NEON GENESIS EVANGELION

シト/ヒト




第壱話 使徒、襲来























「15年ぶりだね……」


「ああ、間違いない。使徒だ」




 特務機関NERV発令所。

 総司令・碇ゲンドウと副司令・冬月コウゾウは小声で感慨深くそう呟いた。


「ついに来たのだ、我々の試練の時が……。そして、大きな戦いの時が……」


「そうだな……」


 そうして、二人はじっとメインモニターに映される使徒の姿を見つめた。

 その彼らの前では、オペレーターたちが忙しくそれぞれの仕事を全うしている。そんな彼らよりも上段で、一目見て軍服とわかるそれを着込んだ軍人が数人居座っている。

 その姿はまさに居座っているという表現が正しかった。場違いでありながら、その態度はひどく傲岸で、口元には笑みさえ浮かんでいる。

 笑いながら上で命令を下すその姿に、いま作業する職員は皆内心で盛大に毒づいていた。

 そして、強面の軍人が一人大声で命令を叫ぶ。


「NN作戦を開始する! NN爆雷を投下しろ!」


 自信に満ちた表情でそう告げる男に、オペレーターは驚愕の表情で思わず振り返った。


「そんな! あそこは市街地です! NNを使用するのは……」


「君に発言権はない! さっさとやりたまえ!」


「ッ……り、了解!」


 長髪を揺らし、反論した青葉二尉は唇をかみ締めて仕事に戻った。

 他の皆も同じ気持ちなのか、見渡せばどの顔にも怒りが浮かんでいた。


「NN作戦開始! NN爆雷投下……3、2……直撃しました!」


 一瞬の後、画面が真っ白に染められる。

 それはNNが引き起こした人類の兵器史上最大規模の大爆発が原因であった。

 それを見て、軍人はさらに気を良くしたのか、大声で笑い声を上げた。


「ふははは! これこそが我々のNN爆雷の威力だよ! 碇君、君の新兵器の出番はないようだね!」


 最後には嫌味まで付け加えて、彼らはゲンドウに嘲りの目を向けた。

 それを見ていた職員は、腸が煮えくり返る思いだった。


 確かにゲンドウは無口で、威圧的で、顔も怖く、近づきがたい人間ではある。

 しかし、食堂などで見かけたときには食事を共にするときもあるし、ゲンドウがそういった時には気を遣って、普段より急いで食事をすませることなどは職員の間では有名である。

 そうした強面ながらも、どことなく見え隠れする優しさが職員の間では好評だった。

 信奉しているほどではないが、それでも好意的に思っている自分たちの組織の長を馬鹿にされれば怒りも感じるというものだろう。

 横目で上段をにらみつけながらも、きっちりとNN使用後の確認を取っていた日向二尉は、確認された事実に目を見開いた。


「これは……爆心地にエネルギー反応!」


「なにっ!?」


「映像、回復します!」


 切り替わった画面に、誰もが声を失った。

 NNの直撃を受けたはずの目標は、わずかながらダメージを受けているように見えるが、どう見ても致命傷ではなかったからだ。ましてや、死んでいるとは到底思えなかった。


「町を一つ犠牲にしたんだぞ……!」


「化け物め!」


 憤懣やるかたない、といった様子でモニターを睨む軍人たちを尻目に、ゲンドウらは冷静に使徒を観察している。


「予想通り、自己修復中か」

「そうでなければ単独兵器として役に立たんよ」

「大したものだな。機能増幅まで……」

「おまけに知恵もついたようだ」

「この分では再度侵攻は時間の問題だな」


 冬月がそう締めくくると同時に、軍人らの脇に置いてあった電話がけたたましく鳴り響く。

 露骨に顔をしかめてそれを取ると、二三の言葉を交わして、渋面のまま無言で受話器を戻した。


「……碇君、本部からの通達だよ。これより作戦の指揮権は君に移った。お手並み拝見させてもらおう」


「碇君、我々の所有兵器が目標に対し効果がないことは素直に認めよう。……だが! 君なら勝てるのかね?」


 最後まで嫌味ったらしく告げる軍人に向き直り、ゲンドウはカチャリ、と眼鏡のずれを直した。


「ご心配なく。そのためのネルフです」


「期待しているよ……」


 不満げにそれだけを告げると、彼らは本部発令所より退場していった。

 それを見届けて、冬月はゲンドウに声をかけた。


「国連軍もお手上げか……。どうするつもりだ?」


「初号機を起動させる」


「初号機をか? だがパイロットは――」


 冬月の言葉に、ゲンドウはにやりと笑みを浮かべた。


「問題ない。もうじき、シンジが来る」























 NN作戦が決行される十数分前――。

 シンジは第3新東京市にて、待ちぼうけを食らっていた。


「遅い。いつになったら来るんだ……」


 座り込んで、カバンから送られてきた手紙を取り出す。

 少し皺がついた封筒には、『碇シンジ様』と宛てられており、差出人には『碇ゲンドウ』とあった。

 その封筒から一枚だけの手紙を取り出すと、もう一度読み返してみる。

 とはいっても、数秒もしないうちに読めてしまうのだが。



 『始まりの時が来た。来い。 碇ゲンドウ』



 これだけである。

 これには思わずシンジも呆れたものだ。

 三度ほど読み返した後、同封された写真を一枚取り出す。

 そこには、一般的標準よりは上であろう顔の女性が前かがみになって胸を強調するような姿勢で写っていた。

 写真には『葛城ミサト』という名前と迎えにいくという旨が書かれていた。


「葛城さんね……。何かあったのかな?」


 人っ子一人いない周辺を見て、そう思う。


 先ほどから非常事態宣言など、物騒極まりない言葉が飛び交っていることからその推測は的外れでもないような気がした。

 それらをまとめて胸ポケットにしまいこむ。


「ん?」


 ふと、視線というか気配を感じて顔を上げる。

 そこには夏の空気に揺れるようにして立つ一人の少女の姿があった。


「あの娘……?」


 と、その時。突然空気を伝って大きな音が伝わってきた。


「うっ……!」


 思わず耳を押さえ、シンジが音源と思われるほうへと目を向けると、ちょうど山の裏側から、後退していく国連軍のVTOLと、それと向き合う形の巨大な生物がいた。

 そしてはっとして先ほどの少女のほうを振り向くと、そこにはもう何もなかった。

 目の錯覚だったのか、と疑問には思うものの、今はそれよりも山間の巨大な生物のほうが気になり、視線を戻した。


「あれは……」


 ザザ、と脳にノイズが走ったようになにかが浮かんでくる。

 それは忘れている何かを思い出すような、パズルにピースを当てはめていくような、そんな感覚だった。


「使徒……」


 見上げた格好のままそう呟き、シンジははっとした。


「そうだ……、十年前の父さんの言葉……。戦いの時が始まる、これのことか。ということは僕はこれから……」


 考えに沈んだところで、再び戦闘機の音が響く。思考を中断して見やると、そこには戦闘機が撃墜され、どうやらこっちに向かって落ちてきているらしい光景があった。


「って、それどころじゃないだろぉ――ッ!」


 急いで踵を返して走り出すシンジだったが、それで向かってくる戦闘機を振り切れるわけもない。

 内心ちょっと覚悟を決めたとき、ドリフトの音を引き連れて、一台のスポーツカーがちょうど戦闘機の落下地点とシンジを隔てるように停車した。


「お待たせ、シンジ君! 早く乗って!」


「はあ……助かりましたよ。葛城さん……ですよね?」


「そうよ! だから早く乗れっての!」


「あ、はい!」


 急かされ、シンジは小走りに駆け寄って助手席に乗り込んだ。

 と同時に初速からトップで車は走り出した。


「うわわわ! か、葛城さん! これスピード違反じゃないんですか!?」


「うっさいわね! ちんたら走ってて死んでもいいの!?」


 ああ!?、と気合の入った目で見つめられて、シンジは本能的に身を引いた。


「よ、よくないです」


「なら、しっかりつかまってなさい!」


 そして再び高速のドライブが始まる。

 シンジは言われたとおりにシートを握りこんで座り、身体が横に流されないように必死で慣性の法則に抗っていた。


(ま、まさか公道でジェットコースターに乗れるなんて……)


 心の中で冗談を言うが、さすがに口に出す勇気はなかった。隣の人が怖いし、なによりも舌を噛みそうだったから。

 そして曲がり角を曲がったときにちらりと見えた使徒を見ると、そこには戦闘機が離れていく姿があった。

 それを見て、これは伝えたほうがいいと何となく判断したシンジは舌のことなんて忘れてミサトに声を掛けていた。


「葛城さん! 戦闘機が使徒から離れていってます!」


 その報告を聞いて、ミサトの顔色も変わる。


「まさか、NNを使うつもり!? シンジ君、伏せて!」


 言われた通りに伏せて、しばらくもしないうちに人生で未だかつて味わったことのない大きな衝撃が襲ってきた。

 周辺一帯は真っ白に染め上げられ、轟音と共に爆風が二人の乗る車を直撃し、車は何メートルも飛ばされてひっくり返った。

 それから少し経って状況も落ち着くと、ミサトは覆いかぶさる形になっていたシンジから退き、逆さになったドアを開けて外に出た。


「いてて……大丈夫、シンジ君?」


「ええ、まあ……。口の中がじゃりじゃりしますけど」


「まあそれぐらいはね……。それより、手伝ってくれる?」


 ひっくり返った車を親指で示すミサトに、シンジは「あ、はい」と返して自分も外に出た。

 そして二人がかりで車を元に戻し、バッテリーをかっぱらって(緊急時による強制徴収とミサトは言った)、二人は再び目的地へと車を走らせた。


「お父さんからIDカード受け取ってない?」


「ああ、はい。これですね」


 胸ポケットに入っていたカードを取り出して掲げて見せると、ミサトは頷いて答えた。

 ちなみにシンジ、これを最初に見たときにクレジットカードと勘違いして実際に使ってみようとした。

 途中で違ったら恥ずかしい、と思って取りやめたが。

 いまシンジはやめといてよかった、という思いでいっぱいだった。

 ほっと息をついたシンジを怪訝に見つつも、ミサトはカードと一緒に掴まれている手紙に目がいった。


「お父さんからの手紙? 読んでもいい?」


「あ、はい」


 シンジの了解を得て、ミサトは片手で手紙を開いて目を通す。

 あの無愛想を体現したかのような髭面がいったい息子にあてる手紙とはどんなものなのか、といった興味からのものであったが、開いた瞬間ぎょっと目を丸くした。

 『始まりの時が来た。来い。 碇ゲンドウ』

 先ほどシンジも読んだ内容が手紙のど真ん中に居座っているからであった。

 なんちゅう手紙だ…。

 ミサトはそっと手紙をたたんでシンジに返した。


「あ、そうそう。これ読んでおいて」


 はい、とミサトがシンジに手渡したのは「ようこそネルフへ」と書かれたパンフレットだった。


「ネルフ……?」


「そ、国連直属の特務機関。私もそこの人、国際公務員ってやつね。あなたのお父さんと同じよ」


 ふーん、とミサトの言葉を聞き流しつつぱらぱらとパンフレットをめくる。

 そしてシンジはぎょっと目を見開いた。


「これ……ジオフロント……。ということは、ネルフって……ゲヒルンとかいう……」


 シンジがそう呟いた時、ちょうど機械の壁に覆われていた風景がぱっと切り替わる。

 目の前に広がったのは天井から生えるビル群と、下に見える広大な緑の空間だった。

 そして、シンジはその光景に見覚えがあった。


「やっぱり……ジオフロント……。葛城さん」


「なに? それと私のことはミサトでいいわよ」


 いきなりファーストネームで呼べといわれたシンジは一瞬詰まるが、すぐに持ち直した。


「わかりました、ミサトさん。……あの、ネルフって何年か前はゲヒルンって名前じゃなかったですか?」


 そのシンジの言葉がよほど意外だったのか、ミサトは目を見開いた後、いくぶん厳しい目でシンジのことを見つめた。


「どうして知っているの?」


 明らかに疑われていることにちょっと居心地の悪い思いをしながら、シンジは昔を思い返すように外の風景を見つめて答えていく。


「……昔、僕は此処に来たことがあるんです。二歳、三歳かな。自分でも良く覚えてるなって思いますけど。あの時は、此処に住んでいたって言うのかな……泊まっていたこともありましたから」


 どこか遠い目で語るシンジを見つめていたミサトは、シンジがネルフ総司令の息子であったことを思い出す。

 なら、幼い頃にここにきていてもおかしくはないか、と自己完結してミサトはそれ以上シンジに何かを聞くことはなかった。


 そんなミサトのことは気にもせず、シンジは内心であのときのことを思い出していた。

 細かいところは思い出せないが、そもそも三歳頃のことをわりとはっきりと思い出せることにシンジは驚いていた。

 しかし、それも束の間のこと。あの時ゲンドウに言われた言葉を思い出して、シンジはそれもアリなのかと思い直した。

 十年前、別れ際のゲンドウの言葉。



 『お前はいずれ戦う時が来るだろう。始まりの時が来れば、お前は否が応にもその運命に出会うだろう。……だが、その運命を受け入れるか否かはお前しだいだ。
 ……ただ、覚えておけ。お前はヒトでもあるが、シトにも近いものだということを』



(お前を近くで支えてやれない私を許してくれ、か……)


 続く言葉は内心で呟いて、シンジは近づいてきた四角錐の建物を見やる。

 そこには、微かに確認できるイチジクの葉とNERVの文字があった。

 シトにも近い、とゲンドウは言った。

 さっきまで地上で大暴れしていた怪物が使徒。そして、あの時母が消えて、自らも一度乗ったあの巨大なものも使徒だった。

 自分があれらに近い、というのはいったいどういうことなのか。とりあえずあとで問い詰める必要があるな、とシンジは考えた。

 ゲンドウについての思索はそこで切り上げ、思い出しつつある過去の記憶をゆっくりと手繰り寄せていく。


(赤い玉……エヴァ……母さん……)


 あの時、何があったのか、少しずつ記憶が甦っていく。

 その中でふと、シンジは青い髪を思い出した。


(そういえば、あの時の娘……どうしてるんだろ。元気でいるのかな……)


 そこで車が止まり、ミサトが車から降りる。

 シンジも無意識にそれに続き、ミサトはシンジに背を向けて通路の先を向く。


「さあ、行くわよ」


 歩き出すミサトに、シンジも無言でついていく。

 結局名前もお互い知らないまま一度だけ遊んだ思い出の少女のことを思い出しながら、シンジはネルフ内部へと向かう通路をゆっくりと歩いていった。















 ――そしてものの見事に迷っていた。


「あれ〜、おかしいわね〜?」


「おかしいのはミサトさんの方向感覚ですよ……」


「……結構言うわね、シンジ君」


「恐縮です」


 かわいくないわね、と思いながらもミサトは今が急を要する事態であることを念頭に置いて、ひたすら目的地を目指して歩き続ける。

 対してシンジはため息を一つ。

 かれこれ十数分あっちへこっちへとうろうろしているのだ。ため息の一つも出るというものである。

 つい口をついた皮肉だって、お茶目な反抗でしかなかった。

 とりあえず、いつになったら着くんだろう。

 シンジは本当にこの人についてきてよかったのか不安になった。


「そう、そうよ! システムはこういう時に利用するものよね!」


 閃いた、とばかりに笑顔を輝かせて携帯を取り出すミサトに、シンジはほっと一息ついた。

 この無限ループから抜け出る光明がようやく見えたからだった。

 そして待つこと数分、エレベーターの扉が開き、金髪に白衣、その下は水着という非常に個性的な風体をした女性が現れた。

 まともな人はいないのか……。

 シンジは今も此処の所長であるのかは知らないが、父ゲンドウに言ってやることが一つ増えた、と内心の“言ってやりたいことリスト”に書き加えていた。


「遅かったわね、葛城一尉」


「ご、ごめ〜ん。まだ慣れてなくってね〜」


 誤魔化すように笑うミサトにあからさまなため息で答えたあと、白衣の女性はシンジのほうへと目を向けた。


「彼ね?」


「そ。マルドゥック機関の報告による、サードチルドレン」


(サードチルドレン……?)


 そのミサトの答えに一つ頷いて答え、彼女はシンジの前に一歩踏み出した。


「あなたがシンジ君ね。司令から話は聞いているわ」


「司令……?」


 シンジの呟きに女性は首をかしげた。


「ここネルフの総司令は碇ゲンドウ。あなたのお父さんよ。聞いていないの?」


「電話ぐらいならしますけど、自分のこと全然言ってくれませんから……」


 それを聞いて、女性はどことなく納得した表情になった。

 確かに、あの司令が自分のことをぺらぺら話す姿は想像できなかったからだった。

 気を取り直して、シンジに右手を差し出す。


「はじめまして、シンジ君。技術一課E計画担当博士――赤木リツコです。リツコでいいわ。よろしく」


「はじめまして、リツコさん。碇シンジです。……あの、E計画というと、ひょっとして母の……?」


 その言葉に、リツコは驚いたようだった。


「あら、覚えているのね。ちゃんと話したいところだけど、今は時間が無いの。とりあえず一緒に来てくれるかしら」


「はあ、わかりました」


 それからはリツコとミサトの二人が先を歩き、シンジはそれについていく形で進み始めた。

 エレベーターに乗り、移動しながらの間、リツコとミサトはシンジがいることなど忘れたように互いに話し合っている。


「初号機はどうなの?」

「B型装備のまま、現在冷却中」

「ホントに動くのぉ? まだ一度も動いたことないんでしょ?」

「起動確率は0.000000001%。09システムとはよく言ったものね」

「それって動かないってこと?」

「あら、ゼロじゃないわよ。それに――」

「それに?」

「……いえ、なんでもないわ」


(いま、リツコさんこっちを見たような?)


 この時、シンジは知らないことではあるが、リツコはシンジがエヴァを起動できることを確信していた。

 それは彼の母、碇ユイが現在どこにいるのかを知っているためでもあるし、シンジ自身のことを知っているためでもあった。


(確実に、起動できるわ。彼はただのチルドレンじゃないもの……)

















「冬月、後を頼む……」


 いくつかの指示を出し終わり、ゲンドウは急ぐように冬月に一言かけて発令所を後にしようとする。


「ああ。わかっている」


 冬月も一言だけ返して、専用のエレベーターで下へ向かうゲンドウの姿を見送った。


(10年ぶりの再会か……。意地を張らず、会いに行けばよかったものを……)


 どこか微笑ましいものを見るように冬月は笑って、再び騒がしい発令所の様子に目を落とした。

















 赤い水の上を小型艇で渡り、シンジは二人の先導の下、目的地と思われるドアの前に立つ。

 リツコはシンジを一瞥し、口を開いた。


「ここよ」


 同時に扉が開かれ、堂々と入っていくリツコとミサトについてシンジも周りを見渡しながら入っていく。

 そして、その部屋の中で鎮座する大きな存在に目を奪われた。


「これは……」


 赤い水から飛び出した大きな顔。紫の基本塗装に一本の角というそのデザインは、鋭い相貌とあいまって、まるで東洋の鬼を連想させた。

 シンジはその姿に、ふと違和感を感じるがすぐに気がつく。かつてこれを見て、乗った頃。そのときはこんな外装ではなかったのだ。だから感じる違和感だった。

 間違いない、これは……。

 それは多分に感覚的なものだったが、シンジは確信していた。これは、間違いなく十年前に母を取り込み、たった一度だけだが自分も乗ったもの。


「エヴァ初号機……」


 そのシンジの呟きに答えたのはリツコでもミサトでもなかった。


「そうだ!」


 突然室内に響いた大きな声に、リツコもミサトも一斉にその声の主へと振り返る。

 初号機の背面。その頭上。そこに特務機関ネルフ総司令碇ゲンドウが立っていた。


「久しぶりだな、シンジ」


「父さん……」


 シンジが思わず呟いた自分を呼ぶ声に、ふっとゲンドウは笑みを見せた。

 そのゲンドウの柔らかい表情に、その場にいた職員は一様にぎょっと目を見開いて驚愕を表した。

 なにしろ、冷徹、冷酷、無口、威圧的、という印象がその大部分を占める男である。何気に優しい一面もあるのかもしれない、と思われてはいるものの、面の怖さはやっぱり怖いのである。

 そのゲンドウが息子に笑いかけたのである。ある意味当たり前のことだが、普段の彼の姿を見ているものにしてみれば、それは驚くべき事態だった。

 現にミサトもぽかんと口を開いて固まっている。リツコは……平然としていた。


「シンジ、すまなかったな、十年もの間……」


 ゲンドウが謝った。職員の驚き、再び。


「いいよ、大丈夫。十年前に言っていたこと……その時が来たんでしょ?」


 そう言うと、ゲンドウは少し驚いたようだった。


「覚えているのか……」


「うん。ここに来てから少しずつね。……父さん、僕はこれから何をすればいいの?」


 その言葉に、ゲンドウは無言で己の下のものに目を落とした。シンジもそれにつられて、目を向ける。紫の鬼――エヴァ初号機に。


「……人類の最後の希望。汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン、その初号機。使徒を倒すためには、エヴァの力が必要なのだ。……シンジ、いま一度お前にこれに乗ってほしい」


 その言葉に反応したのはシンジではなくミサトだった。


「待ってください、司令! あのレイでさえシンクロするのに七ヶ月もかかったんですよ? 今来たこの子には――」


「ミサトさん」


 無理だ、と続けようとしたミサトの言葉はシンジによって遮られた。

 思わずシンジを見やると、そこには少しだけ嬉しそうな笑顔を浮かべる少年の姿があった。


「ありがとうございます、心配してくれて。でも、大丈夫です」


 なんで、と言いかけたミサトだが、再び彼はゲンドウと向き合い、ミサトは声を掛けるタイミングを逸してしまった。

 それを気にせず、シンジはゲンドウに問いかける。


「……父さん」


「なんだ」


「これが、運命なんだね?」


「……そうだ。嫌ならば乗るな。だが、乗るならば全力で使徒を倒せ。……どうする、シンジ」


 受け入れるか否かは、お前しだい。


 かつてそう言った言葉通りに、ゲンドウは最終決定権をシンジに委ねる。

 じっとシンジの回答を待つゲンドウと、俯き黙したままのシンジ。

 この場にいる誰もが息を呑んで二人のやり取りを見守っていた。

 ともすれば誰かが唾液を飲み下す音さえ響きそうな沈黙。一分、二分はたっただろうか。シンジは顔を上げてゲンドウを見据えた。


「……乗るよ、僕は。もう一度これに。これが運命だというなら、受け入れてみようと思う」


 その答えに安堵とやる気を漲らせて作業に戻っていく整備員たちを尻目に、ゲンドウはその答えにわずかに心配げな様子で眉を寄せた。

 しかし、今は緊急事態であるという意識が勝ったのか、何も言わず必要なことだけを告げた。


「……そうか。なら、赤木博士に説明を受けろ」


 ゲンドウはちらりとリツコに目をやり、その視線を受けてリツコはひとつ頷いた。


「よく言ってくれたわ、シンジ君。さあ、こっちに。説明をするわ」


「はい」


 リツコに促されて初号機のもとに向かうシンジを確認して、職員たちがあわただしく動き始める。

 ミサトも最後にシンジを一瞥してから、走って発令所に向かっていた。

 しかし、そんな中でゲンドウだけはその場から動かなかった。


「シンジ!」


 あわただしくなったケイジの中では、そのゲンドウの声はひどく聞き取りづらいものだった。

 それでも、シンジには届いたのかシンジはゲンドウを振り返った。


「……気をつけて行け」


 それを最後に返答を待たずゲンドウはその場を後にする。

 それを見届けて、シンジはわずかに微笑んだ。


「ありがとう、父さん……」


 そして、初号機そばのリツコへと駆けていった。























「エントリープラグ挿入」

「プラグ固定完了」

「第一次接触、開始」

「LCL注水」


 コクピット下からせり上がって来るオレンジ色の液体。

 しかし、シンジはそれを一瞥すると、集中するように軽く目を閉じた。その様子からはLCLに動揺した感じは少しも感じられなかった。


「驚かないのね、シンジ君」


「当然よ。ちゃんと説明したもの」


 ミサトの疑問にリツコは淡白な口調で返す。


「けど、聞いただけで理解できるもの?」


 それでも納得がいかないのか、ミサトは渋い顔でモニターに映るシンジを見つめた。そこには、既に頭までLCLに浸かったシンジの落ち着いた顔があった。


「……あなた、司令の言葉を聴いていた?」


「え?」


 リツコの言葉に、ミサトはモニターから目を離して思わず振り返った。


「彼、一度だけ乗ったことがあるのよ。昔に……」


 どういうことなのか問いを投げかける前に、起動シークエンスが始まった。


「主電源接続」

「全回路動力伝達」

「第2次コンタクト開始」

「思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス」

「A10神経接続異常なし」

「初期コンタクト、すべて問題なし」

「双方向回線、開きます」


 その段になって、順調に進んでいたシークエンスが途切れる。

 次に来る確認事項はシンクロ率、ハーモニクスのふたつ。それらは一目である程度そのエヴァの稼働率を把握できる重要なものだ。

 ここで途切れるということは異常でもあったのか。かすかな不安が周囲を覆った。


「マヤ、どうしたの。ちゃんと報告しなさい」


 リツコはマヤの近くに寄り、わずかな叱責も含んで厳しめの声でマヤに注意をした。

 その言葉にはっとして、マヤは手元に表示されたデータを読み上げるために、一度口の中の空気を飲み下した。


「は、はい。……シンクロ率99.89%、シンクロ誤差0.3%以内。ハーモニクスも全て正常位置です!」


 おおっ、と歓声にも近いどよめきが発令所内を駆け巡る。










 対して高い位置で座り込むゲンドウとその脇に立つ冬月は、シナリオ通りとばかりににやりと笑うのだった。


「さすがはシンジ君だな」

「ああ……」

「息子が活躍するのは嬉しいだろう、碇」

「ふっ……問題ない」


 一層深く頬に皺を刻み、笑うゲンドウ。









「レイでも七ヶ月かかったのに……。――いけるわ」


 獰猛な力強さを感じる目でミサトは頼もしいサードチルドレンを見据える。

 そして、自らの手で使徒殲滅のための狼煙を上げる。


「エヴァンゲリオン初号機、発進準備!」


「了解! エヴァ初号機、発進準備!」


『主電源、接続』

『第一ロックボルト、はずせ』

『アンビリカルブリッジ、移動開始』

『第一拘束具を除去』

『同じく、第二拘束具を除去!』

『了解。エヴァ初号機、射出口へ』

『5番ゲートスタンバイ!』

『進路クリア、オールグリーン!』

『発進準備完了』


「了解」


 発進準備がついにあとは号令一つというところまで完了したところで、ミサトは上段のゲンドウを見上げた。


「碇司令、構いませんね?」


 ゲンドウはそれに頷くが、一言付け加えた。


「パイロットに発進の確認はしたのか」


 それにミサトははっとした。

 外の使徒を気にするあまり、発進前にパイロットに発進の連絡をするのを忘れていたのだ。


「すぐに行え」


「はいっ!……シンジ君?」


 初の使徒戦で緊張があるとはいえ、自分の大きな失態に内心舌打ちしつつ、ミサトはシンジに呼びかけた。

 エントリープラグの中で、聞こえた声にシンジは目を開く。


『はい。その声はミサトさんですか?』


 その声音には若干の緊張が見られたが、恐怖などは感じられないことにミサトはほっとした。

 しかしそれを表に出すことなく、差し迫った必要事項を通達していく。


「これから発進するわ。目標の300メートル前に射出します。以後の指示はこちらに従うように」


『はい、……近くないですか?』


 不安そうなシンジの声に、ミサトはふっと肩の力を抜いて安心させるように声を掛けた。


「大丈夫。私たちを信じて。私たちはプロなのよ」


 その言葉に、発令所の面々はそれぞれ大きく頷いた。

 子供を戦場に出す。そのことをいつも心の中で悔やみ、嘆いていたのだ。

 だからこそ、自分の仕事は完璧にこなす。でなければ、何のために大人がいるというのか。子供ばかりに負担をかけるなど、あってはならない。

 それはここにいる誰もが持っている共通の思いであり、プライドだった。

 力強い視線で皆が初号機の中のシンジを見つめる。

 その視線を感じたのか、シンジはゆっくりと頷いた。


『……わかりました。僕も、精一杯やらせてもらいます』


 その答えに全員がぐっと気を引き締めて迫り来る戦いに身を構えた。


 そして、最後に一言付け加える者が。


「シンジ」


 総司令の言葉に、誰もが耳を傾ける。

 通達事項などではないのに、誰もがそうしていた。


「戦って、そして勝て」


 無骨な言葉だった。

 だが、それで十分だったのか、シンジは笑顔を見せた。


『了解。いってくるよ、父さん』


「ああ」


 そのやり取りを最後に、ミサトが大きく息を吸い込む。

 これから始まる戦いの狼煙を。

 その声で高らかに宣言する。


「エヴァ初号機、発進!」


 言葉と同時に、初号機を固定する固定台のロックが外されて電磁レールを伝って初号機が上昇していく。


『くっ……!』


 シンジは身体にかかる強烈なGに思わずうめき声をもらすが、それもすぐに終わる。

 地上に射出され、夜の闇に現れる紫の機体。

 その正面先には人類の敵、使徒の姿があった。


「最終安全装置、解除! エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ!」


 身を縛る全てを取り除かれた初号機が、わずかに前に身体を倒す。

 しかし、絶妙なバランスで立っていた。


 その間リツコは計測器に示されたシンジのシンクロ率にちらりと目をやった。

 そして、それを見て前にゲンドウと冬月が言っていたことを思い出す。そして、シンジを見る。プラグの中でどこか緊張気味の表情が見えた。


「シンジ君、まずは歩くことを考えて」


 横で指示を出すミサトを一瞥して、リツコは再びシンジについてゲンドウらに言われたことを思う。

 シンクロ率、99.89%。

 二度目の搭乗、プラグスーツなしの状態での理論限界値。



(やっぱり、シンジ君は違うのね。真の適格者、オリジナルチルドレン……)



 ゆっくりと歩き出す初号機を見つめて、リツコはこれから始まる戦いに気を引き締める。

 これは、最早ただの生存競争ではないのだということを頭の奥でかみ締めながら。


















―――To Be Continued