ブラックサレナを迎え入れたナデシコの格納庫では、整備員達が驚きの中に輝かんばかりの瞳を覗かせてその機体を見上げていた。 全身漆黒の有翼、有尾の機動兵器。火星からの脱出者たちが口を揃えて言っていた"堕天使"の機体が目の前にあるのだ。 これに心動かさずにいられようか。 英雄という存在に男として、謎の機体にメカニックとして、興味が刺激されないわけがなかった。 プシュー、という空気音と共に胸部のアサルトピットが開く。 期待に満ちた目で見つめる先で、ゆっくりとパイロットがその姿を現す。 「うわ……」 それは誰の漏らした声だったのか。 少なくとも、感嘆の声ではなかった。 現れたパイロットの容貌は、一言で言うなら真っ黒。黒いボディスーツに黒いマント。極めつけに顔には大きなバイザーまでかけている。当然、それも黒い。 機体とまったく同じなその姿にむしろ、何この人、という感想が皆の頭に浮かんだ。 しかしそんな彼らの気持ちなどお構いなく、パイロットはコクピットから足の間接部へと飛び、そして地面に降り立った。 見事な身のこなしに今度は感嘆の声が漏れた。 そしてそのまま歩き出し、ウリバタケの目の前で止まる。 「……あなたが班長でいいか?」 低い声音も気に留めず、ウリバタケはにっと笑って頷いた。 「ああ、そうだ! 俺は整備班長のウリバタケ・セイヤだ。よろしくな!」 「コック兼パイロットで雇われたテンカワ・アキトだ。こちらこそよろ―――」 「「「「コックぅッ!?」」」」 格納庫中に響き渡る大声に、さすがのアキトも身をのけぞらせた。 しかし、すぐに冷静さを取り戻して答える。 「あ、ああ。コック兼パイロットだからな。どちらかというと、コックが主でパイロットが副業だ」 「「「「ウソだぁッ!!」」」」 きっぱりと全員から否定されて、今度はアキトもちょっと傷ついた。 「おいおい、お前ら。本人がそう言ってんだからいいじゃねぇか。……んで、テンカワよ。こいつの整備はどうすりゃいい?」 苦笑を浮かべながらも部下を叱責し、ウリバタケはアキトに尋ねた。 聞かれたアキトも、ようやくまともに話せる、と内心ほっとしていた。 「そうだな。サレナ……ああ、あの機体をブラックサレナというんだが、整備については俺よりもコイツに聞いてくれるとありがたい」 「コイツ?」 「今から紹介する。――サレナ」 呼びかけると、ぴょこん、と空中にウインドウが出現する。 『お呼びですか、マスター?』 「「「「「うぉわあぁぁぁぁッ!!」」」」」 唐突に空中に浮かんだウインドウに、ウリバタケを含む近くにいた整備員たちが奇声を発しながらあとずさる。 さっきから賑やかなその様子に、アキトも苦笑いを浮かべた。 「コイツはブラックサレナに積まれている管制AIのサレナだ。この艦のオモイカネのようなものだな」 「お、オモイカネ……?」 ウリバタケが再びアキトに近寄りつつ、疑問を口にする。が、 『私のことです byオモイカネ』 「おわッ!」 再び現れたウインドウにまたあとずさることとなった。 「彼らは人格を持つAIだ。言ってみれば同じクルーなんだが……ブラックサレナについてはサレナに聞いてくれたほうが早い。呼びかければ答えるだろうから、その都度きいてくれ。 サレナも、それで頼む」 『了解。ウリバタケ・セイヤさん。これからよろしくお願いします』 「お、おう。よろしくな!」 動揺しながらも、にかっと男臭い笑みを見せるウリバタケに、アキトはふっと微笑んだ。 そのアキトの目の前に、ウインドウが現れる。 『テンカワさん。お知らせです』 「? オモイカネか、なんだ?」 『ルリさんが来ます。到着まであと五秒』 「へ?」 気の抜けた声が空気に溶けてすぐ、スライドドアが開かれる。 その場の視線がいっせいに向かったその先には、蒼みがかった銀色の髪を持つ少女の姿があった。 その少女はゆっくりと歩き出し、アキトの前まで来ると、ぴたりと止まる。 ここにいる全員の注目を浴びながら、ルリは微笑んで口を開いた。 「迎えに来ました、アキトさん」 「ルリちゃん……」 (((((る、ルリちゃん!?))))) このとき整備班の心中は一人の漏れなく一致した。某アレ風にいうなら、シンクロ率100%といったところか。 「ご案内しますよ、堕天使さん?」 からかいの色を見せる笑顔に、アキトはわずかに口元を緩めて。 「ああ。頼もうかな、妖精殿?」 さすがに妖精さんとは言いづらく、とっさにアキトは敬称を変えた。 誰もアキトが言い淀んだとは気づかなかったが、付き合いの長いルリは気がついたようで、くすくすと笑っている。 それにむっとしつつも、ルリは気にせずにアキトの手を引いて歩き出す。 笑顔で歩くその様子に、かなわないな、と口の中で呟いて、アキトはウリバタケに首だけ回して顔を向けた。 「すまないな、ウリバタケさん。サレナのほうはよろしく頼む」 「おうよ! これからよろしく頼むぜ、テンカワ!」 それに笑みを返して、アキトとルリの姿が格納庫から消える。 全員でドアが閉まるまでを見届けてから、ウリバタケは声を張り上げた。 「お前ら、仕事だあーッ! エステとは勝手が違うんだからな! 気ぃ張ってやるぞー!」 おーッ! という大きな返事とともに動き出した部下達にウリバタケは満足げに笑い、次いで空中に視線を向けた。 「あー……っと、サレナだったか?」 『はい、そうです。ウリバタケさん』 浮かぶウインドウにウリバタケは、ほっと一息ついた。 「早速だが、何すればいいか教えてくれ。言ってくれりゃあ、あとは俺達がしっかり整備してやるからよ!」 ウリバタケの自信あふれるその言葉に、サレナは『ありがとうございます』と表示させたウインドウを、くるくるとウリバタケにじゃれつくように動かした。 「なに、メカニックとして当然のことよ! ――ところで……」 『?』 ぴたっ、とウリバタケの前でサレナのウインドウが停止する。そして、内緒話をするかのようにウリバタケはそのウインドウに顔を寄せた。 「テンカワが"Full Black Fallen-Angel"で、間違いねぇんだよな?」 『はい。火星での一件以降、マスターは時折そのように呼称されます』 その答えにウリバタケは、はぁー、と感嘆の息を漏らす。改めて聞くと、なにか感動にも近い心証だった。 「すげえな、そりゃ……。そういや、あの子は妙に親しそうだったが、ソレの関係者なのか?」 『ソレ……とは?』 「ああーっと、つまりテンカワの関係者なのかってことだ」 その問いかけに、サレナはわずかに逡巡するも、すぐに答えを出した。 『はい。ルリさんはマスターの大切な方ですから』 「なにィ!?」 サレナからもたらされた回答はウリバタケの予想を超えたものだった。てっきり、妹みたいなものとかだと思っていたのだが……。 「……つまり、テンカワとルリちゃんは付き合ってるのか?」 『いえ。しかし、マスターはルリさんのことを特別に思っています』 サレナにとって、それはアキトに確認もしたことだ。ちなみにサレナは"大切な方"や"特別に思う"といった物言いが、この場合にどんな意味になるかは理解していない。 ただ、事実を告げているだけである。 そして、ウリバタケは当然、サレナとは違った受け取り方をした。しばし息を潜めるかのように黙り込んだウリバタケは、ぽつりと一言だけこぼした。 「……ロリコン、か……」 漢だぜ……、と口の中で呟いたウリバタケは、内心でアキトのことを気が合いそうだと認識した。 ウリバタケ・セイヤ。違法メカニック屋。趣味、フィギュア製作。彼は、わりとソッチ方面に理解のある男であった。
「緊張するな……」 ブリッジへ繋がる扉の前で、アキトはかすかにくぐもった声で呟いた。 それを聞いて、ルリはくすりと笑う。 「私たちにしてみれば、再会になりますからね」 まあね、と言ってアキトも笑う。 「でも、気にしたほうが負けですよ? ここは、"ナデシコ"ですから」 それにアキトは一瞬、面食らったようにバイザーの下で目を開いて。そして破顔した。 「――ああ、そうだね」 そして、一歩を踏み出す。 扉は、空気音と共に開いた。 『テンカワ・アキト、ホシノ・ルリ、ブリッジイン』 オモイカネによって伝えられたウインドウの先には、アキトにとっては懐かしい、彼らにとっては初めての出会いがあった。 「来た、アキト!」 「おっと」 突進するかのように突っ込んできたラピスを受け止める。アキトはふっと笑って、その頭を撫でてやった。 ラピスはなすがままにそれを受け入れ、気持ちいいのか、目を閉じて頭を手に押し付けるように身を寄せる。 そんなラピスの様子にアキトは心が和むようだった。アキトにとっても妹に等しいラピスは、彼にとってまさに目に入れても痛くないほどに可愛い存在だった。 しかし、唐突にぞくっと自分の斜め後方から寒気を感じた。 油を差し忘れたロボットのように、ぎこちなく後方の原因へと振り向く。そこに何があるのか半ば予想しているとはいえ、一縷の望みを胸に抱いて。 そして、ついにその原因を視界に納める。 ――そこには、美しく微笑んでいるルリがいた―― すぐさまアキトは顔を前方へと戻し、近づいてきていたプロスペクターに目を向けて、決して後ろを見ないように努めた。 しかし、背中はびっしょりだった。 「いやー、テンカワさん。本当にありがとうございました」 「き、気にするな。俺はパイロットとしても雇われているんだ。仕事をしたに過ぎない」 ふっとぎこちないながらも笑みを浮かべて答えると、プロスペクターもにこにこと笑う。 そんなやり取りの中も、相変わらず後ろからの視線が殺意を乗せてアキトの背中に刺さっている。ラピスの頭から手を離したところで、ラピスは抱きついたままだろうし、アキトはその視線を甘んじて受け入れるしかなかった。 ラピスはまったく気にすることなく、にこにこと笑っている。 ルリの表情が今どうなっているのか、アキトは確認することが出来なかった。 だって、怖いんだもん。 「いえ、来て早々のお仕事だったわけですから。それに、とても腕が立つご様子で」 「御託はいい。俺に何か聞きたいことがあるんじゃないのか?」 アキトは表面上は渋く決めたが、内心ではかなりビクついているし、ラピスの頭に手を置いたままだった。正直、あまり格好つかない状態である。 しかしプロスペクターは、そのアキトの言葉にふっと笑みを消すとメガネのずれを直す。そして、真剣な眼差しでアキトを見据えた。 「……では、テンカワさん。お聞きします。あなたは―――"Full Black Fallen-Angel"なのですかな?」 その質問に、艦橋の空気がぴりっと張り詰めた気がした。 アキトは自分が促したことでもあるので、余裕を持って首肯してみせた。 「まぁ、俺はそう名乗ったことはないんだがな……。いつの間にやらそう呼ばれている」 なんでもないかのように返したアキトの返答に、ブリッジはわっと沸いた。 「あら、本当なんだぁ」 「すごーい! あの英雄さんを間近で見られるなんて〜!」 「英雄だろうと、俺の見せ場とんなよな!」 「あの、火星の英雄が……」 「うーん、テンカワ……?」 「ふん……使えるわね」 「………………」 「テンカワ、本当なのか?」 十人十色な反応を示すブリッジの中で、最後に問いかけてきたゴートに顔を向けて、アキトはわずかに申し訳なさげな顔を見せた。 「……本当だ、ゴートさん。昨日言っていた俺個人所有の機動兵器。それがあの、ブラックサレナだ」 「「「「ブラックサレナ……」」」」 律儀に復唱する皆にアキトは苦笑を浮かべる。 ゴートは、常の仏頂面のままで口を開いた。 「……そうか。このことは、ルリくんは知っていたのだろう?」 「? ああ」 「知っていましたよ」 いつの間にやら冷たい視線もなりを潜めていたルリは、アキトに追随するように答える。 そのいつも通りの落ち着いた様子に、アキトは内心で胸を撫で下ろしていた。 ゴートはアキトとルリの答えを聞いて、ゆっくりと頷く。 「なら、問題はない。しかし、黙っているとは、人が悪いな」 アキトにしてみれば一体何が問題だったのか疑問だったが、表情を緩めたゴートに気を緩めて笑みを浮かべる。 「悪い。なにしろ、ことがことだったからな。あまり知られたくなかったんだ」 「その点はいい。これから、よろしく頼む」 「こちらこそ」 ぐっと手を交わす二人に、周りの皆はついていけずに成り行きを見守っている。ユリカだけは眉を寄せて、うーん、と唸っていたが。 「ミスター・ゴートとはお知り合いなの?」 「ん、ああ。ウチの常連だったからな」 ミナトの問いにアキトは簡潔に答える。 その答えに更に皆は困惑を極めたようだ。 「常連?」 「なんのですか?」 ミナトとメグミの無意識に出たかのような問いかけに、アキトは答えようとして、ルリの言葉にさえぎられた。 「アキトさん、もうバイザーとってもいいんじゃないですか?」 アキトにとってコックとパイロットを使い分けるひとつのスイッチのようなもの。もちろん童顔を隠す意味もあるのだが、もともとそれはパイロットの間のつもりだった。パイロットの仕事はもう終わっているのだから、外すのは当然だ。 ただ、ついそのままになっていただけ。ルリの言葉に、それもそうか、と言ってからアキトはラピスを離し、バイザーを外した。 人の好い青年の姿が現れる。 「はじめまして。コック兼パイロットとして雇われたテンカワ・アキトです。よろしくお願いします」 にこっと笑顔。 静寂。 「「「「コックぅぅッ!?」」」」 驚愕の声がブリッジに轟いた。 (こ、ここでもか……) 確かに今の自分の姿は黒ずくめで、多少怪しくてコックには見えないだろうが、そこまで驚かなくてもいいんじゃないだろうか、と思ってしまう。 わずかに落ち込んでいる様子のアキトを見て、ルリも内心でため息をついた。 (自分に鈍感なところは変わらないんですね……) アキトの格好はぶっちゃけ怪しさ大爆発なのだ。しかもあれだけ有名で最強の呼び声も高いパイロットがコックだとは誰も思わないだろう。 そうとも知らず落ち込むアキトと、それを慰めるラピスの様子を見ながら、ルリは苦笑を浮かべた。 と――、 「ああああ〜〜〜! アキト、アキト、アキトだぁ〜〜〜!」 突然、今度は歓喜の大声が響き渡った。 その場のクルー全員が意識をそちらに向け、アキトとルリも、はっとしてその声の元へと目を向ける。 そこには、これ以上ないほどに目を輝かせてアキトを見つめるユリカの姿があった。 (ユリカか――……) その姿を見て、アキトの脳裏によぎるのは、あの楽しかった思い出。 そして、愛していた確かな想い。 今の彼女が、自分の愛した彼女と違う彼女だとわかっていても、アキトにはやはりミスマル・ユリカは特別な人間だった。 こうしてその目に映しただけで、湧き上がる思いはアキトの内に存在しているのだ。それは間違いなく、愛しいという感情だった。 そのことに、アキトの心は軋む。 心の内にいるのは、もうユリカではない。それは自覚している。だというのに、なぜこうも心動かされるのか――? 「ユリカ、さん……」 ふと、耳に飛び込んできた小さな声。 それは喜びと、不安と、恐怖が入り乱れたような、混沌とした呟きだった。 そんなルリのことを心配したのか、ラピスがアキトの傍から離れ、ルリのもとへ歩み寄って顔を覗き込んでいる。 ルリはラピスの姿と、その心配げな視線を認めると、安心させるように微笑んだ。 それを見て、ラピスもようやく笑顔を見せる。 姉を慕う、満面の笑みを。 (あ……) それを見て、アキトは少し内心の動揺が収まるのを感じた。 まるでパズルのピースが埋まっていくのかのように、足りなかった部分が満たされていく感覚。 (……そうか、俺は……) 「アキト? アキトだよね? や〜ん、なんで気づかなかったんだろ〜」 しかしそんな真面目な思考も能天気な声で中断させられる。 わずかにじと目になりつつも、アキトはため息を一つついて、ユリカに向き直った。 「……久しぶりだな、ユリカ」 「うん! でもアキト、なんでここに? もしかして、あたしのため? あたしに会いたかったとか」 「違う! 俺はコック兼パイロットとして雇われただけで、お前のことは聞いてなかった」 「もう、そんな照れなくてもいいのに!」 「だから、違うって!」 「いいの、わかってるから! やっぱり愛し合う二人は、こうして出会う運命なのね!」 「あーもう、相変わらず人の話を聞かない奴だな、お前は!」 思い出にあるとおりのやり取りに、がしがしと頭をかくアキトと、にこにこと笑顔を振りまくユリカ。まったくかみ合ってない会話ながら、妙に勢いのある奇妙な対話だった。 アキトはしかしそれも懐かしく思えた。 幼い頃、ナデシコ時代、長屋時代、屋台の頃。自分達はいつもこうだった。あの頃のようなユリカに再び出会えたことに、アキトは嬉しさを感じずにいられなかった。 「あーっと、お二人はひょっとしてお知り合いで?」 プロスペクターの問いに、ユリカは輝く笑顔で溌剌と答えてみせた。 「はい! アキトはあたしの王子様なんです! 昔からいつもあたしのことを守ってくれる王子様!」 「幼なじみですよ。火星での。家が隣だったんです。王子様じゃないです」 主観たっぷりのユリカの答えに次いで、アキトがしっかりと回答する。最後に『王子様発言』を否定することも忘れない。 アキトの答えを聞いて、プロスペクターはなるほど、と頷いた。 「あの、ところで、そろそろ部屋に行きたいんですけど、いいですか? 食堂にも顔を出さないと……」 アキトが幾分疲れた様子を見せてそう言うと、プロスペクターは、ああ!、と手を打った。 「これはすみません。お疲れでしたね。では早速ご案内いたします」 「はい、お願いします」 「あ、その案内、私がやります」 挙手と共に立候補したルリに、アキトは即座に首肯する。 「お願いするよ、ルリちゃん」 「はい、アキトさん」 お互いに笑みを交わし、連れ立ってブリッジから出て行く。 一連の素早い行動についていけなかったユリカは、はっと我に返って声を上げた。 「あ〜〜〜、ルリちゃんずるい! あたしもアキトを案内したい!」 「……艦長。あなた、今日来たばかりで艦内を知らないでしょう?」 「う……」 「それにユリカ、艦長なんだからブリッジにいないと」 「う〜〜〜、アキトとお話したい〜〜〜!」 「ゆ、ユリカぁ……」 子供のように駄々をこねるユリカに、プロスペクターとジュンの説得が続けられる。 それを見つめるミナトとメグミも、やれやれと肩をすくめた。 「なーんか、困った艦長さんねぇ」 「頼りなくないですか、あの艦長」 メグミのきつい物言いに、ミナトが楽しそうじゃない、と言ってとりなす。 「それにしても、あれがルリちゃんの言ってたアキトくんかぁ」 「まさか、あんなに有名な人だとは思いませんでしたね」 そうね、とミナトも相槌を打つ。 "漆黒の堕天使"。その正体は一切不明とされていたが、まさか十代の少年だとは思わなかった。バイザーをとらなかったら二十代ぐらいに思っていたかもしれない。 そして、そんな彼の隣にいるのが十一歳の幼い少女なのだから、それはそれで驚いた。 「そして、恋敵出現、かぁ」 「大変ですねぇ、ルリちゃんも」 「……大丈夫。アキトはルリ姉とじゃなきゃヤだ」 むすっとした口調で会話に参加してきたラピスは、ルリのいなくなったオペレーター席でコンソールに手を置いていた。 明らかにユリカの登場にご不満な様子に、ミナトとメグミは苦笑を禁じえない。 「そうね。まぁ、今のところは」 「ルリちゃんを応援、ですね」 二人して笑って、ラピスの頭をぐりぐりと撫でる。 突然の味方宣言に驚きつつも、満更でもないのか、ラピスは笑顔になって二人のなすがままに撫でられるのだった。
ところ変わって、ナデシコ生活区へと続く通路。 アキトはどこかすっきりとした表情をして、ルリの隣を歩いていた。 「なんか、嬉しそうですね、アキトさん」 「え、そうかな?」 ルリの指摘に、アキトは思わず手を頬に当てた。 しかし自分ではよくわからず、結局は手を下ろして、所在なさげにぶらぶらと振るだけだった。 その様子にくすりと笑って、ルリは頷く。 「はい。なんだか、いいことがあったって顔です」 「いいことがあったっていうか……」 アキトは腕を組んで考えるそぶりを見せる。 はたしてルリに言うべきか、否か。自分と同じくユリカに特別な思いを持つルリだからこそ、言うべきであるかもしれないし、だからこそ言わないほうがいいかも、とも思う。 ひとしきり逡巡するが、結局アキトは言うことにした。 何も言わないままで、自分がユリカと仲良く過ごすのはルリにしてみれば違和感があるだろうし、出来ればルリにも自分のユリカに対する気持ちを聞いて欲しいと思ったからだった。 「――ユリカのことなんだけど」 ぴく、とルリの肩が怯えるように動くのが判った。 それに目を瞑って、先を続ける。 「俺にとって、ユリカって妹なんだよ」 「え――?」 思わず瞠目して顔を上げたルリに、アキトは微笑んだ。 「もちろん、俺はユリカを愛していたよ。けれど、それは"今"のユリカじゃない。それは、ルリちゃんもわかるだろう?」 こくん、とルリは頷いた。 「今のユリカはさ、俺の精神年齢が上のせいもあるかもしれないけど、手のかかる妹っていう印象なんだよ。どっちかと言うとね」 笑ったまま、アキトは続ける。 「それが判ったら、今のユリカに対する俺の気持ちとか、全部なんかストンって心に落ち着いてさ。ああ、アイツは俺の幼なじみで、妹なんだって。今のユリカを愛しいと思う気持ちは、妹としてなんだって、ね。 そう納得した瞬間、悩んでたりしてた分、気分がスッキリしたんだ。ユリカっていう存在が今の俺にとってどんな存在なのか、答えが出たっていうのかな」 「アキトさん……」 嬉しそうに、照れて笑うアキトに、ルリはかける言葉が見つからず、ただ名前を呼ぶことしか出来なかった。 そんなルリに、アキトは微笑みかける。 「ルリちゃんにとっては、また違うかもしれないけどね。俺にとって、愛したユリカはアイツだけ。今のユリカは妹ってことさ。――大切な人は、もういるからね」 溜め込んでいたものを吐き出した、とばかりに伸びをするアキトを、ルリは眩しい目で見つめる。 こう言っては何だが、この世界に来る前のアキトや、一年前までのアキトは情けない印象があった。 自分には資格がない、どうせ死ぬから、とルリや仲間達から逃げ出した。どれだけアキトが理由を付けようと、それは絶対に逃げでしかなかったのだ。 その極みが過去への跳躍になったのではないか、とまで思えてしまうほどに、あの頃のアキトは格好悪かった。 だが、今のアキトにはそれがない。 五感が治り、過去の罪を受け入れ、愛する想いにも折り合いをつけた。 それは、過去での確執に囚われなくなったということだった。 アキトは一年の時間をかけて、それをようやく自力で成し遂げたのだ。それを思うと、いまだにユリカのことで悩んでいた自分も馬鹿らしく思えてくる。 隣にいるアキトの手をルリはそっと握った。アキトも、一瞬身体をこわばらせたものの、すぐに握り返してくる。 「アキトさん、カッコいいですね……」 小声で、囁くようにルリは口にした。 知らず、笑みが浮かぶのを止められない。 しかし、快いその感覚に、ルリは抵抗することもなく、満面の笑みを浮かべるのだった。 「? 何か言った、ルリちゃん」 わずかに聞きとがめたのか、アキトがルリに尋ねる。 それにルリは、微笑んで答えた。 「いえ、大切な人というのは、誰なのかと思いまして」 「うっ……!」 思わず赤くなるアキトの姿に、にっこりと微笑んで、ルリは続ける。 「そういえば、さっきはラピスをとても可愛がっていましたね……」 「る、ルリちゃん……その言い方は語弊が……」 冷や汗を流すアキトに、ルリは少しずつ顔をうつむかせていく。 その様子に、アキトは訝しんでルリの顔を覗き込むように少し首をかしげる。しかし、前髪に隠れてその表情は見えなかった。 「……ラピスだけ、ずるいです」 ぽつりと呟かれた一言を何とか聞き取って、アキトは瞬間ぽかんと口を開くものの、すぐに笑顔を浮かべた。 「――話、聞いてくれてありがとう、ルリちゃん」 言って、ぽんとルリの頭に手をのせる。そのまま銀の髪を梳くように撫でると、ルリは気持ちよさそうに目を細めた。 大切な人を答えてくれなかったことは残念だったが、いまさらそれをこの人に期待しても、と思うのも事実である。 それよりも今は、こうして撫でてくれることを嬉しく思う。我ながら安上がりだと思いながらも、ルリは撫でられる手はそのままに、アキトの隣を歩いていく。 今はこれで満足します、と心の中で苦笑を浮かべて。 ルリと共にアキトは自室へと向かい、用意してあった生活班用の黄色い制服に腕を通す。黒い戦闘服はパイロット時以外に着るつもりはなかった。 それはアキトにとってのケジメの一つでもあったし、あの戦闘服は日常生活に向かないとわかっているからだった。 外に待たせていたルリを促して、食堂へと向かう。その道すがら、ルリはアキトの格好を楽しそうに眺めていた。 「似合ってますよ、アキトさん」 かけられた言葉に、アキトは苦笑い。 「ははは……、なんだか違和感があるんだよ。結構長い間着ていたはずなのにね」 「身体を鍛えたからじゃないんですか?」 アキトは火星会戦から一年の間に、ずっと身体を鍛え続けていた。そのせいではないかというルリに、アキトはどうだろうね、と曖昧に言葉を濁した。 「違うんですか?」 「なんて言うか、黒を着ていた時間が濃かったと言うのかな……。俺のパーソナルカラーって、もう黒しか浮かばないんだよね」 戦闘服に、機動兵器。共に漆黒に彩られたそれに身を預けていた期間は、三年近くという長さもさることながら、アキトにとって人生で最も明確に"何か"のために生きた時間でもあった。 復讐という決して誉められたものではないもののためにだったが、間違いなくアキトはあの時間こそ一番生きていると実感できたのだ。 それを聞いて、ルリは眉根を寄せた。 ルリにしてみればアキトが死んだと思っていた期間。世界の全てがどうでもいいとまで感じた時間だった。 決して、いい思い出がないわけではない。しかし、そこにアキトの姿はなかったのだ。それは、思い出とは別のところでルリにとっていいこととは言えなかった。 「アキトさん……でも、今は違うんですよね? 黒を着るのは――」 「過去の罪を忘れないため。だから、俺はアレを着る。ルリちゃんにとっては、いいものじゃないかもしれないけどね」 アキトの言葉にルリは、いいえ、と首を振った。 「アキトさんの決意はわかりますから。それに、その……私はアキトさんがそうして前向きになってくれたことが、何よりも嬉しいですから」 笑って言うルリに、アキトはありがとう、と礼を返した。 ルリもそれに、当然のことですから、と返した。 「それよりアキトさん。もう着きますよ」 「ああ、もうか。なんか緊張するよ」 胃の辺りを押さえて言うアキトに、ルリはくすりと笑みを漏らす。 「ホウメイさんがいますからね」 「俺の師匠だからね。緊張するなってほうが無理だよ」 おどけて言うアキトの手を、ルリはぐっと引いて歩き出す。 「気にしても仕方ありませんよ。行きましょう」 「あっ、ちょっとルリちゃん……!」 すぐそこにまで迫っていた食堂のドアがスライドして開く。 そして慣れた様子で歩くルリに引かれる形で、アキトはキッチンにまで連れてこられてしまった。 その様子を見ていたのか、ホウメイが人の好い笑顔を浮かべてカウンターに近づいてきた。 「おや、ルリ坊じゃないか。どうしたんだい?」 「新しく配属されたコックさんを案内してきたんです。私の知っている方ですので」 そう言って、アキトの手を軽く引っ張る。 「あっと、て、テンカワ・アキトです。よろしくお願いします!」 ばっと頭を下げるアキトに、ホウメイは気さくに肩をたたいて笑った。 「そんな固くなんじゃないよ、テンカワ! 男手は足りないんだ。これからビシバシ働いてもらうよ!」 「は、はい!」 顔を上げて答えたアキトに、ホウメイは満足そうに笑った。 「ホウメイさん。アキトさんはパイロットも兼任していますので、こっちばかりにはいられないかもしれません」 「ん、そうなのかい? パイロットと兼任とは、大変だねアンタも」 「ええ、まあ。けど、俺には守る力があるんですから、後悔しないためにも出来ることをやりたいんです」 先ほどとは打って変わった真剣な表情に、ホウメイも真面目な顔でアキトの双眸を見据える。 しばらくそうしていると、ホウメイはふっと笑って相好を崩した。 「……わかった。ただし、コックの時はコックとして、きっちり仕事してもらうよ!」 「はい! これからお世話になります」 言って、アキトは再び頭を下げた。 ホウメイは頷くと、さっきから気になっていることをこの際告げることにした。 「ああ。……ところでテンカワ、いつまでルリ坊と手をつないでるんだい?」 「!!」 「え、あ!?」 言われて、ルリとアキトはぱっと同時に手を離した。 二人とも、顔が真っ赤になっている。それを見て、ホウメイは何か悟ったような顔つきになって、次の瞬間大笑いした。 「あっはっは! 初々しいねぇ。年の差もあるだろうけど、あたしは応援してるよ。ほらテンカワ! 他の皆にも紹介するからこっち来な!」 「あ、はい! そ、それじゃルリちゃん……」 「は、はい」 ホウメイに連れられて、他の台所要員――五人の女性達――にアキトは挨拶をし始める。 それを見てもルリはそれほど不機嫌になることはなかった。というのも、さっきホウメイから見事に心中を言い当てられたことが尾を引いているからだった。 要するに、他の思考をする余裕がないというわけだ。 不注意からとはいえ、他の人に心の内が露呈してしまったことは、ただ単純に恥ずかしい。 ルリは白磁のように白い肌を、わずかに紅潮させたまま、食堂をあとにしてブリッジへと戻っていった。 |