぐるのを感じながら、目に飛び込んでくる光に戸惑っていると、自分を覗き込んでいるらしい人影に気がついた。 「サイト!?」 がばっと前触れもなく勢いよく飛び起きると、目の前の人影がうわっと驚いて身を引いた。 「な、なんだい急に。ああ、でも目を覚ましたんだね。よかったよ」 ほっと息をついて笑っているのは、鮮やかな金髪の少年。彼女の想い人とは似ても似つかない容姿を持つ少年だった。 「ギーシュ……」 ぼうっとした表情で見つめてくるルイズにギーシュは当惑したが、寝ぼけているんだろうと当たりをつけて納得した。 「君はこの甲板に寝かされていたのさ。僕たちも出航する時に気がついてね。意識がなかったから、慌てたものさ」 そしたら寝てるんだもの、とギーシュは可笑しそうに笑った。 しかし、ルイズはまったく笑わない。 なんとなくバツが悪くなって、ギーシュは頭をかいた。 「アルビオン軍は? ……そうよ、足止めしなきゃ! 味方の撤退が――!」 自分の言葉に意識が覚醒したのか、切羽詰まった様子で声を荒げるルイズに、ギーシュは今度こそ困惑した。 「君は何を言ってるんだい? もう味方は撤退しているじゃないか」 「え……?」 見れば、確かにここは船の上で見渡す景色は空色一色。 味方の撤退が間に合ったのは明白だった。 「そんな……どうして……?」 「どうやら彼らは間一髪間に合わなかったみたいだよ。これで僕らは国に帰れる。結構なことじゃないか」 ああ、モンモランシー! と芝居がかった口調でギーシュは言うと胸に手を当て、片腕を突き出し、まるでそこにいるモンモランシーにダンスを申し込むかのような振舞いをしてみせる。 しかし、そんな寸劇を見てもルイズの心は晴れなかった。 (サイト……?) そう、いないのだ。彼が。どこにも。 それに気づいた瞬間、ルイズは跳ねるように心臓が脈打ったのを感じた。 「ギーシュ! サイトは!? サイトはどこにいるの!?」 鬼気迫る勢いでギーシュの胸倉をつかむと、ルイズは大声で問い詰めた。 これにはギーシュも面食らったが、なんとか言葉を返す。 「さ、さあ。ほ、他の船に乗ってるんじゃ――」 「なあ。剣士の話を知ってるか」 ギーシュの言葉にかぶせるように、近くの兵が話している声が聞こえた。 ルイズもギーシュも思わず耳を傾ける。 「剣士? 何の話だよ」 「いやな。剣一本を背に背負って馬に乗ってアルビオン軍のほうに向かって行った奴がいるっていうんだよ。しかも一人で」 「馬鹿らしい。冗談だろ?」 「だよなあ。一人で一体なにができるってんだか」 兵は笑った。さもおかしそうに。 それとは反対に、ルイズとギーシュの顔は真っ青になっていた。 剣一本で戦えてしまう人間を、二人はよく知っているのだ。 ギーシュの友人。ルイズの使い魔。“ガンダールヴ”平賀才人を。 知っているからこそ間違いないと思えてしまう。彼がどんな人間かなんて、誰よりもよく知っている。ギーシュの服を掴んでいた手から力が抜け、ルイズはへなへなと甲板に座り込んだ。 慌てて、ギーシュはルイズをはげますように肩を叩いた。 「おい、ルイズ! まだサイトだと決まったわけじゃないだろう! なあ、使い魔は常に主の傍にいるものだ。そうだろう?」 しかし、ルイズは力なくふるふると首を振った。 「わ、わたし……寝ていた時に、声を聞いたの。ルイズって呼ぶ声。……すごく、必死にわたしを呼ぶの。わたしの名前をよ……」 ルイズは座り込んで動けなくなっていた。ギーシュもそのルイズの言葉にさらに顔色を悪くする。 使い魔はその見ている光景を主の目に映すという。なら、声だって例外じゃないはずだ。才人は一風変わった使い魔ではあるが、使い魔であることに変わりはない。ルイズの言葉は、兵が言った話に真実味を持たせていた。 「はっ、もしホントにそんな剣士がいたとしたら、そいつは本物の馬鹿だな」 兵はなおも言って笑いあう。 その言葉に、ルイズではなくギーシュが切れた。 すかさず杖を今笑った兵に突き付ける。 「……おい、君はいま馬鹿と言ったのか」 「ひっ……!」 突然貴族に杖をつきつけられ、兵は顔からさっと血の気が引いた。メイジである貴族に、杖をつきつけられているのだ。平民出の兵にはこれ以上ない恐怖だった。 「馬鹿と言ったのか、と言っている。君は、僕の友人を、笑ったのか」 普段はお茶らけているギーシュにだって、譲れないものはある。 あの日の決闘以降、才人はギーシュにとって気のいい友人という位置づけになっていた。 ギーシュの得意魔法は錬金。土からワルキューレと呼ばれる人形を作りだし、戦わせることを最も得意な戦術としている。 だが、その戦闘スタイルゆえに臆病者と罵られることもままあった。自分は影に隠れてやり過ごしているだけだ、と。自分の力では何も出来ぬのだろう、と。 ワルキューレは確かにギーシュが魔法で作り出したものだが、決してギーシュが魔法を唱えて攻撃を行うわけではない。しかし、これこそが最も自分に合ったスタイルであったのだ。それを馬鹿にされた時から、ギーシュは捻くれてしまった。 そんなギーシュに変化をもたらしたのが才人だった。 彼は平民で、この世界ではなんの力もない存在でしかなかった。であるのに、そんな彼に自慢のワルキューレは残らずやられてしまったのだ。たとえガンダールヴの力であったとしても、為したのは才人であった。 平民にまでやられて、ギーシュは気がついた。自分はワルキューレを馬鹿にされ、意固地になっていたのだ。いつの間にやら、今の状態のワルキューレのままで勝たなければ見返せない、と妙な考えに執着していた。 なんてことはない。工夫すればよかったのだ。ワルキューレにこだわらず、もっと強い青銅を作って、文句など言わせなければいいのだ。 たとえ生身では歯が立たなくとも、剣を取れば戦える才人のように。 だから、ギーシュは才人のことを平民だからと言うのはやめた。そしてしばらく付き合って、なかなか気のいい奴じゃないかと感じたのだ。 それからはもう、友人だった。むしろ、ギーシュのこれまでの交友関係を見れば、初めての親友であったかもしれない。 その親友を、笑ったのだ。こいつらは。 そう考えると、怒りが噴き出す。笑ったのだ、こいつらは。勇敢なる我が親友を。 「僕の友を笑うことは許さない。……さっさと消えたまえ」 そう告げた途端、脱兎の如く兵たちは逃げだした。その様をつまらなさげに見送ると、その視線の先から歩いてくる影が見えた。 今の話を聞いていたらしく、顔色が悪い。 「君は……シエスタだったかい?」 しかしシエスタはギーシュの言葉には答えずに、真っ直ぐにルイズに向かって歩いて行く。 ルイズは近づくシエスタにも気付かずに、うつむいて座り込んでいる。 「……ミス・ヴァリエール」 呼びかけるが、ルイズは答えない。 「今の話は、本当ですか」 ルイズは、答えない。 「サイトさんが一人で向かったというのは、本当ですか」 びく、とルイズの肩が震えた。 「そう、なんですね……」 「………………」 答えないルイズがあまりに小さく儚い存在に思えて、ギーシュはたまらずシエスタに声をかける。 「シエスタ、それ以上は……」 「なんで、ですか……」 ギーシュは思わず声を詰まらせる。シエスタは泣いていた。 「わ、わたし……サイトさんに眠り薬を渡したんです。あ、あなたがもし無茶を要求してきたら、それを飲ませて逃げてくださいって……」 ルイズは顔をあげた。初めて聞いた話だった。 まさか、とあることに思い当たる。 「サイトさん、その眠り薬をあなたに使った。で、でもそれは逃げるためじゃなくて……あ、あなたを助ける、ために……」 思い出す。 教会で挙げた結婚式。二人しかいない、永遠の誓いの場。 差し出されるワイングラス。 そうだ。あのワインに入れたのだ。サイトが。わたしを逃がすために。 バカな、とギーシュが声を震わせて呟いたのが聞こえたが、そんなこと気にもならないほどにルイズの頭の中は一つのことでいっぱいだった。 (サイト……) 誰彼かまわずデレデレと鼻の下をのばす、わたしの使い魔。 (サイト……) どうしても素直になれず、いつもいつも辛く当たってしまった、わたしの使い魔。 (サイトぉ……) それでも、どんなことからもわたしを守ってくれた、わたしの使い魔。だれよりも愛しい、大好きな少年。 ぼろぼろと涙が零れた。 わたし、なにも返してない。 すごく痛い目にもあって、ずっとわたしのこと守ってくれたのに、わたし何も返してない。 好きだ、とも言ってない。 「サイトぉ……ッ!」 嗚咽をこぼして涙を流し続けるルイズに、寄り添うようにシエスタも座り込んで泣き始める。 蒼天の空の下進む船の上で、少女たちは人目もはばからず泣いた。ただ一人、誰よりも何よりも愛しい少年のことを想って。 ただ、泣き続けた。 |