NEON GENESIS EVANGELION

シト/ヒト



第弐話 見知らぬ、天井
















「知らない天井だ……」


 目を覚ました瞬間、視界に映った天井を見て、ぽつりとシンジは呟いた。

 そして、首だけを動かして周囲を見回してみる。

 そこは、どこもかしこも見覚えのない、真っ白な病室だった。








■■





 漆黒の暗闇の中、ぼんやりと光を放つテーブルを囲んで座っている六人の男たち。

 いずれも年を経た貫禄を感じさせ、それはこの暗闇とあいまって非常に威圧的な雰囲気となっていた。


「使徒再来か……あまりに唐突だな」


「15年前と同じだよ。災いは何の前触れもなく訪れるものだ」


「幸いとも言える。我々の先行投資が無駄にならなかった点においてはな」


「左様。いまや周知の事実となってしまった使徒の処置、情報操作、、ネルフの運用は全て適切かつ迅速に処理してもらわんと困るよ」


「その件に対しては既に対処済みです。ご安心を」


 老人たちの話に一切乗じず、最後に嫌味のように言われたことに返したのは、ネルフ総司令碇ゲンドウ。

 ネルフの上位組織、人類補完委員会。その面々との会合だった。





■■











「発表はシナリオB-22か。またも事実は闇の中ね」


 ミサトはせわしなくテレビのチャンネルを変えながら、ため息混じりにそうこぼした。

 テレビの中では、キャスターが話し続けているものの、ついぞ使徒やエヴァを連想させる単語が出ることはなかった。


「広報部は喜んでいたわよ、やっと仕事が出来るって」


 後ろを振り返ると、ミサトの親友でもあるリツコの姿。

 リツコは頭の中では先のエヴァの戦闘について考えているのだが、そんな様子はおくびも出さずにミサトに応対する。

 リツコにとって、こういった分割思考はお手の物だった。

 ミサトは、そんなリツコの言葉に今度ははっきりとため息を一つ。


「……ウチも気楽なもんね」


「どうかしらね。本当は皆、怖いんじゃなくて」


「当たり前でしょ」


 ミサトが答えたところで、タイミングよく備え付けられた電話がけたたましく鳴り響く。

 リツコは慣れた動作で受話器を上げ、二言三言電話口で話すと、受話器を戻して再びミサトのほうへと向き直った。


「シンジ君、気がついたそうよ」


「よかった。容態はどうなの?」


 ミサトの問いに、リツコは今聞いたばかりの内容を繰り返して聞かせる。


「外傷はなし。少々、記憶に混乱がみられる」


 最後の一言に、ミサトはぎょっと目を見開いた。


「まさか、精神汚染じゃ……」


「いえ、その心配はないそうよ」


 その言葉に思わず入ってしまった力を抜いて、ミサトはそう、と答えた。


「そうよね……いっきなりアレだったもんねぇ」


「ええ。無理もないわ。脳神経にかなりの負担がかかったもの」


「ココロ、じゃなくて?」


「どうかしらね」


 肩を竦めてみせる親友に、ミサトは小さく笑った。

 そして、目の前で行われている兵装ビルの弾薬補充作業に目を向ける。

 じっと見つめて、ミサトは思わず呟いていた。


「エヴァと兵装ビル……完全に動けば、使徒にも勝てる」


「楽観的、と言うべきかしら? それとも――」


 ミサトはにっと笑って振り返った。


「信頼してるのよ! 希望的観測なんかじゃない。倒れるほどに無理をさせたんだから、今度はこっちが頑張らないとね!」


「そうね……」


 それは、あの戦いを見ていた者の誰もがシンジに対して抱いた思いだった。

 たとえシンジの特殊性を知っていても、リツコはシンジがこれまで戦うなどということとは無縁の少年であったことを知っている。

 だからこそ初めての命のやり取りで倒れるまで無理をした少年に、労わりの心でもって接したいと思うのだった。













■■





「しかし碇君。ネルフとエヴァ、もう少し上手く使えんかね?」

「零号機に引き続き、君らが初陣で壊した初号機と兵装ビルの修理代、国が一つ傾くよ」

「聞けばあの玩具は君の息子に与えたそうじゃないか」

「人、時間、そして金。いったい親子揃っていくら使ったら気が済むのかね?」

「それに君の仕事はこれだけではあるまい」


「左様」


 そこで初めて口を開いたのは、日本でいう上座に位置する場所に腰を落ち着けたバイザーで目を覆った人物。老人でありながらも、その気配は壮年のそれとなんら変わりない。

 人類補完委員会議長――キール・ローレンツ。

 ゲンドウの眉がピクリと動いた。


「人類補完計画。この計画こそがこの絶望的状況下における唯一の希望なのだ」


 キールの言に追随して、他の四人は一斉に頷く。


「そう、それこそが君の急務だよ」


「……承知しております」


 ゲンドウが答えたところで、さらに何事か言い募ろうと老人たちが口を開きかけるが、それを手を挙げてキールが戒める。


「いずれにせよ、使徒再来によるスケジュールの遅延は認められん。予算については一考しよう」


 キールのその言葉を最後に、四人の老人たちの姿が消える。ホログラムによる会議の中、残ったのはキールとゲンドウだけだった。


「碇……初号機のシンクロ率、報告どおりなのか?」


「はい、議長。初号機は99.89%の理論限界値を示しました」


 本当はその理論限界値さえも上回ったのだが、その事実は隠蔽してある。

 ゲンドウにとってキールは味方ではない。それは、あちらにとっても同じことだろうが。


「E計画担当博士はなんと?」

「はい。恐らくはリリスのダイレクトコピーである初号機の特異性。それと、サードが母親を強く求めていたせいだろう、と」

「有り得ない話ではないか……。初号機はいまだブラックボックスも多い」

「はい」

「……では、使徒との戦い、気を抜くなよ。もう後戻りは出来んぞ」


 そう最後に言い残して、キールも去った。

 誰もいなくなった議場で、ゲンドウは小さく呟く。


「……わかっている。既に時は始まった」


 ゲンドウもその言葉を最後にその場所を去る。

 そのときに脳裏によぎるのは、昨日の戦闘。初号機を操る息子の姿だった。















■■■■■








昨夜。第3新東京市、ネルフ本部直上。



 すさまじい勢いで打ち上げられた初号機の中で、シンジは目の前に映る映像に釘付けになっていた。

 ビルよりも大きな身体に、白い仮面のような顔。そして逆三角形状の大きな体躯に細い手足。まさに異形の姿がそこにはあった。


(使徒……。人類に仇なす存在。……人類の敵、か)


 先ほどリツコによって行われた簡単な説明を思い出す。

 使徒はサードインパクトを起こす存在。もう一度セカンドインパクトのような災害が起これば、人類は滅びるしかない。だから、使徒を倒すのだ、と。

 シンジはぐっとインダクションレバーを握る手に力を込めた。


(僕は、エヴァに乗れる。乗れると思うんだ。一度だけでも、昔乗ったこともあるんだ。大丈夫……)


 何かを誤魔化すように自分に言い聞かせていると、発令所からの通信が入ってくる。


『シンジ君、まずは歩くことを考えて』


 その言葉に、シンジは頷いて集中していく。


(歩く……歩く……)


 すると、エヴァは片足を踏み出し、しっかりと地面を踏みしめた。

 もう片方の足も、先に踏み出した足を追うように動き、滑らかにエヴァは歩き出した。


『歩いた!!』


 発令所からの通信回線で、わっと喜びに湧く様子が伝わってくる。

 しかし、シンジにはそんな声は聞こえていなかった。

 集中していく。歩き出したエヴァを気にも留めず、シンジは何かに導かれるように集中力を高めていった。


(なんだ? これは……母さん? 違う……だれ? 君は、だれ?)


 温かい雰囲気を持った何か、それの近くにとても大きな何かを感じる。ともすればその存在感に飲み込まれてしまいそうなほど、大きく感じる存在。

 けれども、シンジはその存在に安心感にも似た穏やかなものを感じ取っていた。


「――キミは……ダレ?」


『シンジ君?』


 シンジが突然口にした言葉に、それを聞いていた発令所の面々は首をかしげる。

 しかし、ゲンドウと冬月、そしてリツコの三人はその発言に目を見開いた。

 彼ら三人はシンジが母であるユイのことを見つけたのだろう、と思ってのことだったが、実際にはそうではなかった。

 それを、いま彼らが知ることはなかったが。


『目標、初号機に接近していきます!』


 ミサトは部下でもある日向のその報告に、厳しい顔で頷いた。


『シンジ君、聞こえる!? 目標が近づいているわ、距離をとって!』


 ミサトが大きな声で呼びかけるが、シンジはぴくりとも動かない。

 ただ、小声でキミはダレ、と繰り返すだけだった。


 その様子に、ミサトは普段はあまり目を通さない資料の中で、唯一細部まで読んでいたエヴァについての報告書の気になっていた項目を思い出した。


 精神汚染――。


 エヴァは、パイロットの心を侵食する可能性を持っている、とその資料の中にはあったのだ。


『シンジ君!!』


 ミサトの声は必死だった。

 突然呼び出され、いきなりこれに乗って戦えと言われて、笑って乗ると承諾した少年。

 心配からつい立場を忘れて、無理だと言った自分にどこか嬉しそうな笑顔を向けた少年。

 その少年が、文字通り死ぬかもしれないのだ。

 だから、ミサトは必死だった。

 使徒は殺したい。復讐のために、パイロットを使うことに言い訳はしない。けれど、死なせたくない。

 その気持ちは、本当だった。


「君は――」


 再びシンジが呟いた瞬間、接近した使徒は初号機の頭を掴みあげた。

 ゆっくりと持ち上げると、その鍵爪のような手の中心部に光が集まっていく。

 キイイイイイィィィン……!

 甲高い音とともに、その光は大きくなっていく。そして、カッと光ったかと思うと、初号機の身体が跳ねるように大きく揺れた。


『頭蓋前部に亀裂発生! ッ! ぱ、パイロットの右目上の額から出血を確認しました!』


『なんですって!?』


 マヤからもたらされた報告に、顔を青くしてリツコが答える。

 モニターに駆け寄ると、実際にシンジのうつろな目のわずか上から血が流れ出ていた。出血部が額だからか血の量が多い。一見では大きな怪我ではないように思えるが、安心は出来なかった。


『神経回路のフィードバック側のレギュレーターのレベルを一桁下げられる!?』


『は、はい! やってみます!』


 マヤはリツコからの指示にすぐさま従って作業を始める。

 メインモニターでは、初号機が再び使徒の光の槍に貫かれていた。そして、ついに耐え切れなくなったのか、槍が初号機の頭部を貫通して、その勢いのままに背後のビルに叩きつけられた。

 そして、使徒が突き刺さった槍を引き抜くと、栓を失った初号機の頭からは大量の血が流れ出した。


『頭部破損! 損害不明!』


『活動維持に問題発生!』


 発令所全体に、現状危険を知らせる真っ赤な背景にEMERGENCYの文字が現れ、警告音が響き渡る。


『状況は!?』

『シンクログラフ反転、パルスが逆流しています!』

『回路遮断! せき止めて!』

『ダメです! 信号拒絶、受信しません!』


 矢継ぎ早に出される指示に、各スタッフが迅速に対応するも、初号機の絶対危機は変わることなく続いている。

 ミサトは舌打ちをして日向に声を掛ける。


『シンジ君は!?』

『モニター反応なし、生死不明!』

『初号機、完全に沈黙!』


 そこまで聞いた段階で、ミサトは悔しげに唇を噛んだ。

 使徒は倒せなかった。だが、シンジまでを殺させたりはしない。その思いが、ミサトに作戦中止の決断を促す。


『ここまでね……。作戦中止! パイロット保護をさいゆう――』


「キミは……ナニ?」


 再び呟かれた一言は、騒がしい発令所において気付かれることはほとんどなかった。

 だが、それが聞こえた直後、初号機の異変が始まった。


『!? し、初号機シンクロ率上昇! 110……160……止まりません!』


『どういうこと!?』


 マヤからの報告に発令所上部の面々が驚愕もあらわにマヤのほうを向く。


『原因不明! シンクロ率さらに上昇! 200……270……300を超えました!』


 まずい、とミサトは直感的に判断した。シンクロ率云々についてはミサトは門外漢だ。どんな原理でどんな作用があるかなど知る由もない。

 資料を読んだといっても、そういった専門外の項目は理解できなかった。

 しかし、今の事態が何かしらまずいことだとは判断できた。

 咄嗟にミサトは指示を出す。


『プラグを強制射出して!』

『だ、ダメです! 射出受け付けません! 完全に制御不能!』

『そんな!?』


 ミサトの絶望ともいえる叫びだが、それを無視して状況は悪化していく。


『シンクロ率350……380……400%を突破! あ、400%で固定されました!』


 シンクロ率の謎の上昇はようやく終わりを迎えたが、状況は少しも良くなっていない。

 初号機は中破とともに沈黙、制御不能に陥ったが、使徒はいまだ健在。そして、パイロットは生死不明である。

 ぎり、と歯をかみ締める音が聞こえる。

 それはミサトからであり、日向や青葉からも似たような無念の音が聞こえてくる。

 まだよく事情を説明していない子供を乗せ、戦わせ、しかも生きているのか死んでいるのかもわからない状況に追い込んだ。

 そして、自分たちはその現状に何も出来ない。

 これほど自分の無力を呪ったことはなかった。

 対して使徒は悠然とその場に留まっている。まだ初号機を警戒しているのか、じっとその場で初号機を見つめていた。

 発令所の中を、死への恐怖と少年への申し訳ない思いが渦巻いていた。





 その様子を上段から見下ろしながら、ゲンドウと冬月も動揺していた。

 シンクロ率400%――。

 今は初号機が制御下にないことでプラグ内のモニターが出来ないが、このシンクロ率が現れるということは、シンジが母ユイと同じく初号機に取り込まれたことを意味するからだった。


「碇……これはシナリオにない事態だぞ」

「問題ない。シンジなら大丈夫だ。何かあっても、ユイが守ってくれるだろう」

「だが、オリジナルであるシンジ君がエヴァに取り込まれるなど……」

「問題ない……」


 ゲンドウは若干力ない口調でそう口にする。手を顔の前で組むいつものポースをとりながら、しかしその手にはぐっと力が込められ、指だけでなく手のひら同士が合わさった状態になっている。

 それは、どこか祈りの姿に似ていた。


(シンジ……ユイ……)


 サングラスの下で、ゲンドウの目が不安げに揺れた。







□□□□□







 ――そこは不思議な場所だった。

 辺り一面が真っ白で、上とか下とかの感覚もないくせに、なぜか広いとは感じられず窮屈な印象を受けるという不可思議な場所。

 手を伸ばせば何かにぶつかるような気がするくせに、実際に伸ばすともっと先までこの場所が続いているような気になる所。

 そこは、十年前とまったく変わっていない場所だった。


『ここは……そうだ……。十年前と同じ……』


 十年前。

 母が取り込まれ、赤木ナオコによるサルベージが失敗に終わった後、ゲンドウの指示によって行われたサルベージ計画。

 その際に息子を媒介とすることでユイを現実世界に引き戻そうという意図のもと、シンジを実験に参加させることとなったのだ。

 ゲンドウはあの時、狂気に取り付かれ始めていたのかもしれない。シンジに謝罪をしつつも、決してサルベージをやめようとはしなかった。

 そしてサルベージが決行され、シンジはユイからのメッセージを持って帰還。肝心のユイは帰らず、代わりにプラグの中にいたのが――、


(青い髪の、女の子……)


 自分と同い年だと思われる女の子だった。

 サルベージが終わった後、一度だけ遊び、名前を知ることのなかった子。

 というより、まだ名前がなかったのかもしれない。シンジが名乗っても、彼女は困惑というか、首を傾げるだけだったから。

 懐かしい思い出。はじめてエヴァに乗った記憶。

 だから、ここはやはりエヴァの中なのだろうとシンジは認識した。


『エヴァ……初号機の中、か。久しぶりだな』


 ここがエヴァの中であると知っても、シンジは思ったよりも落ち着いている自分に驚いていた。

 普通こんなことになれば取り乱しそうな気がするが、シンジにはまったくそんな気配すら湧きそうになかった。

 なぜ落ち着いているのか。特に理由はなかった。ただ、しいて言うならば――、


『何となく、大丈夫な気がする……』


 そんな感じがするからだった。

 けれど、なぜ自分は此処にいるのだろう。

 ふとそんな疑問が湧き上がった。

 さっきまで自分は使徒の前にいたはずで、これから戦うことになるはずだったのだ。

 それがなぜ、ここにいるのか。


『そうだ……。誰かがいたんだ』


 初号機に乗っていて感じたのは、誰かが自分を呼んでいるという感覚だった。

 それは母ではなかった。なぜなら十年前、母は同じ此処で眠りにつくと宣言していたし、何よりも母の雰囲気ではなかった。

 それよりももっと大きな何か。そんな何かに呼び寄せられていたのだ。


『君は、ダレ?』


 それに、答えるものがあった。


『―――、――』


 表現しづらい音がシンジの耳に届いた。それはあえて言うなら、声と鳴き声の中間のような音の響きで、とても人間に解することの出来るものでないのは確かだった。

 それでも、シンジには理解できた。

 それは、この場所が肉体を伴わない精神的なところであるからか、それともシンジの特質ゆえかはわからなかったが。


『君が、初号機? エヴァンゲリオン初号機……?』

『――――?』


 返ってきたのは困惑だった。それにはシンジもちょっと驚いた。


『え? ああ、君のことだよ。僕らは君のことをそう呼んでるんだ。……そうか、名前がないんだね』

『――、―――?』

『僕の名前? 僕はシンジ、碇シンジだよ』

『―――』


 また、聞き取れない音。しかし、シンジと発音したように思えた。


『そう、僕はシンジ。……ねぇ、名前がないのって不便だから、名前を付けてもいい?』

『――?』


 また、困惑。


『え? うーん……名前っていうのはね、その人だけを指すその人だけのものだよ。それを呼ぶことで、その人のことを認識できるっていうのかな……』


『―――』


『大事なものだよ。その人だけのものなんだ。他の誰にも奪われない、一つだけのもの。他の誰にもない、たった一つのものを自分が持っているのって……すごく、幸せなことだと思う』


『―――、……――』


『あ、付けてもいいんだ。……じゃあ、うん。えーっと、君はリリスから生まれたようなものだよね。だったら、君の名前はね――……』


 直後返ってきたのは、歓喜だった。







□□□□□







 ウオオオオオオオオォォォォォォ―――ッ!


 バキン、と口から顎を繋いでいた部位を壊し、口を開いて大声で咆哮する声が夜に響く。

 それはこの場にいる誰にもわからないことであったが、こらえようのない喜びの雄叫びだった。


「初号機、再起動! 自ら顎部ジョイントを引きちぎりました!」


「そんな……まさか、暴走!?」


 リツコが思い当たる可能性を口に出し、モニターの初号機の様子を窺う。そこには、天よ貫けとばかりに顔を上向け吼える初号機の姿が映されていた。


「いえ、暴走ありません! シ、シンクロ率が急速に下降していきます!」


「どうなってるの!?」


 さっきから次々と起こる自分の想像を超えた事態に、リツコは苛立ちを感じながらも原因を探ろうとマヤの手元を覗き見る。


「シンクロ率、320……240……160……100%で安定! 暴走ありません。完全にパイロットの制御下です!」


「まさか!?」


 リツコはもはや驚愕から抜けられなくなっていた。シンクロ率100%……これは理論限界値さえも超える数値である。


「ちょっとリツコ! まさかって何よ、大丈夫なの!?」


 技術分野の二人だけが盛り上がっている事態に、ミサトはシンクロ率の数値だけを聞き大丈夫そうだと判断していたが、リツコのまさかという発言は聞き逃せない。

 危険があるようなら今のうちに退却すべきだし、行けるならこのまま行きたい。

 作戦部として、機体の現状は重要な判断要素なのだ。

 確認するべく詰め寄るミサトに、リツコは興奮して言い返す。


「まさかっていうのは信じられないって意味よ! シンクロ率100%なんて……エヴァと一体化? ……いえ、エヴァとシンジ君が同じものとして――」


 何やら考え込み始めた親友に、ミサトは大声で喚く。


「だぁかぁら〜! このままいけるのかって聞いてるでしょうが〜ッ!!」


「は、はい。だ、大丈夫です!」


 キレ気味のミサトが恐ろしいのか、マヤがひどく怯えた表情でミサトの問いに答える。

 そしてようやく答えが聞けたことに溜飲を下げたのか、ミサトはそう、とマヤの答えに返して、すぐに指示を出す。


「マヤちゃん、シンジ君に繋いで! 通信回線、回復しているんでしょう?」


「は、はい! 通信回線接続、パイロットとの連絡問題ありません。どうぞ!」


 頷いて、シンジに呼びかける。


「シンジ君、聞こえる!?」


『……ミサトさん、ですか? はい、聞こえます』


 数分ぶりに聞く声に、ミサトは自分が驚くほどに安心したのを感じた。

 ほっと息をつき、すぐに表情を引き締める。


「シンジ君、身体に異常は? 問題ないようなら作戦を続行します」


「葛城さん! それは――」


 ミサトのあんまりといえばあんまりな言葉に、日向は思わず振り返ってミサトを責めるかのような声を出す。

 そんな日向を、ミサトは気丈な中にやるせなさを浮かべた目で見つめ返す。


「……わかってるわ日向君、でも今は使徒殲滅が最優先なの。……シンジ君、大丈夫?」


 日向はミサトの内心の葛藤を思い、ぐっと口をつぐむしかなかった。


『……問題ないです、ミサトさん。では、いってきます』


「え? シンジ君、どういう――」


『……協力してくれるかな?』


 シンジはミサトの言葉には答えず、誰もいるはずのないエントリープラグの中で誰かに話しかけるように声をかける。


 グルルルルル……


 返ってきたのは、初号機の唸り声。


『ありがとう』


 発令所の面々には意味不明な言葉を発した後、シンジは穏やかだった表情を一変させて目前の敵を見据えた。


「目標、初号機に向かっていきます!」


 半ば呆然としていたミサトがはっとしてモニターを見ると、そこには突進するように初号機に向かって前進する使徒の姿。

 両肩のプロテクターのような白い鎧は、あの巨大さであればかなりの質量兵器になるだろう。

 思わず危ない、と皆が思った瞬間。


 初号機が動いた。


 一瞬で紫の身体がビルの三倍は高い位置まで飛び上がり、使徒の後ろに着地。と同時に蹴りを放ち、後ろを向いていた状態であった使徒の右腕ごとその巨体を吹っ飛ばしたのである。

 派手な破壊音を引き連れて、使徒が地面を滑っていく。

 その様子を見ている発令所の面々は、呆然としていた。

 先ほどまでの苦戦が嘘のような初号機の姿に、思考が追いつかなかったのだ。あまりにも鮮やかな手際。そして、信じられないような運動能力だった。


「……っマヤ! 初号機の様子は?」


 いちはやく自失状態から回復したリツコが、即座にマヤに指示を送る。

 マヤもすぐさま我に返ってそれに答える。


「は、はい! 初号機シンクロ率105%に上昇! 暴走ありません!」


 最後の一言は流れるようなその動作に、パイロットの仕業ではないのではという疑問を感じていたから付け加えたものであった。

 そしてその疑問は発令所の誰もが抱いていたものであったので、マヤの報告を受けた皆は愕然とするほかなかった。


「そんな……じゃあ、あれはシンジ君がやったというの?」


 ミサトは大幅な戦力アップという現実よりも、先ほどまで話していたあの優しげな少年があそこまで明確に戦いというものをこなせることに驚いていた。

 何か訓練をしていたわけでもない、普通の子のはずだ。それが、エヴァに乗った途端、人が変わったかのように戦いに優れた人になるなど……。


「エヴァに乗るために生まれてきた子供……」


 思わず小声で呟いたそれは、誰にも聞かれることはなかった。











「勝ったな……」

「ああ……」


 心配をかけるな、と内心で胸をなでおろしながら、ゲンドウは表向き冷静にして冬月の呟きに答えたのだった。












 初号機はぐっと力をためるように腰を低く構える。

 そして使徒が起き上がると、勢いをつけてショルダータックルを食らわせる。が、目の前に赤い壁が現れ、タックルは成功せず壁に激突しただけだった。


「A.T.フィールド!」


「やはり、使徒も持っていたのね。A.T.フィールドがある限り、使徒には近づけない!」


 ミサトとリツコの声を聞いて、シンジは慌てず声を掛ける。必ず応えてくれると信じられる存在へ。


『頼むよ、リル……』


 初号機の目に光が灯り、両手で目の前の壁に指をかける。そして、力を入れて赤い壁を両側に開くようにこじ開けていった。


「初号機もA.T.フィールドを展開! 位相空間を中和していきます!」


「いいえ、侵食しているのよ。けど、これは彼がやっていることなの……?」


 壁が開いた瞬間、間髪いれずにシンジは使徒の頭を殴り飛ばす。


『こっのお―――ッ!』


 殴ったまま下に叩きつけるようにして使徒を地面に押し付ける。

 そうして転倒させると、立った状態から全体重をかけて右拳を使徒の中心――赤い球体の部分に振り下ろす。

 鈍い音がして、球体に亀裂が入った。

 もう一発入れようとしたところで、使徒の両目が光って初号機は真正面からそのビームのような攻撃を受ける。


「シンジ君!」


 直撃に誰もが息を呑んだか、初号機は後退してたたらを踏むものの、倒れることはなかった。

 それにほっとしたのも束の間、使徒が起き上がる勢いを利用して飛び掛ってくる。


「危ない!」


 思わずミサトは叫ぶが、初号機は襲い掛かる使徒を見据えると、ぎゅっと拳を握りこんで右腕にためを作った。


『くらえぇぇぇ―――ッ!!』


ウオオオオオオオォォォォォォ――――ッ!!


 頭の天辺から突き抜けるような咆哮を轟かせ、初号機がその握りこんだ右拳をカウンターの要領で飛び掛ってくる使徒に突き出す。

 それは寸分違わず使徒の中心を貫き、赤い球体は音を立てて砕ける。

 勝った。

 誰もがそう思った瞬間、使徒は突き出された初号機の右腕に液体のようになって巻きついた。


「まさか!」


「自爆する気!?」


 リツコとミサトの懸念どおり、使徒は砕けたコアを中心にして爆発を起こした。

 カッ、と白い光が放たれ、一瞬の後に轟音を伴って衝撃が伝わる。ジオフロントの天井部分がビリビリと揺れて、先ほどからの衝撃で崩れかけていたビルがジオフロントに落下した。

 発令所のモニターも真っ白に染まってしまい、強い光のせいで光学系のセンサーはすべてやられてしまった。


「初号機……シンジ君は!?」


「待ってください! ……映像、回復します!」


 光の晴れた中から現れたのは、無残に崩れたビル群と夜闇に溶けず煌々と燃え盛る炎。そして、それらを背景に悠然と射出口付近まで歩く初号機の姿。

 炎に照らされた機体は、まるで血で染め上げたかのように全身が真っ赤に輝いていた。


「あれが、エヴァの……本当の姿……」


 鬼神のごとき戦闘と、威圧感溢れるこの初号機の姿に、誰もが戦慄を覚えて鳥肌のたった腕をさすった。



 ――これが、第一次直上会戦。


 人類初のエヴァンゲリオン出撃。人類初のA.T.フィールド展開。人類初の異種生命体との交戦。

 後の歴史に必ず残るであろう、人類の生き残りを懸けた使徒戦争の始まりだった。







■■■■■








 シンジは病室を出て、すぐ傍の窓に近づく。片手で窓ガラスを撫でながら、その向こうのジオフロントの景色を目に収めた。


「ジオフロント……。母さん……」


 意識せず、思わずといった感じで口から漏れた言葉。しかし、無意識でのことであったので、シンジは自分がそう呟いたことに気がつかなかった。


 ……しばしそうして外の風景を眺めていると、ガラガラと音を立てて何かが近づいてくる。

 ふと、そちらに気を向けると、運ばれてきているのはどうやらベッド――ストレッチャーのようだった。白衣を着たいかにも医者といった男性とナースの数人が脇を固めてこちらへと向かってきている。

 誰か怪我でもしたのかなと思い、シンジは目の前に近づいてきたストレッチャーに乗せられている人に目を向けた。


 ぎょっと目を見張る。


 そこに寝ているのは少女だった。青い髪を持っていることと、透き通るほどに白い肌以外は特に変わったところはみられない、少女だった。

 しかし、シンジにとってそれは看過できない特徴だった。

 なぜなら、その少女の容姿はかつて自分が会ったあの少女にとても似ているから。

 思わず固まってしまった間に、医師たちはシンジなど気にすることもなく廊下の奥に消えていこうとする。

 はっとして、シンジは搾り出すように声帯を振るわせた。


「まっ――!」


 しかし無情にも言い切る前に彼らは一つの病室の中へと入っていってしまった。

 思わず突き出していた右手を、所在無さげにして何度か宙を掴む仕草を繰り返すと、ゆっくりとシンジはその手を下ろした。


「……きみは、だれ?」


 呟きはあまりにも小さく、広い廊下にもまったく響くことはなかった。
















 そのすぐ後、シンジは迎えに来たと言ったリツコに連れられ、ゲンドウの執務室に来ていた。

 あまりにも広いくせに何もなく、真っ黒の天井と床に描かれているのは旧約聖書における『生命の樹』であるセフィロトの樹。

 その向こう側に目を向ければ、部屋の広さには小さすぎる執務机に座って顔の前で手を組んでいるゲンドウと、その脇に立つ冬月がいた。


 とりあえず、ここは自分が言わなければならないだろうことをシンジは思い切って口にした。


「……この部屋の趣味わるいよ、父さん」

「……問題ない」


 これが、落ち着いた中で交わした十年ぶりの親子の会話だった。

 リツコがシンジの半歩後ろで肩を震わせているのに気がついたのは、幸いというべきか冬月だけだった。


「ふう……改めて、十年ぶりだね、父さん」

「ああ。……すまなかったな、十年もの間」

「いいよ。たまにだけど電話はくれたし。それに、漠然と思い出したこともあるしね」


 母が実験を行ったときと、その後の記憶。

 長い間もやがかかったように霞んでいたその部分が、この街に来てから少しずつ鮮明さを取り戻していたのだ。

 今ではその当時のほとんどを思い出すことが出来た。


「そうか……。シンジ、別れ際に私が言ったことを覚えているか?」


「うん。覚えてるよ。確か、戦う運命についてと僕がヒトにもシトにも近いって言ってたよね」


 そのシンジの言葉に冬月とリツコは驚きの表情でゲンドウに目をやった。

 そこまで話していたのか、という驚愕が浮かぶ彼らを一瞥した後、ゲンドウはゆっくりと話を切り出す。


「……今日、ここにお前を呼んだのはその説明をするためだ。本来なら私が病室に出向くべきだったが……」


「わかってる。これだけ大きな組織だと父さんも忙しいし……何より、ここのセキュリティのほうが病院よりも信用できるから、でしょ?」


 つまり、それだけ機密にも関わるような重大な話をするということである。

 そしてシンジの推測が当たっている証拠に、ゲンドウはその言葉に頷いて口を開く。


「すまないな。起きたばかりのお前に無理をさせる気はないが……」

「僕は大丈夫だよ。何で倒れたのかは、大体わかってるし」

「そうか……」


 そこでゲンドウは一度言葉を切り、わずかに目を伏せた。とはいっても、サングラスに隠れてシンジからはわからなかったが。

 そして、目を開くとゲンドウの表情はそれまでよりもさらに強張った真剣なものになっていた。

 冬月とリツコもその表情に居住まいを正して直立する。

 なにか得体の知れない緊張感のようなものが部屋中に漂い始めて、シンジも思わずつばを飲んだ。

 これから話す話は自分が大きく関わっているだけに、そのプレッシャーもひとしおだった。

 そして、手で隠れたゲンドウの口から言葉が紡がれる。


「……では、話そう。お前がどんな存在なのか。それを踏まえて、我々が今後どうしていくのかをな……」


















―――To Be Continued