魔法少女リリカルなのはA’s+ - After Story - ―――今日、午後四時に局の広場の噴水前――― ぎこちなく、たどたどしい会話ながら、それだけはお互いにしっかりと伝え合うことが出来た。 午後四時に、いつか一緒に歩いたあの広場で。あの時はオリジンの事件の呼び出しがかかってしまったが、今度はさすがにそんなこともないだろう。 そんなわけで、なのはは身支度を整えてあの噴水前へと向かっていた。 いま、季節は春。なのはの服装は、パステルイエローのサマーセーター。首元はVネックになっており、襟は繊細なレースで飾られている。その上に淡い桃色をした薄手のカーディガンを羽織り、デニムのゆったりとしたスカートが膝元まで隠している。 胸元にはいつも通り、レイジングハート。赤い宝石は思いのほかそのコーディネートにも合っていた。 (だ、大丈夫だよね……?) ぴたりと立ち止まって、身体をひねるように自身の格好を気にする姿は、まさしく可愛らしい少女のもので、微笑ましいものだった。 確認して、特に問題もないようだと納得すると、なのはは、はぁ、と肺の中の空気を外に押し出した。 二度ほど深呼吸をしてみるが、心臓は今にも飛び出しそうなほどにバクバクと鼓動を刻んでいるし、体温は上昇の一途で下がる気配すら感じられない。 きわめて典型的な緊張状態だった。 (こんなに緊張してるの、初めてかも……) これまでの人生を軽く振り返って、なのはは心の中でそう一人ごちた。 何気に波乱万丈な人生を送っている、と自覚しているなのはがそこまで言うほどの緊張だった。心臓の音が痛いぐらいに耳に響いている。 小学三年生のあの日からこれまでの中で、一番の大舞台。そう思うと、ますます緊張するだろうに、なのはの考えは止まらなかった。 だが、考え続けたおかげで、ひとつ思い出した。 あの日。初めて何かに真剣に向き合った始まりの日。 あの時も、緊張と不安の中で、場違いなほどの高揚感を感じていた。 それは、例えるなら学校で新しい学年を迎えた時。これから何が起こるんだろう、何か起こるかもしれない、という"これから"に対する漠然とした期待感。 今もそうだ。これはあの時の気持ちにとてもよく似ている。 くす、と笑みを漏らす。 今日も、あの時も。同じなのはこの気持ちだけではない。結局、きっかけになっているのは一人の少年だった。 出会った日と、そして今日。ユーノという彼がどちらにも関わっている。 なんとなく、それがおかしかった。決して悪い意味ではなく、むしろ心地よささえ感じる爽やかな気持ち。 そう思っている間に、緊張感は先ほどよりはいくらか落ち着いていた。そして、約束の場所にも近づいている。 最後にひとつ、深呼吸。 胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込み、不安や恐れが内から消えてしまうほどに念入りに吐き出す。 「……よしっ!」 気合の一声で心に覚悟を決めて、前を向く。 時刻は現在、午後三時五十五分。噴水前は、すぐそこだった。 その数分前―――。 ユーノは一足早く約束の場所に立っていた。 しかしただ立っているだけではなく、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。立ち止まったかと思うと、そわそわと身体を揺らして辺りを見回す。 いっそ見事なほどに完璧な不審者だった。 明らかな挙動不審ながら、しかし周囲からの視線はまったくない。というのも、人っ子一人この辺りにはいないからである。 その理由は言わずもがな、ユーノお得意の結界魔法である。 ここ最近でさらに魔導師としての実力を伸ばしているユーノは、誰にも気づかせずにここに近づかなくなる結界を周囲一帯に張ったのだ。 闇の書にかかっていたものや、オリジンにかけた認識阻害の魔法の亜種である。この魔法はユーノ自身が解除を命じない限りは消えることがない。だから安心してユーノは不審者となっていた。 「お、おちつけ……おちつけー」 うろうろしながらぶつぶつと呟いているその姿は、ある種笑いさえ誘うほどだったが、本人の顔はいたって真剣である。 形のいい眉はきりっと引き締まって、翠の瞳は決意をにじませた光を灯していた。 この場所に着いたのが三時三十分。それからずっとこうしているのだから、ユーノの緊張状態もいい感じに急上昇していた。 それを誤魔化すための動きと呟きなのだろうが、もう二十分ほども続けている事実は驚愕を通り越して呆れるしかない。 他者から見たらそんなところなのだろうが、ここには結界によって他者がいない。そのせいでユーノは結局エンドレスに同じことを続けているのだった。 「すー……はぁーっ」 深呼吸。 ここでようやくユーノは永遠に続くかのような一連の所作に終わりを見せた。 大きく息を吸って、吐く。単純な動作を何度か繰り返す。 そうしていくらか落ち着きを見せると、左腕の時計に目を落とした。 「三時五十四分……」 もう約束の時間は目の前に迫っていた。 ユーノはおもむろに顔を上げると、右腕と左腕とを顔の横まで持ち上げた。 パチン! 両手で叩かれた両頬が高い音を響かせる。 じんじんと痛む頬に軽く手をやって、ユーノは愛用しているメガネを慣れた仕草で直した。 「……あ、当たって砕けろだ!」 ぐっと表情を引き締めると、噴水前から伸びる歩道へと顔を向ける。 こちらに向かってくる、約束の相手がそこにいた。 ―――午後四時。 「えーっと……」 「その……」 時間より早く約束の場所に着いた二人は、顔をつき合わせたまま結局当初の予定の時間までこんな状態だった。 口ごもり、口の中で何か言いかけつつも、目が合うと逸らしての繰り返し。 何のために会っているのか、お互いに理解しているだけに、いまの雰囲気が二人にとってはむずがゆかった。 それゆえ、どうにも踏ん切りがつかずにお互いに先が切り出せない。 ちらちらと相手を牽制して終わっていた。 「な、なのは……?」 「な、なに? ユーノくん」 どうにかこうにか、やっとユーノは声を絞り出してなのはの名前を呼ぶことに成功した。 しかし、それから先の展望など彼の頭の中にはない。すでに今の時点で緊張はピークであり、とてもそんな余裕はない。 けれど、なのははユーノの口から続く言葉を待っている。 何を言うべきか。そもそも何を言いたいのか。ぐるぐると色々なことがユーノの頭の中をめぐり、考えが定着しない。 それでも何か言わなければならない。どうしようか、何を言おうか、と考えたところで、思いつかなかったユーノは、とりあえずこれまで気まずくなっていた原因について言っておく必要があると判断した。 ユーノはごくり、と口の中の唾液を飲み込んで、直後に頭を下げる。 「ごめんっ―――!」 「え……?」 その一言の謝罪に、なのはから返ってきたのは絶望もかくやというほどの沈んだ声。 ユーノはいまの一言が一体なのはにどんなイメージを与えてしまったのか、この時ばかりは瞬時に理解して、慌てて前言に付け加える。 「あ、い、いやそういう意味じゃなくって! あの……前に、ここで会った時。そのあとの、アースラでのことで、ね」 さすがに最後のほうは声も小さくなっていった。 ユーノにとっては、忘れたくても忘れられない出来事。なのはのひどく傷ついた顔は、絶対に忘れられなかった。 それが、自分のせいだということも含めて。それは、決して許してはならない事実だった。 「ああ……うん」 なのはもようやくユーノが謝った理由について思い当たり、得心がいくと共に安堵の表情を浮かべた。 「あの時は、ホントに……ホントにごめん。謝ってすむ問題じゃないかもしれないけど、どうしても謝っておきたかったんだ」 心底悔いている面持ちでユーノはもう一度頭を下げた。 それを見つめているなのはは、ユーノとは違って穏やかな表情だった。小さく微笑んでさえいる。 それは、とても優しい笑みだった。 「ユーノくん。……いいよ、もう」 その表情のまま、なのははユーノに言葉をかけた。 「なのは……?」 顔を上げたユーノに、なのはは今度こそ微笑む。 「わたし、ちょっと卑怯だったんだよね。全部ユーノくんにまかせっきりにして。自分がどうとか、こうしようとか思ってなかった」 それは違う、と言いかけてユーノは口をつぐんだ。なのはが、目で"聞いて欲しい"と訴えていた。 「あの時も、ユーノくんが言ってくれるって勝手に思い込んでて、それで勝手に落ち込んで、勝手に拗ねて……。結局、人任せにしちゃってたんだよね」 「それだけじゃないよ! 僕があの時、ちゃんと言っていたら……」 ユーノの言葉に、なのはは頷く。 「うん。それでもよかったかもしれない。……けどね、わたし今思うとあれでよかったのかなぁ、って思えるんだ」 「え?」 「だって、そのおかげでもっと自分の気持ちが何なのか、とか、こういったことってどういうものなんだろう、とか考えられたから」 そのなのはの言葉に、ユーノもはっとする。 「そう……うん、そうかもしれない」 リンディと話した時のことを思い出す。あの時、初めてはっきりと自分の意思を確固たる物にした気がする。 それは、きっとあの時ああでなかったら無かったことだった。 「……大切なのは"自分が相手のことをどう想っているか"」 「それ……」 なのはの言葉にユーノは驚いたような反応をした。 「わたしがオリジンさんから言われた言葉。相手のことよりも、自分がまず大事だって。自分が想っていなければ、相手が想っていても意味がないって言われて」 それで、なのはは自覚したのだ。自分はユーノのことが好きだ。だから想われたいのだと。 「僕も、リンディ提督から似たようなこと言われたよ」 今度はなのはが驚く番だった。 「リンディさんに?」 「うん。……といっても、あれはそう思うように促した、って感じだったけど。でも、そう言っていた気がした」 大事なことを見失っては本末転倒だと言われたこと。どうして告白したいのか、と問われたこと。今思えば、あれはそういうことだったのだろう。 唐突に、なのはが気が抜けたとでも言うようにため息をひとつ吐いて、肩から力を抜いた。 「そっかぁ……。なんか、似たようなことで悩んでたんだね、わたし達」 「そう、みたいだね」 結局、ずっとお互いに同じだったのだとわかって、少し可笑しさがこみ上げてくる。 どちらからともなく、二人は吹き出して小さく笑った。 それは何の憂いもない、実に爽やかなもので、その空気はとても二人にとって心地のよいものだった。 ほんの数十秒程度の短い間。その間の奇妙な可笑しさから抜け出し、なのはは区切るようにひとつ息を吐いた。 「……と、いうわけで。わたしはもう気にしてないよ、ユーノくん」 微笑むなのはに、ユーノも穏やかな笑顔を見せる。 「うん。ごめん、ありがとう、なのは」 「うん!」 気持ちのいい笑顔を見せてくれるなのはを眩しげに見つめてから、ユーノは不意に表情を改める。 笑顔から、真剣なそれへと。 「――なのは。できれば……」 肺の空気を全て吐き出すように、ユーノはその覚悟を口に出した。 「……できれば、もう一度やり直させてもらえないかな?」 その言葉に、なのはわずかに表情を硬くして。それでも、はい、と小さく頷いた。 そして、もう一度、あの時が始まる。 小学三年生から六年間。ずっと続いた二人の信頼関係。魔法の先生生徒、単なるお手伝いから信頼しあうパートナーへ、そして友人から異性へと――。 最初はただの偶然に過ぎない出会いだった。それからなのはがユーノのことを手伝うようになって、けれどいつの間にかそれが自分のしたいことになっていて。 色々な人に出会って、色々なことを経験して。 それはきっと、あの日あの時にお互いが出会っていなければありえなかったこと。 ユーノがなのはの世界へと足を踏み入れず、なのはに魔法の才能がなかったら存在しえなかった可能性。 それがいま、この瞬間にここにあること。 たったひとつの、可能性。それを奇跡と呼ぶのなら、そうなのかもしれない。 ただ、いまはこうして出会えたことを。 そして、ここまで大切に相手を想えることを。 二人はそのことを何よりも喜び、感謝して、今を迎えていた。 「――……なのは」 春の暖かな日差しが噴水に照り返して、水滴が幻想的に輝く。 そんな稀有な光景すらただの背景として、ユーノは一心になのはを見つめた。 「はい……」 なのはは、ほんのりと紅潮した頬を隠すこともせず、そんなユーノを見つめ返す。 今までに見たこともないほどに、真剣に自分を見つめているその翠の瞳を。 「僕は、なのはのことが好きです。僕と、付き合ってください」 短いながらも、ユーノの全ての想いが込められたその言葉に、なのはが返す答えは一つしかなかった。 「はいっ……!」 じわりとにじむ視界の中で、なのはは最後までユーノの顔を見つめていた。 ふと瞬きをした拍子にかぼれ落ちる涙とともに、ユーノの顔が見えなくなる。 抱きすくめられているのだと理解したなのはは、迷うことなくその両手を彼の背中に回した。 幼い頃からずっと自分を見ていてくれた人。自分のことを好きだと言ってくれた人。そして、自分が誰よりも好きな人。 万感の思いを込めて、なのはは背中に回した手にぎゅっと力を込めた。そして、わずかに顔を上げて、自分が伝えなければならないもう一言を口にする。 「わたしも、ユーノくんのことが大好きです……!」 涙でぬれた顔を本当に嬉しそうな笑顔で飾り、なのははもう一度ユーノの胸に顔をうずめた。 その身体を預けるようにもたれかかる。 ユーノはそんななのはを抱きしめる。ようやく想いが伝わったことを喜ぶように。 春の陽射しが差し込む公園の中、きらきらと光る噴水の前で、ユーノとなのははお互いの気持ちをかみ締めるように抱擁を交わす。 陽射しに混じる穏やかな風が、二人の髪の毛を撫でるように駆け抜けて、空へと舞い上がっていった。 |
| Next is the Last scene―――To Epilogue |