地球。サセボシティ。

 今日も今日とて晴れ渡った青空では、黄色と青の乱舞が演じられている。観客は市民達。出演者は、謎の無人兵器と連合軍のジェット戦闘機。そしてどちらかというと黄色いほう有利で演劇は進行しているようだった。


「あーあ、まただよ」

「諦めりゃいいのになぁ、機動性が違うんだから」


 さすがに毎回決まった結末を見せられては、観客といえど飽きるらしい。

 市民達にとって、今起こっている戦争の認識はその程度のものだった。


「おい、それよりもそろそろだぜ。店に入ろう」

「お、そうだな。このために来ているみたいなもんだしなぁ」


 サセボシティのとある食堂の前で空の劇を眺めていた男たちが、途端に表情を緩めていそいそと店の中へ入っていく。

 時刻は午後12:30になろうとしている。

 この雪谷食堂では最近になってある名物が出来ていた。場所に似合わない神秘的な美少女たちが食事を取りに訪れるのである。それに立ち会えるのが毎日のこの時間。今ではそっち目当てでこの店に来るお客もいるぐらいだった。


 カラン、カラン。


 ベルの音を伴って、店内に外の空気が入り込む。新しい客が入ってきたという合図だった。

 厨房で働いていた青年が顔を出して笑顔を作る。

 入ってきたのは、小柄な少女が二人と、一人の大柄な男性。

 彼にとって、ひどく見知った顔だった。


「いらっしゃい、ルリちゃん」


 青年の言葉に、外見14歳ほどの少女――ホシノ・ルリは微笑んで答えた。


「お邪魔します、アキトさん」











機動戦艦ナデシコ
−Alteration of A−


第2話

「物語の『前哨戦』」













 いつの間にやら指定席のようになっているカウンターの三つの席に、それぞれが座る。ルリが厨房から見て右。幼い少女が真ん中。左に大柄な男という順番である。

 これはもはや固定らしく、いつもこのように座って料理を楽しんでいた。


「私はいつもどおりでお願いします」


「かしこまりました。ラピスちゃんは?」


「……わたしも、同じ」


 メニューを持って色々な品名に目を通してから、ラピス・ラズリは結局そう答えた。いつもラピスはメニュー両手に悩むのに、毎回同じ答えを返してくる。それに苦笑して、アキトはもう一人の男性に顔を向けた。


「ゴートさんは?」


「俺は……八宝菜と炒飯をもらおう」


 むっつりとした顔で注文するゴート・ホーリーの姿にもアキトはまったく動じることなく注文をとっていく。

 アキトにとってゴートの強面は決して不快なものではないし、怖いとも思わない。かつての未来においては命の恩人で、戦闘技法の教師であったこともある男だ。それよりも何よりも、ナデシコの仲間である。怖がるわけがなかった。

 しかしそんな事情を知らないゴートは、アキトが自分を見る目になんの色眼鏡もかかっていないことに最初こそ戸惑いを覚えていたが、今では心地よいものと思っている。

 お互いに口にはしないが、友人だと思っている、というそんな関係。巨漢のゴートと童顔のアキトというアンバランスな外見ながら、意外と二人は気が合っているようだ。


「注文、承りました。それじゃ、早速作ってくるよ」


 言い残して、アキトは厨房へと戻っていく。そして、注文の声が聞こえていたらしい食堂の店主サイゾウが既に作り始めていた料理に、自分も加わっていく。

 ルリはそんなアキトの姿を優しげに目を細めて見てから、隣でいまだにメニューと格闘している妹の姿にやはり苦笑を浮かべた。


















 火星から脱出したあと、アキトは歴史どおりにサイゾウの店に転がり込んだ。

 乗っていたブラックサレナは火星の廃棄された研究所跡の中に隠し、そこから単身で地球へとジャンプしてきたのだ。いざとなったらボソンジャンプで取りに行くことが出来るのだから、特に問題はない。

 サイゾウは行く当てがないというアキトを店に招き、コックをしていたことを告げると店員として雇ってくれた。ためしに料理を作らされたときにアキトが涙を流したことについて、サイゾウは何も言わなかった。


 そうして雪谷食堂の住み込み店員として過ごして一ヶ月。いつも通りにアキトが食堂の開店の準備をしていると、食堂入り口から妙に研ぎ澄まされた気配を感じた。

 原因を調べるため、場合によっては排除するために入り口の戸を開くと、そこに立っていたのは筋肉質の大男。アキトの記憶にある通りの姿をした、ゴート・ホーリーの姿だった。

 お互いに言葉もなくしばし見上げ、見下ろされていると、ゴートの後ろから二人の少女が顔を出した。

 そこにいたのは、外見年齢十二歳ぐらいに見えるホシノ・ルリと、アキトと知り合う時より幼いラピス・ラズリの二人だった。


「……お店、いいですか?」


「え、あ、ああ……うん」


 ルリの言葉にアキトは頷き、三人を店に招き入れた。店の開店時間はあと十分後なのだが、そんなことなど今のアキトの頭の中にはなかった。

 ただようやく会えたルリと、十歳というには少しばかり歳が上に見えるその姿。そして、久しぶりに見るゴートと、幼いラピスのことだけしか考えられなかった。


「おい、アキト。店はまだだぜ」


 仕込みの最中だったのか、厨房から顔を覗かせたサイゾウにアキトは苦笑して、ひとつ頭を下げた。


「すみません、この人たち俺の知り合いなんです。今日だけでいいですから、入れてあげてくれませんか?」


 アキトの言葉に、サイゾウはちらりと三人を一瞥する。その視線にルリはぺこりと頭を下げた。ゴートは相変わらず仏頂面で直立不動。ラピスは頭を下げた姉に疑問の視線を向けていた。

 それを見て、サイゾウははぁ、とため息をひとつついて、


「いいぜ、わかった。その代わり、料理はお前が作んな」


「はい。ありがとうございます!」


 サイゾウの承諾の言葉にアキトは再び頭を下げた。


 こうして、ルリとラピスとゴートの三人は雪谷食堂の常連となった。それ以後はちゃんと営業時間になってから来ている。

 ちなみになぜ忙しいお昼時に来るのかというと、ルリたちが来る時間を変えると、他の客達もそれに合わせて時間を変えるからである。

 それならいっそ昼に固定してくれ、というサイゾウの言葉で現在の時間が決定された。決して来るなとは言わないところがサイゾウのらしい所だろう。





 最初にルリが雪谷食堂を訪れたとき。アキトはルリに自分の持つコミュニケの番号を教えた。このコミュニケはナデシコ乗艦当時のものではなく、アカツキとエリナ、プロスペクターなどのネルガルの数人からの連絡を受けるための特製品だった。

 この時代にこの番号を知る者はいない。よって、あとはルリが研究所内からアキトに連絡を取ればそれで秘密の会談の出来上がり、というわけだった。

 ちなみにアキトのコミュニケにはサレナの簡易端末もあり、サレナにアクセスすることも出来る。この時代に来たのはサレナを数えれば三人。これで、逆行者全員の相談が出来るわけである。



 そしてその日の夜。アキトからもらった連絡先にルリは早速連絡を取っていた。

 自分の部屋の監視カメラは全てごまかしてある。これで邪魔をする者はいない。


『ルリちゃんか』


「はい。お昼に会ったばかりですが……本当に、やっと会えました……」


 感慨深げにルリが言う。


 食堂ではラピスやゴートがいるために、再会を喜ぶことも出来なかった。だから、実際にはいまが再会の時といっても過言ではない。

 二年間ずっと会えず、再会してもすぐに別れ、再び三ヶ月会えなかった。そしてようやく会えたと思ったら、また一ヶ月である。

 アキトのことを想うルリとしては、それは非常に長い時間だった。


『そうだね、一ヶ月ぶりか……』


 とはいえ、アキトはルリの深い感慨までは理解できなかったようである。

 本当にただ懐かしがっている、という感じが伝わってくる。これにはさすがのルリもいささか怒りを感じた。


(……今は何も出来ませんが、アキトさん……今度ちょっと付き合ってもらいますよ)


 画面の中のアキトがなぜか肩を震わせて後ろを振り返った。なにか変な気配でも感じたらしい。しかし気にしないことにしたのか、再びルリの正面に向き直った。


『そういえばルリちゃん。その姿……』


 ルリはその言葉で瞬時に悟った。年齢相応に見えないこの容姿のことだ。


「はい。これは十二歳当時のものに近いです。なぜか身体の成長が早いんです。精神が肉体に影響を与えているのだろう、としか予想できませんが……」


 おそらく、自分の中の記憶がナノマシンの補助脳にインプットされたことで、そのデータに身体を近づけようとしているのだろう、とルリは思っている。

 早い段階で十六歳の身体まで成長することに特に異論はないが、成長痛がひどい。これだけは本当に勘弁して欲しいルリだった。


『そうか……、異常はないんだね?』


 一瞬、ルリは成長痛のことを思ったが、それは口に出さなかった。


「……はい。異常はありません」


 それを聞いて、アキトは胸を撫で下ろしたようだった。


『そうか、それならいいんだ。……それで、まずは俺からの報告だ』


 柔らかい表情から一転、真剣な面持ちでアキトは言う。ルリも自然と背筋を正した。


『火星会戦はほとんど歴史どおりだった。俺がいなければ多くの市民は死んでいただろうし、チューリップもコロニーに落ちていただろう』


「アキトさんの名前は地球にも届いてましたからね」


 それにアキトは苦笑する。


『二つ名なんて恥ずかしいけどね。"The Prince of Darkness"以外に、名前を付けられるとは思わなかった』


 ふっと自嘲を含んだ笑みを浮かべ、すぐに引っ込める。ルリはそれについては何も言わなかった。


『本名は謎だから、まあいいさ。それと、アイちゃんはちゃんとジャンプしたよ。イネスさんは存在しているはずだ』


「はい。私も確認しました。間違いなくイネスさんは火星にいます」


『そっか、よかった……。あと、ブラックサレナは火星に置いてきた。研究所跡に残してきたから、バッタも来ないだろう。ナデシコに乗る前にジャンプで取りに行くつもりだ』


 それにはルリも異論はない。何かあったらサレナのほうから連絡が来るだろう。問題はない。

 しかしそこで、アキトは曇った表情になる。それに怪訝な思いを抱きつつ、ルリは先を促した。


「他にも、何かあるんですか?」




『……ああ。重要なことだ。本当に気がついたらなんだが……ブラックサレナに小型の相転移エンジンが搭載されていた』



「え!?」




 これには純粋に驚いた。それは未来においてもオーバーテクノロジーな、製作不可能なものだ。明らかにこれはおかしい。



『サレナ?』


 アキトの呼びかけに、サレナが答える。


『はい。どうやら私が強制的にスリープさせられていた時に付けられたようです。どこの誰が、どうやってかは全く判りません』


 サレナの言葉にわずかに考え込むルリ。


 確かに、ボソンジャンプ中の機体に干渉するなど、出来るはずも無い。ジャンプ後のサレナに付けたと考えても、ここは過去。未来において不可能なことが過去で可能だとは到底思えない。

 重要ながら、まったく何の予想も出来ない。これは、確かに問題だった。



『まぁ、とりあえずサレナと話した結果、せっかくあるんだから使えるものは使っていこう、ということになったんだが……』


『はい』


「はぁ……いいんですか、それで?」



 アキトがそれでいいならいいのだが。しかし楽観的ではないだろうか、とさすがにルリも思う。


『まぁ、敵だとしたら強くする理由が無いし、とりあえずは味方のおかげということでいいんじゃないか、ってね』


「まぁ……そうですね」


 考えても結論が出そうにない時点で、ルリもその考えには同意だった。というより、もう取り付けられちゃってるんだから、使うしかないというほうが正しいだろうが。

 アキトとしてはルリの意見が欲しいのかもしれないが、ルリとしてもそれ以上は何とも言いがたい。ボソンジャンプと同じく、こちらは後の問題としたほうがいいと判断する。そして、そのことをアキトに伝える。

 アキトはひとつ、頷いた。


『とりあえずはそれぐらいか……。あとはルリちゃんのほうかな?』


「はい。それでは、こちらで調べたことなどを報告しますね」


 そう言って、今度はアキトが聞く態勢に入る。それを見届けて、ルリは口を開いた。



「まずアキトさんに頼まれた件ですが、ラピスは社長派の非合法研究所にいる事実を発見。社長派の不正などの情報と一緒にアカツキさんのところに送りつけました。

 それによって、アカツキさんは社長派を一掃。ラピスは同じくマシンチャイルドである私の元にやってきました。そして、妹として戸籍を登録されて現在に至ります。

 あ、ちなみに名前は私が付けさせてもらいました」



 現在のラピスの名前は、ラピス・L・ホシノ。Lはもちろんラズリである。瑠璃の英名であるその名はルリの意思どおり採用されたが、日本式の名前では格好がつかないということでこのような名前で落ち着いたのだった。


『そうか……ありがとう、ルリちゃん』


「いえ……私も、妹が出来て嬉しいですし……」


 笑顔で感謝されて、ルリは頬を赤らめた。自分でも望んだことだったのだから、感謝されなくともいいと思うのだが、こうして実際に言われると、照れくさい。

 ましてそれが自分の想い人なのだから、その効果は推して知るべし。


「そ、それ以外には特に歴史と違ったところはありません。しいて言えば、ゴートさんが私とラピスの護衛をしているという点と私達が外に出歩くようになったという点でしょうか」


 早口で言い切るルリの姿に和みながら、アキトはそういえばゴートが二人についていたな、と昼のことを思い出した。

 しかし、本当に外を出歩くとは思わなかった。きっとお昼の食堂の外はそこかしこでネルガルのSSが待機していたのだろう。

 いったい、どうやって外に行く許可を取ったのか。

 そうは思ったが、なんとなく怖くて口には出来ないアキトだった。


 そして、最も重要な確認事項。それを、アキトは口にした。




『と、いうことはナデシコは来年――』


「はい。2196年に就航となります」




 ルリの言葉に頷き、アキトは呟く。


『歴史どおりか……』


 基本的には自分達の知る歴史をなぞっているらしい。


 とはいえ、ラピスが既に助け出され、自分は火星の人間を多く逃がしたし、二つ名を周囲から付けられるほどに"火星に現れた漆黒の機動兵器"は有名になってしまっている。

 それどころかルリが言ったように地球にまでその名は広まっている。脱出した火星の市民たちが口々に語って広まってしまったのだ。


 私達はあのロボットに助けられたのだ、と。


 そのことが今後の展開にどう影響してくるのか。それを不安に思わないことはないが、やってしまった以上はもうどうしようもない。あとは、どうやってそれを正しく生かすことが出来るかである。


『……まぁ、これで行動できることはほとんどやった。あとはナデシコに乗ってからか……』


「はい。今出来ることもありますが、今よりはナデシコに乗ってから行ったほうがいいものもあります」


 頷く。


 そう、全てはもう始まり、賽は投げられた。

 これからどこに向かうにしろ、どのように進むにしろ、ナデシコが起点となるのは間違いない。

 そのことを実感しながら、三人は再び話し合いに戻っていった。












 話し合いから約一年――。

 アキトとルリは結局あまり大きな行動はしなかった。

 大きな出来事は自分達の歴史を知っているというアドバンテージを失うことになりかねないし、必要ないというのがその理由だった。

 そしてそれだけではなく、あの時手放した日常を今度こそゆっくりと味わいたいという思いもあったからだ。

 だからこそ、小さくコツコツと後のためになるような行動ばかりを繰り返すだけにしたのだ。

 アキトと、ルリと、ラピスと。家族だと思える人たちと過ごす大切な時間。それこそが、アキトが何よりも失くしたくないと願ったものだったから。

 ルリもその思いはわかるし、自分もアキトと一緒に過ごすという現状に満足していたから、喜んで今を受け入れた。たとえいられるのがほとんど昼時だけでも、ルリはアキトと一緒にいるだけで嬉しかった。


 というわけで、二人は基本的に食堂で談笑。夜に密談。そして、たまに一緒に買い物に出かける、といった行動を繰り返していた。

 ラピスは食堂では一緒だが、夜は必然的におらず、買い物は最初こそ一緒だったものの、次第になぜか来なくなった。

 買い物の件はもちろん、ゴートの了承があってである。ある程度気を許すようになると、ゴートも二人が出かけることに文句は言わなくなった。SSの護衛はつくが、それは仕方がないだろう。

 ちなみに買い物の件はルリからの提案だった。もちろんルリにとってはデートである。アキトにしても、最初にルリからそう言われているので、デートのつもりで付き合っている。

 なんだかんだで過去の地球も楽しんでいるようである。


 こうしてアキトとルリは穏やかで、しかしそれなりに楽しい日常を送っていた。






 護衛であるゴートは、最初こそあまりいい顔をしなかったものの、今では邪魔するどころかむしろ率先して三人――あるいは二人――の時間を作ろうとしている。

 それは、アキトとの付き合いからその人となりを信頼しているからであるし、不遇な過去を持つアキト(両親と死に別れているなど)を思ってのことでもあった。

 ルリとラピスがアキトになついていることも挙げられた。まるで兄妹のような三人の姿は、殺伐とした仕事を受け持っているゴートにとって癒しともいえる穏やかな時間を与えてくれる。それはゴートにとって、とても好ましい時間だった。

 なにより、ゴートには危惧があった。それがあるから、少女達にはアキトの傍にいてほしかった。

 アキトはたまに普段からは考えられない黒い気配を見せるときがあるのだ。ゴートは職業柄そういったことには敏感だった。

 アキトがそういった気配を見せたのはゴートが知る限り二度。

 一度目は食堂にクリムゾングループのSSが近づいてきた時。ゴートが気づくよりも先に気づき、アキトは禍々しいともいえる空気を身体から発していた。

 二度目はアキトとルリの二人が出かけたとき。ゴートは陰ながら二人を見守っていたが、そこにチャンスだと思ったのかやはり他企業のSSが現れた。

 優しげな雰囲気から一転、アキトは目を獣のように鋭敏なそれへと変化させたのだ。

 思わず寒気がしたことをゴートは覚えている。本職の自分すら脅かす狂気。ヤツは危険ではないのか、とゴートがこれまでの認識を改めたほうがいいのではないかとまで思った時、常にそれを思いとどまらせてくれたのは、銀色の髪の少女だった。


「アキトさん――」


 そう呼びかけるだけで、アキトは狂気を消して穏やかな空気へと戻るのだ。一言、申し訳なさそうに、ゴメン、とだけ少女に告げて。

 それに、いいえ、と答えて静かに笑う少女。その二人の姿を見たとき、ゴートは決めた。彼らを信じてみよう、と。

 出会って数ヶ月の彼らの、言葉はなくとも通じ合う姿。そのアキトとルリの姿に、ゴートは安堵と羨望を覚えたからこそのそれは決断だった。

 口にこそしないが、友だと思っているアキトを止めてくれる存在がいることに安堵を覚え、そんな存在がいることへの単純な憧れ。

 誰よりも人の好い男でありながら、その中に闇を飼う男。そんな危うい友人だからこそ、ゴートは心配だった。だから、彼にとっておそらく大切な存在だろう少女に彼の傍にいて欲しかった。

 それが、ゴートが今も足しげくこの店に通う理由だった。ルリをアキトと会わせるために。今までの自分らしからぬ考えだが、存外ゴートは今の自分を嫌いではなかった。


「おいしいです、アキトさん」


「ありがとう、ルリちゃん」


 和やかに笑いあう二人に視線を向ける。微笑むルリに周囲の客たちもどことなくリラックスした空気になっている。もう一方、ラピスが一生懸命チキンライスを頬張っている姿もその原因だろうが。

 それから談笑している二人に、サイゾウが働け!と檄を飛ばす。それにアキトが慌てて仕事に戻る。それもいつもどおりだった。

 忙しく店の中を動くアキトを手で呼び寄せる。すぐに気づいて、アキトはゴートのほうへと寄ってきた。


「なんですか?」


「……テンカワ。いつになったらルリ君に告白をするんだ?」


「なっ、ご、ゴートさんッ!」


 声を潜めて伝えると、面白いぐらいに狼狽する友人。この姿を見ることが、今のゴートの一番の楽しみだった。

 外見年齢14歳ほどとはいえ、ルリの実年齢は11歳。間違いなく犯罪だろうが、別に手を出さなければ問題ないとゴートは考えている。それよりもこの二人の幸せな姿こそがゴートにとって最も大事なことだった。

 だからこそ、こうしてアキトを焚きつける。一年の間、まったく進展がないのは見ていてイライラするほどなのだ。これぐらいしないと先に進まないような気もする。

 そしていつも通りのアキトの反応に内心では大いに笑い声を上げながら、目の前に置かれた八宝菜と炒飯を見て、ゴートは仏頂面のままで脇のレンゲを手に取った。













 2196年10月。

 人間開発センターで常の実験を受けていたルリとラピスの前に、金縁メガネに笑顔の男が立っていた。隣には見慣れたゴートの姿。ルリは知っているからそれを見ても驚きはしなかった。ただ、来た、と思っただけだ。

 対してラピスははじめて見る人物にわずかに怯えのような表情を見せたが、隣にゴートがいることを知って、いくぶん気を和らげたようだ。

 長く一緒にいたこともあって、ゴートのことをラピスは信用している。というより、アキトとルリのことを考える同志でもあった。

 5歳ほどでありながら、ラピスは心の成長が早かった。それはもちろんルリの教育の賜物なのだが、ラピスはその発達した精神構造によってアキトとルリの関係を微妙にながら理解してしまったのだ。

 かつて、アキトとは恋人なの? と聞いてルリを慌てさせたことで半ば確信すらしている。


『……ルリ姉もアキトも奥手すぎる。お互いにもう好き合ってるのに……』


 こうして二人の想いを知ったラピスは、二人のデートなどにはついていかなくなった。そして、自分と同じように二人を見てやきもきするゴートに気づいて同志となったのだ。

 ラピスにとって、それ以来ゴートは特に親しい人間になった。兄がアキトとするなら、父がゴート。それがラピスにとってのゴートだった。



 それはさておき、そんなルリとラピスの心情などわかるはずもない金縁メガネは、実験が終わるのを待って、着替えて出てきた二人に笑顔のままで名刺を差し出した。


「はじめまして、お二人とも。私、こういった者でして」


「プロス、ペクター……?」


「本名ですか?」


「いえいえ、ペンネームみたいなもんでして」


 ラピスとルリのそれぞれの問いかけに、プロスペクターは変わらず笑顔で答えてみせる。

 それに二人は、はぁ、と気のない相槌を打った。


「それでですな、今回はルリさんとラピスさんのお二人にある仕事を行って欲しく、こうしてやって来た次第なのです、はい」


「お仕事……?」


 ラピスの呟きに、プロスペクターはきらりとメガネを光らせ、ゴートはむっつりとした顔をさらに顰めた。


「そう、お仕事です! スキャパレリプロジェクトにおいて我がネルガルが開発した最新鋭戦艦! その名も―――!」


「ナデシコ、ですね」


 さらり、と横からルリに言葉を奪われ、プロスペクターのメガネがずるり、とずれた。ラピスはそれを見てちょっと吹き出した。


「……えーっと、ルリさん。それを、いったいどこで……?」


「前にネルガルのコンピュータを覗いた時に少し……。セキュリティにはこだわったほうがいいですよ」


 それにプロスペクターは冷や汗を浮かべながら、


「そ、そうですね。進言しましょう」


 と答えることしか出来なかった。


 そして気を取り直したプロスペクターが言うには、ナデシコにはオペレーターとしてルリとラピスの能力が必要なのだ、ということだった。

 ルリはそれをほとんど悩まずに承諾したが、ラピスはごねていた。というのも、このままではアキトと会うことが出来なくなるから、という理由なのだが、ルリが何事かを囁くと、彼女も笑顔で快諾した。

 それを訝しみながらも、了承してくださったのなら話は早い、ということでプロスペクターは契約書を取り出し、二人に渡す。それと同時にナデシコへと向かうために車の用意をゴートに促した。

 ルリとラピスは、黙って契約書の最後の一行をペンで消した。








 そして、サセボ基地へと向かう道すがら、運転しながらゴートは後部座席のルリに声をかけた。


「……いいのか、乗っても。アイツは――」


「大丈夫です。一緒に来てもらいますから」


 その言葉にゴートは驚き、ラピスはにこにこと笑い、プロスペクターは何のことですかな、とルリに問いかけた。

 ルリはその問いかけに、当初から考えていた言葉を落ち着いて返す。



「コックさんとパイロット、欲しくありませんか?」


















 ルリに先導されるまでもなく、ゴートは雪谷食堂へと車を向けた。そして、到着すると同時に食堂からアキトが顔を出す。その顔は優しげな青年ではなく、ひどく真剣な面持ちをしていた。


「……来たか」


「はい。……プロスペクターさん、こちらがコック兼パイロットとして雇って欲しい、テンカワ・アキトさんです」


 ルリの紹介に、プロスペクターの表情が一瞬固まった。それに気づいたのはアキトとルリとゴート。アキトとルリはその理由を知っているから何気なくしているが、ゴートだけは疑問を表情に浮かべていた。

 ちなみにラピスはアキトの足元にまとわりついている。


「……なるほど。確かにIFSもありますな。しかし、テンカワさん。あなたはどれほどの腕前なのですかな? それに、我々が来ることも知っておられたようですが……」


 それに、アキトは動揺することなく返す。


「腕前は、それなりだと言っておこうか。それと、なぜ知っていたかは、ルリちゃんから聞いたからだ。ネルガルが戦艦を造っている。その機能上、自分が乗ることになるだろう、とな」


「ルリさん、いけませんなぁ。一応企業秘密なわけですから、そこは気をつけて頂きませんと……」


「すみません。でもアキトさん以外には話していませんから」


 悪びれもせずに言うルリに、プロスペクターは、仕方ありませんなぁ、と言って肩をすくめる。しかし、一連の状況をすべて笑顔で話しているので、本当にいけないと思っているのかどうかさえ怪しかった。


「……続けるぞ?」


「ああ、はい。話の腰を折ってしまったようで、すみません」


 いや、とだけ答えてアキトは続ける。


「俺はコックだが、パイロットでもある。だったら、俺も乗り込むと言ったわけだ。それを聞いてルリちゃんは、もしスカウトのようなものが来たら連れてくる、と言ったんだよ」


 それを聞いてプロスペクターは思案を始める。

 怪しかった点はこれで納得はした。しかし、ナデシコのモットーは『性格に問題があっても、腕は一流』なのだ。性格はともかく腕に関しては自分の矜持でもある。それを容易く曲げることはしたくない。

 かといって、"テンカワ"の息子さんを無碍にもしたくない。こちらはプロスペクターの完全な私情だった。

 悩むプロスペクター。しかし、それは次のルリの言葉で消し飛んだ。


「アキトさんは自分の腕を謙遜しているだけですよ。……それに、アキトさんが乗らなければ、私は乗りません」


「……!」


 プロスペクターは驚き、ルリを見やって、本気だと悟るとため息をついた。

 そう言われては乗せるしかない。ルリの能力はネルガル本社でも有名だったのだ。史上最高の電子能力。ラピス・ラズリの追随も許さないその能力は、ナデシコには絶対に必要なものだった。

 契約書を盾に強要することも出来るが、それをすればルリのネルガルへの心証は最悪になるだろう。先に契約を交わしているだけに、とれる選択肢が限られてしまった。

 はぁ、とため息をひとつ。それだけでプロスペクターは落ち着きを取り戻し、いつもの表情で契約書を取り出した。


「……わかりました。テンカワさん、あなたのナデシコへの乗船を認めましょう! と、いうわけでこの契約書にサインを。いやー、面倒かもしれませんがお願いします」


「ああ」


 そしてアキトも契約書の一行を削除する。やはりプロスペクターは嫌な顔をした。それを見て、いたずらが成功した子供のようにアキトは唇を歪めた。


「はい、確かに。それでは、早速ナデシコに向かいましょうか」


「すまない、ちょっと待ってくれ」


 車に戻ろうとしたところでいきなり待ったをかけられ、プロスペクターを含む四人はアキトに顔を向けた。



「調理器具などの準備がある。それと、俺個人所有の機動兵器もあるから、それを持っていく。明日に乗艦しよう」


「個人所有の機動兵器ですか!?」


 プロスペクターが驚愕も露わに目を見開く。隣にいたゴートも驚きで声もないようだ。ラピスはアキトの足にまとわりついている。


 機動兵器の単価は戦闘機など比べ物にならないほどに高い。それも維持費まで計算すればそれはもう個人では所有など出来ない金額に達する。大富豪でもなければとてもじゃないが持つことなどできないものなのだ。

 それなのに、下町の食堂勤務のコックがそれを持っているというのだ。IFSを持っているだけでも地球では驚きだというのに、機動兵器付きとくれば、それはもう冗談としか思えなかった。


「そうだ。金の問題なら親の遺産があるから、そこまで問題ではない」


「……そう、ですか。いや、失礼いたしました」


 テンカワの遺産。これは本当の話で、アキトには莫大な遺産があった。両親が生前に特許などで取得していた金が実は洒落にならない額で存在していたのだ。

 両親からその件を任されていた弁護士はそれを食い物にしていたが、ルリがそれを発見。即座に使い込まれていた分も含めて全てをアキトの口座に移した。

 その弁護士はなぜかそれから仕事が全く来なくなった上に貯金もなくなり、弁護士を続けられなくなった。現在はハローのワークさんに通っているとかいないとか。


「……テンカワ。パイロットだということ、俺も知らなかったぞ」


「悪いな、ゴートさん。パイロットっていうのは隠してたんだ。知っているのはルリちゃんだけだった」


 そう言われれば、ゴートとしては不満ながらも納得できる。ルリはアキトにとって特別な少女だ。その彼女が知っていて、自分が知らないというのは自然なこと。むしろ、二人が秘密を明かせるほどの仲になっているとしたら、喜ばしいことだった。


「……わかった。明日、いろいろ聞かせてもらうぞ」


「ああ。……全ては言えんがな


 最後の小声の言葉は聞こえなかったらしく、ゴートはうむ、と頷いて運転席へと戻っていった。

 プロスペクターもそれに続く。


「アキトさん……明日は」


「ああ、わかってる。ルリちゃんも、気をつけてね」


「はい。アキトさんこそ」


 違いない、とアキトは小さく笑う。ルリもつられて微笑み、そのまま別れる。足にまとわりついていたラピスもルリに引かれて車に戻っていった。

 扉が閉まる音とともに、運転席の窓が開いた。そこから覗くゴートの見慣れた仏頂面をアキトは不思議気に見据えた。


「テンカワ……なぜ、いつもと口調が違うんだ?」


 は、とアキトは口を押さえた。


 別に後ろめたいわけではないが、ほとんど習慣になってしまっていることだった。コックのときしか知らないゴートが訝しむのも無理はない。

 アキトは気まずげに頭をかいた。


「いや……癖みたいなものでな。どうも、真面目にやろうとするとこの口調になる。……気になるか?」


 それにゴートは、いや、と否定してみせるが、どこか奥歯に物が挟まったような印象を受けた。

 そして、数瞬の後、ゴートは少し言いづらそうに言葉を紡ぐ。


「……顔に、似合わんと思ってな」


 それを最後に、車は発進。すぐにその後姿は見えなくなった。



 残されたアキトは、ゴートの言葉を思い返して少し泣きたくなった。

 顔に似合わない。それはつまり、童顔の自分には低い声音が不自然だということ。アキトはゴートの言外の意味も正確に読み取っていた。


(……バイザー、かけようかな)


 少なくともパイロットとして真剣にならざるをえないコクピット内ではかけていよう。

 己のコンプレックスでもある童顔を少し憎く思いながら、その思いをため息とともに吐き出す。


「……サレナ」


『はい、マスター』


 ぴょこん、と小さくウインドウが表示される。


「明日、行くぞ。ブラックサレナのほうに問題はないか?」


『大丈夫です!』『問題ありません』


 二つの返答を見て、アキトは頷く。


「よし。では、明日迎えに行く。戦闘もするだろうから、万端にしておいてくれ」


『了解です』


 ウインドウが消え、今までアキトの目に映っていたサレナのウインドウは、サセボシティの風景に取って代わる。

 しばらくそのままその場に立っていたが、やがてアキトは歩き出す。

 とりあえずは明日の準備をするために、雪谷食堂へと足を向けた。