Muv-Luv Truth Episode ――幸せだなぁ。 男ならそう思わずにはいられないだろう桃源郷がここにある。ちょっと息苦しいことをのぞけば実に本望だ。いやあ、幸せだな俺って奴は。 「いっ、たぁ……」 ピアティフ中尉、出来れば身体を動かさないでくれると助かります。顔に当たる胸も一緒に動いて、非常に問題のある現状がさらにワンランクアップしたトンデモ事態に発展しかねませんから。 ……でも、男の本能には逆らえない俺。ちょっぴり動いてくれてありがとうとか思ってしまった。はははは。……後が怖え。 しかし、だ。俺だってまさか廊下の曲がり角で出会い頭に衝突――なんていうお約束をしょっぱなからぶちかますことになるとは欠片も思っていなかった。しかもその相手はピアティフ中尉だ。どうしてここにとか、なぜあなたが……とか思う前に、俺が感じたことは「あ、柔らかい」だった時点で俺は死亡フラグだったに違いない。 衝突した瞬間、俺は咄嗟に相手を抱きとめるようにしてバランスを失って倒れこむ身体を両腕でしっかり支えた。よく反応出来たと思う。これも鍛錬のたまものか。――が、忘れてはならないのは俺はその連日の鍛錬で身体のあちこちが筋肉痛だという点だ。そんな俺の両腕に女性とはいえ一人の人間の全体重が乗っかったらどうなるか。実に簡単だ。俺は支えきれず一緒になって倒れてしまったのだ。 またその倒れ方が悪い。俺が下敷きになったことについては男として褒められるところだろうが、いかんせん位置が悪かった。俺の頭はちょうどピアティフ中尉の胸の位置におさまっていたのだ。ちょうどそれで視界が遮られていることに感謝だ。いま純夏の顔を見る勇気は俺にはなかった。 「あ――、ごめんなさい。君、大丈夫?」 「は、はい。大丈夫です……」 俺から身体をを離しつつ中尉はこちらを気遣う。本当はあらゆる意味で大丈夫じゃないっぽい感じがするが、そんなことをわざわざ言うほど馬鹿ではない。俺は若干ひきつった笑いを見せながら、ピアティフ中尉にそう返した。 廊下に膝立ちになって俺のほうを覗き込むようにしているピアティフ中尉は少し怪訝な顔をしたが、まあ大丈夫だろう。さて、中尉はすでに俺の上からどいている。俺は筋肉痛の痛みは丁寧に無視して立ち上がり、ピアティフ中尉に手を差し出した。 「手をどうぞ」 「ああ、ありがとう。助かるわ」 俺の手を取り、中尉は難なく立ち上がる。怪我の類はないようで一安心だ。 「本当にごめんなさい。でも、もうすぐ予鈴が鳴るから早く教室に行った方がいいわよ」 「はい。こちらこそすみませんでした」 「いいえ、気にしないで。それじゃあ……」 ピアティフ中尉はそのまま早歩きで立ち去っていく。……それにしても、まさか霞だけではなく中尉までいるとは。向こうの記憶はないようだが、俺がいた『元の世界』とはもうだいぶ違っているみたいだ。……まさか、俺の知ってる人達みんなここにいたりして。ははは、そんなまさか。 「タケル、大丈夫だったか?」 「お怪我はありませんか?」 そんな思考の最中、冥夜と悠陽が心配げにこちらに寄って来る。今の今まで考えていたことは脇に追いやり、俺は二人に向きなおった。 「ああ、大丈夫だ。どこも痛めてないよ」 笑ってそう言ってやる。身体が痛いには痛いが、これはもともとあった筋肉痛のものだ。今ので怪我やなんかはまったくしていなかった。 俺がそう言うと、二人はほっとして息をついた。 「双方ともにお怪我などないようで、安心いたしました」 「うん。……それにしても、さっきタケルは咄嗟に彼女を庇おうと動いていたな。あれほど急な事態であっても身体が動くとは、常日頃の鍛錬は確実にそなたの中に息づいていると見える」 「ええ。私も感心いたしました」 「はは、そうか?」 まあ、そうなれるように今こうして運動しているわけだしな。勘や経験は既にあるのだから、あとはそれについてこれる身体だけだ。今はまだポンコツだが、それもいずれなくなって適応してくるだろう。日々の鍛錬は、着実に成果を出しているのだ。 二人と笑って和やかに話しているが、そろそろ予鈴が鳴る時間だ。さあ行こうか、と歩き出そうとしたところで、ぽん、と肩に手を置かれた。……うん、やっぱり逃げられないよな。 半ば諦めの境地で、俺は覚悟を決めた。やっぱり、どりるみるきぃかなぁ。 「す、純夏?」 振り向いた瞬間、俺は頬を握られた。つねられたのではない。文字通り握られたのだ。 「っひ、ひたいひたいひたひ!! ふ、ふみか! はなへぇ!」 「………………」 必死に訴える俺。……なのに、無言とかありえないだろ! しかもこれ、マジで痛い! 地味に痛い! そしてそのまま歩き出すな! ちぎれる、ちぎれるっつーの! 「………………」 いくら俺が涙目になろうとも止まらない純夏。しかも俺から見た純夏は背中なので、顔が見えない。こ、これはもしややばいのでは? 俺はそう思いつつ引きずられていく。呆気にとられている冥夜と悠陽、霞が遠ざかっていくぜ。 痛みに悶絶しながら純夏につき従っていると、純夏はいきなりぱっと手を離した。 「……っ! つ〜……ま、マジでちぎれるかと思った」 解放された頬をさする。たぶんここは真っ赤になってるだろうなぁ。 「……タケルちゃん」 ひっ、と喉の奥が鳴った。これは純夏は本当に怒ってる時の声だ。幼なじみを侮るなかれ。互いに大抵の行動やその前兆はわかっている。長い幼なじみの間、なにも俺が一度も純夏に逆襲されなかったわけじゃない。どりるみるきぃは確かに脅威だが、俺にとって一番の脅威は純夏のこれだった。幻の左よりもおっかないのだ。 「……言うことは、何かあるかな?」 「……ごめんなさい」 これだ。 俺が、俺自身も悪いことをしたと思っている時、純夏はこうして静かに怒るのだ。これがまたかなり俺には効く。良心を責められるというか……申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだ。 前は……確か俺が純夏の誕生日に出かける約束をした時だ。友達と遊んでいて約束の時間に大幅に遅刻した時。その時も純夏はこうして無言になって、俺に問いかけたのだ。「何か言うことはある?」と。あれは怖かった。 そんな時は俺は素直に謝ることに決めている。体裁なんて関係ない。必要なら土下座も辞さない所存だ。単純な暴力よりも、こっちのほうが俺には何倍も恐ろしいのだ。 俺が心から正直に謝ると、純夏はため息をつき、いつもみたいにむくれた顔をして見せた。それに俺は心底ほっとする。 「……もういいよ。でも、今日の晩御飯一品減らす」 「う……あ、甘んじて受けよう」 しっかりペナルティを課せられてしまった。やはり我が家の台所を一手に引き受ける純夏には、俺は頭が上がらない。食い物の力は偉大だ。特に若い男には。いくら向こうで先生に英雄とまで呼ばれた俺とはいえ、そこは同じということだな。…………あれ、これって尻に敷かれるって言わね? 「うん。それじゃあタケルちゃん、教室入ろうか」 「え?」 言われて気が付く今の場所。なんとそんなやり取りをしている間に俺たちの目の前には見慣れた教室の扉が。どうやら引きずられるようにしてここまで来ていたらしい。確かに予鈴には間に合わせることが出来たみたいだが、実に俺の精神に悪い数メートルだった。純夏の笑顔が眩しいぜ。 そしてそんな俺たちより遅れて、冥夜達が追いついてきた。霞については少し小走りだ。背の低い霞には歩幅が合わないんだろうなぁ。悪い、霞。 「タケル、鑑。そなたらの仲がいいのはわかったが、そう先に行くでない」 呆れたように、若干寂しそうに言うのは冥夜だ。さっきの行為を仲がいいで片づけられるのは微妙な気分だが……とりあえず放っておいてすまんかった。 「まあまあ冥夜。それよりも早く教室に入りましょう。もう予鈴が――」 言い終える前に、独特の高い鐘の音の録音っぽい放送が流れる。 「……鳴りました」 「タケルちゃん……」 「ま、まあもう教室の前にいるんだし、大丈夫だ」 霞と純夏の呟きに対してそう言いつつ俺は扉を開けて教室に足を踏み入れる。予鈴の途中は遅刻ではない。ギリギリのセーフである。俺に続くように皆も教室に入る。これで全員間に合ったということだ。 扉を開けた先には、我らが委員長の姿があった。俺達を認めると、委員長はため息をついた。間に合ったのに、それはないだろ。 「よお、おはよう委員長」 「おはよう、榊さん」 「おはよう、榊」 「おはようございます、榊さん」 「……おはようございます」 一斉に朝の挨拶をする俺たち。またしても委員長はため息だ。幸せが逃げるぜ、委員長。 「……おはよう。せっかく白銀君の遅刻も治ったと思ったのに、これじゃあ逆戻りね」 「あははは。タケルちゃんは常習犯だったからね〜」 「うっさい純夏。それに今日だって遅刻はしてないぞ」 それに対して、同じようなものよ、と委員長は返すが、そりゃひどいと思う。元遅刻常習犯から言わせてもらえば、遅刻と遅刻ギリギリっていうのは天と地ほども違う。何しろ、ギリギリであって遅刻ではないのだ。これは非常に大きい、まったくの別物である。 ということを語ってみたところ、呆れた顔を向けられた。 「そんなことを考える暇があるなら、もっと早く来て頂戴」 「………………」 ごもっともだった。 「まあ許せ榊。本来なら私達も十分間に合うはずだったのだが、少々間の悪い事態に遭っただけなのだ。タケルとてわざとではない」 「……間の悪い事態?」 「ええ。武様と新任の教諭の方が出会い頭にぶつかってしまわれたのです」 「どうせ白銀君の前方不注意でしょ?」 いったい委員長の中の俺のイメージはどうなってるんだろう。今ほどそれを知りたいと思ったことはない。 「いいえ、曲がり角でのことでしたので、恐らく回避することは不可能だったと……」 さりげなくフォローしてくれる悠陽。さすがは悠陽。民を想う心は失われていないようだ。 委員長はそれなら仕方がないと思ったのか、肩肘張っていた相好を崩す。冥夜や悠陽は俺寄りの意見を言うことが多いとはいえ、根底では公平な目で物を見ている。だからこそ悠陽の言葉を信用したのだろう。これが俺だったら、と思うとどうなったか想像に難くない。 「……まあ、結果としては間に合っているしね。でも、今後はもっと余裕をもってね」 「ああ。悪いな」 素直にそう口にすれば、委員長は目をそらして、別に、と素気ない。どうにもここ最近の皆の反応が俺の知るものと違う気がするなぁ。まあ、絶対一緒ってわけではないんだろうから当たり前なんだろうが。『元の世界』ではここらへんで突っかかってきてたはずだけど……それだけ俺がガキだったってことなんだろうか。 などとしみじみしていると、委員長の近くにいた美琴が話を聞いていたのか会話に参加してくる。 「ねぇねぇ、悠陽さん。どうしてその人が新任の先生だってわかったの?」 「あ、ミキも知りたいですー!」 え、たま? いったいいつの間に紛れ込んでいたんだ? 「珠瀬さん、もう予鈴鳴り終わったわよ! あ、ほら皆も席に着きましょう。もう先生がいらっしゃるわよ!」 「あ、まりも先生は少し遅くなるって言ってましたー!」 「なんでそんなこと知ってるんだ?」 「えへへー、ミキが廊下を大ダッシュしてたら先生に呼び止められたんですー!」 結局は遅刻ってことじゃないか。 委員長もあきらめ気味に溜め息をついている。苦労が絶えないな、我らが委員長は。 「それでそれで悠陽さん、どうしてなの?」 改めて純夏が興味津々な様子を隠すこともなく訊くと、悠陽はひとつ頷いて話し始めた。 「ええ……本校が世界各国に多くの姉妹校を持っていることはみなさんご存じだと思います。交換留学制度もそんな関係の中で当然のように存在していますが、本校のものは他の通常のものとは少々毛色が違っておるのです」 「交換留学とは生徒だけに限ったことではない。教職員に対してもそれは適用される。今までは諸般の事情でそれが叶うことはなかったが……今回初めて実施される運びとなったと聞いている」 「教師も交換で来ることがあるって言うのか? そりゃ珍しいな」 悠陽、冥夜の説明を聞いて思わず感心してしまう。よくもまあそんな制度を作ったものだ。 「だからさっきは新任の先生だってわかったんだね」 納得顔で純夏が頷いている。校内に見たことのない外国人がいて、その格好は学生ではなくスーツだった。さらにこの学校にそんな特殊な交換留学制度があるとなれば、さっきの悠陽の発言も頷くことが出来る。 俺たちが納得するのと同じように、話を聞いていた面々も驚嘆といった様子で感心しきりだ。委員長までそうだったのか、と驚いた顔をしている。 「委員長、知らなかったのか?」 「……入学の時に聞いたことがある気がするけど……今の話を聞くまで思い出しもしなかったわ」 「知ってただけでも十分凄いって。……あ、ひょっとして霞もそれで来たのか?」 「……はい。その通りです」 ふと思いついて聞いてみれば、霞はその通りだと言う。ロシアなんて日本とは縁遠そうな国からいきなりの転入生っていうのは、そういう背景があったらしい。まあ、霞が記憶を持っている時点でいつかはこっちに来ることになっていただろうけど、これだけ急に来れたのもその制度があったからこそなのだろう。そう思うと、その制度には感謝しないといけないのかもしれないな。 霞の頭をぽんぽんと撫でる。霞はいきなりのことに目を白黒させたが、それだけだった。 「しっかし冥夜達もよくそんなこと知ってるな。やっぱりこれから通うことになるんだし、調べたからか?」 俺が単純にそう思ったので素直に口にすると、冥夜と悠陽はそろって唇を引き締めて沈痛な面持ちになった。え、俺なにか地雷踏んだのか? 「私達と接触の可能性のある人物の素性は、すべて調べられるからな……」 「それは留学制度を利用していらした教諭であっても例外ではありません」 なるほど、と思うと同時に俺は二人の表情の意味を悟って、しまったなぁと眉を寄せた。考えてみればわかることだった。 「つまり、私達は皆の身辺も勝手に調査したということだ」 「ですが、我々にそれが知らされることはありません。それを知るのは月詠だけ……。皆さんの情報を私達が全て知っているとしたら、あまり気分の良いものではございませんでしょう?」 「それは……そうね。正直に言えば、その通りだわ」 二人の言葉に、委員長は正直にそう答える。美琴やたまも同じ気持ちのようで、控え目に頷いていた。それを見て、俺は内心で溜め息を吐く。こういうことにならないように配慮するのは俺の役割なのだ。俺はこの中でいちばん年上だし、二人の事情も知っている。だというのに、俺がむしろ煽るような形になってしまった。本意じゃない事態ゆえに、溜め息も付きたくなるというものだ。 そして冥夜と悠陽もそれをわざわざ言う必要はないというのに、素直に話してしまうものだから、どうしようもない。友達だからこそ、そういう遠慮抜きで接してほしいのだろう。そのために最悪、距離を置かれかねない行動に出るなんて、馬鹿正直もいいところだ。 ……もっとも、俺はこいつらのそういうところが好きなんだが。俺にはない、自分の心に掲げた信念にどこまでも正直に生きるその姿にこそ、俺はかつて焦がれたのだ。だからこそ、俺の中での冥夜や殿下は特別なのだ。こっちでも変わらない二人の姿を見ることは、実に嬉しいことでもある。 まったく、しょうがない奴らだと思いつつ、苦笑が浮かぶ。 「私達は御剣のシステムに守られている。私達自身がそれを知らなくても何も問題はない。ただ……」 「警護の者達が皆さんのことを調査した事実は変わりません。どうかお許しください」 「許すがよいぞ……」 そう言って頭を下げた二人に、美琴や委員長達は慌てた。みんなにしてみれば、確かにいい気分になれることではないかもしれないが、そんなことで二人のことをどうこうしようなんて、考えるわけもないからだ。 「そ、そんなこと気にしなくてもいいよ〜」 「そうよ。それに逆を言えば私達に怪しいところがないから此処にいるってことでしょう?」 美琴と委員長が言う言葉に続いて、たまや霞に純夏も口を開く。 「そ、そうですよ〜」 「……そうです」 「そうだよ。それぐらいで冥夜さんと悠陽さんのこと嫌ったりしないよ。友達だもん」 やっぱり、というか実に俺の予想通りの反応ばかりだった。みんながそんなことを気にしているわけがないのだ。友人関係にそんな無粋なものは必要ない。それをみんな、自然と理解しているからこそ、俺はこの仲間たちを大切に思うのだ。 当り前のことだから、今さら気にしない。きっぱりと言い切った純夏の言葉はそれをよく表していると思う。 冥夜と悠陽はそんな物言いにわずかに驚いたようだったが、次第に表情を緩めて口元に笑みを浮かべた。 「……なるほど。タケルがそなたに惹かれた理由、わかった気がするな」 「ふふ、それでこそ私達の最大のライバルですわ」 「へ?」 純夏は頭の上にクエスチョンマークを浮かべているが、冥夜達はそんなことお構いなしにしたり顔でうんうんと頷いている。悠陽の台詞には何やら不穏な空気を感じるが、結局純夏たちの言葉は二人に届いたということだろう。気まずい空気はもう完全にどこかへ行ってしまっていた。 そして今度は笑顔で、冥夜達はみんなに向き合った。 「そなたたちに感謝を。皆のような者に出会えたこと、誇りに思う」 「私達への温かい配慮、感謝いたします」 そうしてまた頭を下げた二人に、今度はみんな一斉に照れてしどろもどろになる。霞はきょとんとした顔をして照れ笑いを浮かべる一同を眺めていた。こうして皆が笑い合える光景を見ると、俺まで嬉しくなってくるから、なんとも不思議だ。霞もだんだんとこの空気に馴染んできているようだし、我らが仲間たちは平和そのものだ。そう……こういう学園生活を俺は望んでいたのだ。危険に脅かされない日常。俺はそれを噛みしめながら笑い合うみんなを見つめていた。 さて、そうしている間に冥夜達が言っていた件は気にしないことになったようだった。誰もそんなこと考えて人付き合いをしようなどとは思っていないのだから、当然と言えば当然だと言える。そうすると、次の話題は俺がさっき新任教師とぶつかった事故についての話に移った。 いくつか話したあと、冥夜が突然思い出したように口を開いた。 「……それにしても、タケルのあの反応は見事だった。その教諭を咄嗟とはいえ庇う反射神経とそれに対応する身体。普段からの自己研鑽がなければありえない動きだ」 どことなく誇らしげにその時のことを回想して言う。俺としては結局支えきれずに倒れこんでしまったので、そんな自慢するようなことでもないのだが、冥夜には違うらしい。 悠陽もまたそれに便乗した。 「そうですわね。最終的に倒れてしまわれた時も、先生のお身体を傷つけぬよう、自身を下に敷いておりました。さすがは武様、素晴らしいことです」 嬉しそうに微笑んでそう言われてしまうと、確かにそういうつもりではあったとはいえ、実は筋肉痛でうまく身体が動かなかったせいだとは言いづらい。俺は曖昧に笑うしかなかった。 だが、そんな俺の話は委員長たちには美談と受け取られたようだ。凄い、優しい、と輝いた目で声をかけてきてくれるが、はっきり言って居心地が悪い。嬉しいことは嬉しいんだが、何となく後ろめたいぜ。それらにも曖昧に笑い返していたが――、 次の冥夜の一言でそんな俺に対する視線は一変する。 「――タケルには女性に対する配慮がしっかり備わっているようだ。誇るべき長所だと思う」 ……輝いていた目が澱んでいく……。ああ、ちくしょう、絶対こうなると思ってたよ。 「……女性?」 「タケルが助けた先生って女の人だったの?」 「ええ。それはもう美しいお方でした」 ピアティフ中尉は確かに綺麗な人だから、悠陽がそう返すのは当たり前なのだが……状況が悪いと言わざるを得ないだろう。案の定みんなの俺を見る視線は一気に氷点下にまで下降していた。 「……ふーん、下敷きにねぇ」 「……たけるさん……」 委員長の何かを確信した懐疑的な目が痛い。たまの「なんだか裏切られた気分です」的な目も精神的に来る。お前らが勝手に勘違いしたんだろ! とは言いたくても言えないチキンな俺である。 「……よく無事だったね」 「おわっ!?」 唐突に背後から聞こえてきた声に驚いて俺は思わずその場から飛びのいた。独特のハスキーな声はもちろんよく知る彩峰のものであったが、こいつはいつから話を聞いていたのだろうか。少なくとも今来たばかりではわからない物言いだったのだが。 それに、なぜそんな驚きが出てくる? 「……白銀は随分と丈夫」 「なんの話だ?」 「……普通なら、潰れたカエル」 「だから何の話を」 「……男と抱擁?」 「なんでそうなる!」 彩峰が何を言いたいのかは薄々わかったが、最後の言葉には断固として反論する。そもそも俺は純夏と付き合っていると公言しているんだから、そんな疑惑が出るはずもないだろうが! それに、丈夫だの潰れたカエルだのどう考えてもその対象が重いという前提の話だ。それは女性のピアティフ中尉には失礼だろう。というか、俺が下敷きになった話を聞いてるんならその相手が女性だったことも知ってるはずだろうに。 「あ、あの〜彩峰さん? タケルちゃんが下敷きになった人は女の人なんだけど……」 「え……?」 なぜそこでそうも驚くんだ。絶対聞いてただろうが、お前。 「それにタケルちゃんが、お、男の人にそういう感情を持つなんてあり得ないよ。ねぇ、タケルちゃん」 「……ああ」 純夏……。そう言ってくれることは純粋に嬉しいが、それならせめて心から俺のことを信じてくれ。窺うような目でこっちを見るのは止めろ、マジで。 「そうだな。鑑と恋仲だという点からもそれは実証できる」 「ええ。それにその方は本当に華奢な感じの女性でしたし、彩峰さんは別の方を見られたのではないでしょうか?」 「……まあね」 って、おい! 最初からそう思ってたならそう言えよ! おかげで危うく俺にいらぬ疑いがかけられるところだったじゃないか! 「まったく、勘弁してほしいぜ。なあ委員長」 「え、そ、そうね」 俺が憤慨しながら話を振ると、委員長はバツが悪そうに返事をどもらせた。まさかと思ってたまを見ると、たまは明後日の方向を向いて吹けもしない口笛を吹こうとしているのか唇をすぼめている。美琴はどうだと思って美琴を見ると、いつの間にやら近くにいた柏木と話していた。……いつの間にこっちの話から抜けだしたんだお前は。 結局近しい人間のほとんどは俺にあらぬ誤解を抱きつつあったらしい。それを悟るとさすがに虚しくなってくる。 「……白銀さん」 俺が肩を落としていると、霞が慰めるように俺の傍に寄ってきていた。ああ、やっぱり霞は俺にとっての癒しだ。その小動物っぽいところがまた穏やかな気持ちにさせてくれる。 「ありがとう、霞。お前だけは信じていたよ俺は」 さっきと同じように霞の頭を撫でまわす。そして霞の頭を撫でながら、俺はわずかに霞の耳元に口を寄せた。 「……ピアティフ中尉のこと、霞はどう思う?」 霞はそれを聞いてさっと表情を引き締めた。 「……わかりません。ただ、純夏さんはピアティフ中尉とそれほど親交があったわけではないですし、純夏さんが望んだとは……」 「そうか……わかった」 俺も彼女とそんなに交流があったわけではない。だとすれば、今回の教職員交換で偶然来たという考えが一番当てはまるかもしれない。さっき会ったピアティフ中尉は確かに俺の知る彼女とあんまり違いがないほどだったが、俺たちのように記憶を持っている様子はなかった。偶然という言葉で片付けても問題なさそうだ。 俺はとりあえずそうしてこの問題に切りをつけると、霞の頭を撫でていた手を離した。 霞はくしゃくしゃになった髪を一生懸命直している。と、それを見た純夏が霞の手を止めさせた。 「ああ、ほら霞ちゃん。わたしがやってあげるから、そんな適当にやっちゃダメだよ」 「……すみません、純夏さん」 申し訳なさそうにしている霞に、純夏は上機嫌で霞の髪を梳かしていく。わずか一週間前に初めて会ったとは思えないほど、その光景は自然なものだ。やはりお互いに先んじて相手への理解があったことが理由に挙げられるだろう。それからの一週間で二人がどれだけ交流を持ったかは正確には分からないが、俺は学校を帰ってから純夏の家に入り浸っていたし、それなりには知っているつもりだ。どう見ても姉妹にしか見えない振舞いはその時からあった。 霞も幸せになろうとしている。そう思えて、俺は二人の関係に随分と安心した覚えがある。今の光景もそうだ。 二人と俺のやり取りはもう既に日常と化しつつあったので、もう突っ込む人間もいない。何気にたまも霞の髪に手を伸ばして色々いじっているようだ。たまは霞とそれほど背も違わないし、親近感を抱いてるのかもしれない。まあ、霞も楽しそうにしているし、微笑ましいものだと思う。 と、がらがらと教室の扉が開かれた。現れたのはもちろん、担任のまりもちゃんだ。 「みんな〜、遅れてごめんねぇ! さ、席について〜」 謝りながら教卓までまりもちゃんが行く間に、俺達も自分たちの席へと散り散りに別れていく。そしてある程度落ち着いたところで、委員長の号令がかかった。それも終わり、いくつかの簡単な連絡事項だけ伝えると、まりもちゃんは一息ついて笑顔を浮かべた。 「――さて、最後に皆さんに素敵なお知らせがあります。とっても急な話なんだけど、実は今日、この学園に外国人の先生がいらっしゃることになりました」 その知らせにクラス中がわっと歓声を上げる。特にさっき俺たちが話していた付近にいた男子の反応は顕著だ。明らかにピアティフ中尉の話を聞いていたと思われる。同じ男として気持ちは大いにわかるがな。 「せんせ〜、キョーショクインコーカン制度ですよね〜」 「あら珠瀬さん、よく知ってるわね〜」 「えへへ〜」 明らかに棒読みだったけどな。 「世界中の姉妹校から四人の先生方に来ていただいたの。正式な発表と各先生方の紹介はこのあと行われる臨時の全校集会で、ということになっているんだけど……先に簡単にお話ししておくわね。今回来ていただいた先生は、四人全員わが校の姉妹校から紹介された方々よ。日本語もとってもお上手だから、あんまり気負う必要もないわよ。今回、こちらの文化を知ってもらうとともに、私達もあちらの文化を学ぶという目的でこの高官が実施された、という訳なの。で、そのうち二人は女性で、しかもと〜っても美人なのよ? 白銀君、よかったわね〜!」 ……先生、俺は純夏と付き合ってるって言ってあるはずなのに、どうしてわざわざ刺激するようなことを言うんですか! ああ、ほらまた純夏がこっちに疑惑の視線を向けてるし! く、くそっ。あんた自分に恋人がいないからって僻んでるんじゃ―― 「あら、白銀君。何か言うことでも?」 ……なーんてことはないですよね、まさか。はは、やだなあ。僕はそんなこと欠片も考えていませんよ。 俺は笑顔に隠された脅威の目力に早々に屈して、何でもありませんよ、とさわやかに返しておいた。まりもちゃんも笑顔で、それならいいのよ、と満足げに頷いていらっしゃる。 ……俺ってそんなにわかりやすい表情をしているのだろうか。一瞬、真剣にサトラレかなんかなんじゃないかと俺は自分を疑った。 「ところで皆さんにもう一つお知らせがあります。実は……海外からいらした先生のお一人に、B組の副担任をお願いすることになりました! すごいでしょ!?」 さらに告げられた言葉に、さっき以上の大歓声が上がる。俺もその言葉には驚いた。ということは、まさかピアティフ中尉がここに来るのだろうか。いや、四人と言っていたから絶対にそうとは言えないけど。 どちらにせよ俺が経験したことのない事態だ。ほんの少しの違和感と一緒に、単純な期待感が高まる。そんな俺たちを見て、まりもちゃんはにっこり微笑んだ。 「それじゃあ、さっそく紹介するわね。――Please come in!」 がらっと扉が開かれて、歓声を上げる準備をしていた生徒一同は――、 一斉に固まった。 「……ふむ、大変静かなクラスのようだ。いささか元気が足りない気もするが」 そして俺もまた一同とはまったく違う理由で開いた口がふさがらない。いたって冷静にこちらの状況を評しながら入ってこられましたが……、いやマジで? その新任の教師は、筋骨隆々なデカい図体を余計な動作のないきっちりとした歩みで進ませ、教壇の横で立ち止まった。そして、その身体を半回転。俺たちのほうへと顔を向けると、存外大きな声で高らかに宣言した。 「――私は、本日付で本校に赴任したアルフレッド・ウォーケン。アメリカからやって来た。諸君と共に学べることを誇りに思う」 って、やっぱりウォーケン少佐かよ!? 顔を見た瞬間からそうだと思ってはいたが、一縷の望みにかけてただのそっくりさんだと思いたかったのに! ピアティフ中尉といい、ウォーケン少佐といい、この世界は一体どうなっているんだ。 「「「「――話が違ぁう〜〜ッ!」」」」 さっきまでの俺たちの会話を聞いていた男連中から落胆と非難の声が上がるが、俺はそんなことよりもウォーケン少佐がここにいるという現実に衝撃を受けていた。しかも、観察してみるとどうにも妙な点が多々あるのだ。 なにより、ウォーケン少佐の独特の歩き方や何気ない身のこなしが気にかかってしょうがない。無意識に足音を生じさせにくい足の運びをし、両腕は力を込めすぎず適度に脱力している。……まあ、二つ目は微妙だけど最初のものは誤魔化しようがない。足の運びはまるで鎧衣課長のそれのような独特なものだ。極力余計な音を出そうとしない歩みは、軍のそれよりも情報部のそれに近い。こっちでは無用の知識だったが、こんなところで役に立つとは人生わからないものである。 そして何よりも雰囲気が何となくそれらしい。この何となくは結構大事だ。俺たち衛士――特にA-01にとっての第六感は格別頼りになる。それは夕呼先生いわく、『最良の未来を選び取る能力』によるものに他ならないからだ。もし俺が危険だと直感的に感じたなら、その直感は“危険に遭う”という未来を感じ取ったことで、より良い結果へと結び付けようとするものになる。00ユニット候補というのは伊達ではないのだ。 そしていま、俺はウォーケン少佐を見て、“何かある”と直感的に思った。今思えば、ピアティフ中尉もどことなく慄然とした動きをしていて、軍隊的だと言えなくもない。俺の中の直感は、だんだんと確信へと変化しつつあった。 そう俺が思考する間も、周囲の喧騒は続いていく。予想とは違って美人の先生ではなかったことに対して、ぶーぶー文句を言う男子に、まりもちゃんは諌めるように声をかけた。 「ちょっとみんな! 人聞きの悪いこと言わないでよね!」 それにもまだ納得いかなさそうに不平を述べる、主にクラスの男子。まりもちゃんもそれに対して言って聞かせるように叱っていた。 と、そんな中、俺は前の席の霞の背中を突っついていた。 「…………?」 訝しげに振り返った霞に、俺は小声で話しかける。 「……霞、お前ウォーケン少佐のことは知ってるか?」 霞は無言でうなずく。 「ピアティフ中尉にウォーケン少佐……しかも、二人とも一般人には思えない感じがする――これは俺の勘だけど、何かある気がする」 「………………」 霞はまた頷いた。霞はオルタネイティヴ計画の中心にいたから、俺が言う勘がどんな意味を持つのかよくわかっているはずだ。俺たちA-01の勘は勘ではない。それはすなわち、最良の未来へ繋がる鍵なのだ。それを知る霞なのだ、俺が言いたいことはわかってくれたはずだ。 つまり、放っておけば何かよくないことが起こる、という確信である。 「……今はまだ、どうしようもない。だけど、何かしないといけない。俺も考えるけど、霞も何か手を考えてみてくれないか」 「………………」 霞が頷いたのを見て、俺は前に乗り出し気味になっていた身体を元の位置に戻す。ウォーケン少佐やピアティフ中尉の存在自体、わからないことだらけだが、これから何が起こるのかも同じくらいわからない。何かあるだろうことは確信しているのに、何も出来ないというのはひどくもどかしい。俺は眉をしかめながら頭を巡らせていた。 軍……というよりは、どちらかというと諜報系のそれに似た動きから、スパイや工作員といった可能性が考えられる。だとすれば、何を調べる必要があるのか。ここで向こうの世界を知っているならば俺や霞だといえるかもしれないが、二人ともそんな感じはしない。ということは、別の何かということになる。では、それが何か。この場で俺たち以外に特殊な存在となると――、 「――特に貴様ッ!」 「……ッ!?」 がたん、と音を立てて俺は机のあった場所から飛びのいていた。完全に思考に没頭していた時にいきなり大声で声をかけられたことで、怒気を敵意だと認識してしまったらしい。 まずい、と冷や汗が流れた。条件反射的に臨戦態勢を取ろうとしてしまった。もし相手がこちらに何か不利な目的がある場合、俺がそういった荒事に向いているという点を見せるのは得策ではない。何とか完全な臨戦態勢をとるのはぎりぎりで止められたが、俺の反応は不審に思うだろう。内心で舌を打つ。 「……貴様は先ほどから私の話を聞いていないようだったな。日本人は礼節を重んじる民族であると私は聞いているが、貴様には当てはまらんようだ」 「――申し訳ありません!」 くそ、いきなり悪印象をもたれてどうする。相手はあのウォーケン少佐なんだ。今の態度が演技なのかどうかは知らないが、間違いなくここで疑問を持たれるのは良いことじゃないっていうのに。 「すぐに自分の非を認める点は良いだろう。だが、人の話の最中に私語を交わすことは誉められたことではない! 日本男児として恥を知るがいい!」 「はいっ! 申し訳ありません!」 「貴様、名は何という」 「白銀武です!」 「では白銀三年生。以後は日本人らしく礼節を持ち、日本男児としての矜持を忘れるな」 「はっ!」 あ、やべ。最後だけなんか『あっち』での応答みたいになってしまった。ちらりとウォーケン少佐のほうを見るが、特に気にしていないようだ。ほっと一息吐く。 ってか、あんたも白銀“三年生”ってなんだ。三年生って。 「……タケルちゃん、大丈夫? 気を付けなよ〜」 「ああ、悪い。お前も前向いとけ。目ぇつけられるぞ」 「うっ、そ、そうだね」 純夏が俺と話そうとすると、自然ななめ後ろを見る形になる。それを見逃すようなことを、ウォーケン少佐はしそうにない。俺がやんわり促すと、純夏もあの人に目をつけられるのは嫌なのか、すぐに前を向いた。 しかし、どうにもこのウォーケン少佐……いや、ウォーケン先生と言うべきなのか? まあウォーケン先生にしておこう。このウォーケン先生、俺が知っている少佐とは違っていくらか態度が柔らかい気がする。どことなく漂う日本贔屓っぽいところといい。 「……さて、いま白銀三年生にも言ったが、私は日本人の持つ礼儀正しさや慎み深さ。そしてそれを支える大和魂は大変素晴らしいものだと考えている。諸君もその誇り高い大和魂を受け継ぐ者としての自覚を持ち、日本人として相応しい行動を常に心がけるようにしてもらいたい。――では、出席を取る」 訂正。どことなくではなく、かなりおおっぴらだった。……ひょっとして、ただの日本かぶれの外国人なんじゃないのか? そう思いたくなってきた。いやいや油断を誘うためかもしれない。俺はかぶりを振って気を引き締めた。 「あ、あのぅ……ウォーケン先生? 出席ならさっき私が……」 「呼ばれた者は起立して返事をしろ。では出席番号一番から――」 「あ、あうぅ〜……」 ……まりもちゃん、見事なまでに相手にされてないな。ここまでくるとかなり可哀想になってきた。夕呼先生といい、ウォーケン先生といい、周りの人に恵まれない人だなぁ。 そういえば、交換留学で来た先生は四人だったよな。ピアティフ中尉、ウォーケン少佐、ときたらあとの二人は誰なんだろうか。いや、別に俺が知ってる人とは限らないか。全く知らない赤の他人が来ているのかもしれない。……というか、そう思いたいなぁ。 と、色々考えている間にかなり出欠確認は進んだようだ。……というか、俺とばされたぞ? ああ、さっき直接名前聞かれたからか。納得。 「――御剣冥夜!」 「は! ……畏れながら、先ほどの教諭の日本精神への造詣の深さには、この冥夜、心底驚嘆いたしました」 名前を呼ばれ、右隣で冥夜が立ちあがってそんなことをのたまう。……まあ、確かに冥夜好みの話だったかもしれない。 「ほう……その物腰。大和撫子というものはやはり――む、それは……刀? しかもかなりの業物とみえるが……」 「ふふ……なかなかのご慧眼。これは『皆流神威』と申しまして、我が御剣家に代々伝わる宝刀の一振りにございます」 「刀は武士の魂と聞く。叶うなら、ぜひ一度拝覧したいものだ」 本当に名残惜しそうに頷いている。……なんか、だんだん演技じゃなくて素なんじゃないかと思えてきたな。 「は。いつ何なりとお声をおかけください」 「うむ。楽しみにしているぞ」 冥夜の提案に満足げに頷く。油断するつもりはないんだが、どうにも力が抜けてしょうがない。本当にウォーケン先生は危険なんだろうか。いや、もちろんあの動きなどから怪しいことは分かっているんだが、疑いたくなってきた。どうにも、善人っぽいんだよなぁ、今の先生って。 「――次、御剣悠陽!」 「……は」 「――…………」 なんだ、先生の動きが急に止まったが……。名前を呼ばれて立っている悠陽も怪訝な顔をしている。悠陽が一度声をかけても、相変わらずウォーケン先生に動きはない。いったいどうしたっていうんだ? 「君は……御剣冥夜の……」 「はい、双子の姉にございます」 「………………」 「……あの……ウォーケン教諭?」 やはり黙りこんでしまったウォーケン先生に、悠陽は再度声をかける。 すると、ウォーケン先生は悠陽の席まで近づき、すっとこちらが惚れ惚れするほど綺麗な一礼をして見せた。 「殿下……この度は拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に存じます」 「……はあ……?」 ――ッ! ……いま、咄嗟に動くことのなかった自分を誉めてやりたい。思わずウォーケン先生に手を出しかねないほど、今の俺は動揺していた。 ちらりと視線を移せば、霞も驚いてウォーケン先生を凝視している。事情を知る純夏は、戸惑うように視線を彷徨わせていた。 「……武様も私のことをそうおっしゃっておりましたが、あの……デンカとはどのような……」 「なんですと、白銀三年生も……。ふむ……」 じろり、とウォーケン先生の目がこちらに向けられる。俺はそれに対してわずかに身を低くして警戒を強める。悠陽のことを“殿下”と呼ぶことが出来るのは、『向こうの世界』での悠陽の立場――煌武院悠陽という存在を知っている者だけだ。そしてそれを知っている者は、俺と霞、そして話して聞かせた純夏しか知るはずのないこと。ウォーケン先生が知るはずはないのだ。 もし可能性があるとするなら、ウォーケン先生が俺の知る少佐であるという場合。それならば悠陽のことを殿下と呼ぶ理由は説明できる。しかし、だとするなら今ここでわざわざそう呼ぶ理由はなんだというのだろう。少佐は米国軍人だった。日本の将軍だった悠陽にそこまで執着する意味はないはずだ。 結局、何故かという問いに答えは出ない。ただ、ウォーケン先生がそれを知っているのは不自然だということだけは確かだ。ウォーケン先生はゆっくりと俺に近づいてくる。そして警戒を強める俺の肩に、その厳つい手を置いた。 「……白銀三年生。貴様を見る目を改めよう。貴様は私と同じく、真の大和撫子というものを感じる敬虔な心を持っているようだ」 「――………………は?」 予想外の言葉に呆気にとられる俺を置いて、先生はうんうんと頷いている。 「日本女性の美しさは、その外見だけにあらず。慎み深く人を思いやるその気勢だけでなく、滲み出る内心の強さもまた美しい。大和魂とは男だけのものではなく、女性にもまたそれ相応の魂とでも呼べる魅力があるのだ。それを感じ取れるとは……貴様には日本に対する愛国心と敬慕の念を感じる。私もまだまだ人を見る目がなっていないようだ」 噛み締めるように何を語ってるんだこの人は? なぜそれが殿下という発言につながるのか、俺には理解できない。っていうか、いつの間に俺はこんなに気に入られてしまったんだ? 「殿下、とは皇族や将軍など位の高い者に対する敬称だが、私は尊敬に値する者に対する称号だとも思っている。相応の人物に会った時――人は自然と相手を敬ってしまうものだ。……故に貴様の気持ちはわかるぞ、白銀三年生! 貴様とは一度腹を割って日本について話してみたいものだ」 はっはっは、と機嫌が好さそうに笑って、俺の肩をばしばし叩くウォーケン先生。体格に見合う馬鹿力が凄く痛い。俺は未だに呆然としてしまって言葉もないが、そんなことは気にせずウォーケン先生はひどく楽しそうだ。……まさか、俺の勘違いだったのか? だとすればまあ安心は安心だが……、直感は直感で俺は信用している。最低限の警戒だけはしておこう。 ただ、そこまで気を張る必要はないのかもしれない、と俺は結論付けた。――というわけでとりあえず、 「……ありがとうございます」 とだけ返しておこう。むしろこれ以外にどう言えばいいというのだろう。 だがウォーケン先生はそれだけでも満足だったのか、機嫌は良さそうなまま俺の肩をもう一度叩いて教壇のほうへと戻っていった。……筋肉痛と相まって肩が痛い。 「……白銀さん」 「……まあ、一応は大丈夫だろ。様子見ぐらいに警戒はしておくけど……」 「……はい。敵意は、ありませんでした……」 心配げにこちらを伺っていた霞に、小声でそう伝えると、霞は真剣な表情でそう返してきた。どうやらリーディングをしてウォーケン先生のことを確かめていたらしい。さっきのやり取りで敵意がなかったというのなら、少なくとも今は敵じゃないということだろう。ウォーケン先生が何者かはわからないが、そこまで警戒を強める必要はないみたいで、俺もいささか安心できた。 霞に礼を言って、こちらもずっと見ていた純夏に手を振って大丈夫だとアピールしておく。それを見てほっとしたらしい純夏は、笑顔で良かった、と唇を動かした。俺もそれを見て頷いて見せた。 そんなやり取りをしている間に、ウォーケン先生から今後の予定が伝えられる。LHRでは球技大会の選手選定――、もうそんな時期だったんだなぁと俺は思いもひとしおだ。そして最後に全校集会のために講堂に移動する旨が伝えられる。 「――では諸君、これより各自速やかに講堂に移動せよ! ――以上!」 ――との言葉に従って、俺たちは廊下を移動している。その間、俺たちは新しくやってきた副担任……ウォーケン先生についての話に花を咲かせていた。 変わった外国人、というのが俺たちの総意だったが、冥夜だけは少し違ったようだ。共感できる考えを持つ現代の侍だと評していた。確かにそう言えなくもないかもしれないが、規律にうるさい姿は侍と言うより軍人だったと思うぞ。まあ、俺の先入観がそう思わせているのかもしれないけどさ。 とはいえ、悠陽はさすがにあれだけベタ褒めされていたこともあって悪感情は抱いていないみたいだ。他の皆も同様。変わっているけど、いい先生、というのが俺たちの出した結論だった。もっとも、妙に気に入られたらしい俺には微妙な視線が向けられていたが。……朝のちょっとした疑惑がまた皆の中で鎌首をもたげたとでもいうのだろうか? そうだとしたら俺は激しくへこむ。俺だって気に入られようとしたわけじゃないのに。 と、少し影を背負っていたら、悠陽がいつの間にか俺の腕を取っていた。……ほわい? 「……ふふふ、私のことを最初に殿下と呼んでいたのは、武様に私を想い慕うお気持ちがあったからなんですね」 なんて言ってくれたもんだから、再び俺の周りは賑やかになってしまった。 冥夜は対抗しようとするし、委員長や美琴はこっちを睨んでくるし、彩峰にたまや柏木は普段通りに見えつつもどことなく機嫌が悪いし、純夏は俺をきつく睨みながら悠陽を俺から引き離そうとしているし。……ただ霞は冷めた目でこっちを見ていた。実はそれが一番効いていたりする俺である。気分的には浮気現場を娘に見られた父親みたいな気分? 娘持ったことないけど。 なんてことを繰り広げていると、そんな相変わらずな俺達を見ていたまりもちゃんに叱責された。それでみんな我にかえって、静かになってくれたし、悠陽も離れてくれた。俺はほっとすると同時にまりもちゃんに深く感謝した。純夏や霞の視線は心臓に悪かったからだ。 ……ただ、まりもちゃん。小声で「わたし今、先生らしかったよね?」とか聞いてこないでください。そこまで自信なくしてたんですか。 そしてそんな俺達を見て何やらメモをとっているウォーケン先生。……たぶん今後のために勉強するためなんだろうけど、何か学ぶことがあったのか今の。 とまあ、そんな感じで俺たちは講堂へとたどり着いた。まだ講堂内は生徒たちのざわめきがあふれている。恐らくもうすぐ集会も始まるだろう。俺はふぅ、とため息をついた。 ……今日学校に来る前までは、こんな色々起こるなんて考えることなく、幸せな退屈な日常がやって来ると思っていたのに、なんでこんなことになってしまったんだろう。ピアティフ中尉、ウォーケン少佐の来訪。驚くなんて言葉じゃ表しきれないほどの衝撃だった。しかも、まだ今は朝の一時限目でしかないのだ。もう既に一日過ごしたかのような疲労感に包まれている俺には、これからの授業は気が重くてしょうがない。俺はもう一度ため息をついて肩を落とした。 ――だが、これだけの大盤振る舞いで驚かされたのだから、もうこれ以上驚くことはやってこないだろう。そう思うとわずかばかりだが気が軽くなった。実際、これ以上驚くことなんてなさそうだ。交換留学の他の二人が俺の知っている人だったとしても、そこまで驚かないだろう。既に二人に会ってかなりの衝撃を受けているのだから。 そう頷きながら自分の中で決着をつけたところで、生徒のざわめきがおさまっていくのを感じた。ようやく全校集会が始まるらしい。いつもより準備に時間がかかっていたが、何かあったわけではなさそうだ。潰れてくれればよかったのに。 『ただいまから、全校集会を行います』 マイクを通した教師の声が講堂の中に響き渡る。生徒一同、静かに起立をしていて私語はない。 『学園長挨拶』 ――と言われた途端、周囲は私語で溢れかえった。どちらかというと困惑の声だ。いったいなにがあったというのだろうか。俺は内心で首をひねった。 よくよく見ていると、皆の視線が檀上に向かっている。どうやら檀上に何か問題があるらしい。俺は何の気もなくその視線を追って檀上に目を向けた。 『諸君! 私はこの度、インド共和国より赴任したパウル・ラダビノット学園長であぁるッッ!』 って、よりによってアンタかよ! 俺は記憶に刷り込まれた独特のバリトンボイスを聞き、心の中で今日一番の衝撃を与えてくれた存在に盛大に突っ込んだ。
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| ――To Be Continued |