Muv-Luv Truth Episode












「――はっ、はっ……はっ、はっ……」


 まだ朝露冷える早朝。秋は夕暮れ、冬は早朝がいいと昔の女流作家さんはおっしゃったが、はたして秋と冬の境目ではどちらのほうがいいのだろうか、とまさしくどうでもいいことを考えつつ、俺は日課だった朝のジョギングを行っている。

 この世界で目を覚ましてはや一週間弱。肉体は予想以上に衰えていて、筋肉はあるにはあるが、脂肪も自分のイメージよりもかなり多くついていた。これは男としていささかショックだった。別にボディービルに興味があるとかナルシストというわけではないが、筋肉とはなくなるとやはり衝撃がある。……男性諸君にはわかるかもしれないが、大胸筋や腹筋、上腕二頭筋の筋肉がそれなりに発達していると、男としての自信のようなものがついた気になるものなのだ。これは全世界の男共通の満足感ではないかと俺は思う。

 そんなかつての俺の肉体を取り戻すため――あと、もし何かあった時に自分のイメージする通りに動けるようになるために、俺はこうしてトレーニングをすることに決めたのである。


「……はっ、はっ……」


 初日はまず手始めに10kmから始めていた。かつての俺には短いとしか言えない、どうともない程度の距離だったので、それで様子を見ようと思ったのだ。

 ……だというのに、その時の俺は息が切れ、汗が噴き出して来て疲労困憊といった風体で辛くもゴールした。向こうで衛士として生きていた時には考えられなかった衰弱ぶりだ。自分で思っていた以上に、元の俺は脆弱な身体をしていたらしい。平和な世を考えれば、それが運動部でもない一般人としては当たり前なんだろうけど。

 ……だけど、俺はもう一般人ではいられない。

 違う世界に行って、色々な経験をして、どんな人達に会って、俺がどんな生き方をしてきたのか。それを覚えている以上、俺はもう自分がただの一般人だとはどうしても思えないのだ。

 といっても、別に自衛隊に入ろうとかそういうつもりは無い。ただ、心の……気概の問題だ。ただの一般人だからという立場に胡坐をかいて、また何か大切なものを奪われるような油断はしたくない、という俺の苦い経験からくる心の問題。いくら平和だと言っても、日本が絶対安全という保証はどこにもない。もし何かあった時に、俺は純夏と霞――それに俺の周りにいる皆を守らなければいけないのだ。それが出来るのは、様々な体験を経て覚悟を得た俺にしかできないことのように思えた。

 いわゆる、一種の使命感にも似た思いだった。だからこそ、俺は再び身体を鍛え始めたのだ。まあ、あの肉体が惜しいというのも本当の理由ではあるけども。

 さて、この鍛錬は、ランニングから始まり、腹筋、腕立て、スクワット……と基本的なものを続けている。何か機具があればいいのだが、いかんせん一般家庭にそんなものはなかった。ランニングも今では15kmに増やしている。これ以上はさすがに遅刻する可能性があるから、今は遠慮している。休日には20km、ハーフマラソンぐらいは走っている。一週間ではまだ身体も慣れていないから正直きついが、それは仕方がないだろう。人間の身体は疲れさせた方がより早く成長するのだ。超回復、というのがいい例だろう。あれは本当の話なのだ。ハーフ程度ではそこまでにはならないが、それでも通常よりは早く身体は鍛えられる。……筋肉痛が辛いのは我慢するほかないんだろうけど。


「はっ……はっ……はぁっ」


 いま現在、ランニングはだいたい15km地点。ちなみに今日は平日。月曜日だ。要するに、俺はゴールである自宅前までようやく戻ってきたということ。しかし、御剣本宅と俺と純夏の家以外に何もないこの広大なコンクリート天国はどうにかならないだろうか。さすが冥夜たちだが、そこを走る側としては風景に変化がないのは寂しいんだがな。……とはいえ、本当にそう言ったらまた無茶をしそうだから絶対言わないが。つまり愚痴だ。声に出すことはしない。

 さてようやく家の前ということで、少しずつペースを落としていく。急激に運動をやめることはしない。心肺に負担をかけるからだ。俺はさっきよりもゆっくりとした早歩き程度の速さを保ち、呼吸をゆっくり整えていく。そしてついに自宅前に辿り着くと同時に、俺の肩にタオルが柔らかくかけられた。


「お疲れ様、タケルちゃん」

「……お疲れ様、です」

「ああ。サンキュー純夏、霞」


 ふんわりとしたタオルを俺にかけてくれたのは純夏だ。この世界に来て次の日以降、純夏はこうして早朝の自主トレに付き合ってくれている。冥夜と悠陽も最初は押しかけるようにいたんだが、三人で微妙な空気を作り出したり、タオルを渡す役で揉めたりしたことがあったので、二人にはちょっとご遠慮してもらった。やっぱり初日に純夏と付き合っていると公言したことが効いていたのか、一言言えばそれ以上食い下がってこなかったのはありがたかった。

 ただ、去り際に悠陽が呟いた言葉だけは気になったが。

 これは考えなければなりません……って、何を。激しく不安だ。

 タオルでおおよそ汗を拭きとり、だいぶ呼吸が落ち着いた頃、すっと目の前にペットボトルが差し出された。

 差し出された手をたどってみれば、その先には霞。毎回毎回、本当に俺が欲しいと思っている時にこうしてくるのだからさすがは霞というべきか。リーディング能力も時と場合によっては便利だと思う。霞も、まあだいぶ自分の能力とは折り合いをつけたみたいだし。実際、リーディング能力がそれほど必要とされていないこの世界では、霞はリーディングそのものをほとんどしない。せいぜい俺とかにごく稀にやるかどうかって程度だ。俺としては特に何か言うようなことでもないので、別段気にしていない。純夏も同じようだった。


「サンキュ、霞」

「いえ……」


 ドリンクを受け取り、放出した水分の分を口から補給する。ああ、やっぱり生き返るなぁ。運動すると、こういう瞬間がたまらなくいい。達成感と充足感で満たされる瞬間が、俺は好きだった。


「……さぁて、朝の鍛錬も終わりかな。学校行く準備しようぜ」

「そうだね。霞ちゃん、行こ。制服に着替えないとね」

「……はい」


 ちなみに純夏も霞も私服であった。二人はこれから制服に着替えて、三人分のお弁当を包み、そして俺と合流する。という流れが既にできている。

 俺はというと、このあとシャワーをあびて、髪を簡単に乾かして、制服に袖を通して二人と合流という手はずだ。……俺の方は一度シャワーを浴びるというのに、純夏たちと時間はほぼ同じだ。二人は一体どこにそんなに時間を使っているのだろうか。女は準備に時間がかかるというが、男には一生わからないことなのかもしれない。

 そんなことをつらつらと考えつつ、純夏の家に入っていく二人を見守った。俺も自宅に向かって歩き出す。

 ふと霞がこっちに来た日のことを思い浮かべながら。











 冥夜、悠陽、霞の三人が越して来た日。夕呼先生が提案した料理対決は一週間後の日曜に催される流れとなった。それまでは各自料理の腕を磨いておくように、とのことだ。あの人は俺を一体どうしたいんだろう。

 さて、そんな中俺は純夏と霞に挟まれて帰路についている。一番ついてきそうだった冥夜と悠陽は職員室に呼ばれている。転校生だからだろうかと思ったが、ここに霞がいる以上それはない。まあ、たぶん御剣関係のことじゃないかと思う。やっぱり、相当無理して来たんだろうなぁ。そう考えると、わかっていても申し訳なくなってしまう。だからといって、俺はどうすることも出来ないんだが。

 他の面子は俺と霞の衝撃の感動シーンから何かを感じ取ったのか、遠慮して今はいない。結局、俺と純夏と霞という三人で帰ることになったのだった。


「――なんだか今日は凄い一日だったなぁ。日記が長くなりそう……」

「……日記、ですか?」

「うん、小さいころからね、ずーっと書いてるの。でも隠し場所はわたししか知らないから、他の人は絶対に見れないんだよー」

「そう、なんですか……」

「あ、でも霞ちゃんにならいいかも。小さい頃のタケルちゃんのこととかも書いてあるから、あとでちょっと見てみる?」

「……いいんですか?」

「全然いいよ! せっかく同じ家に住むんだから、霞ちゃんとは仲良くなりたいしね。タケルちゃんにはダシになってもらうよ」

「……はい」


 ……盛り上がっているところ悪いんだが二人とも、それは本人の前で話すことではないと思うぞ。

 と内心で呟いてみるものの、せっかく二人が仲良くしているのに水を差したくないがために黙っている俺であった。健気だ、俺。



「あ、そうそう。わたしね、今日の朝にタケルちゃんからタケルちゃんがこれまでやってきたことも聞いたんだ。だから霞ちゃんもわたしの前では、全然遠慮する必要はないからね」

「!」



 霞が驚きに目を見張る。

 俺としてもまさかこんなところで言うとは思っていなかったから、完全に不意を突かれて若干驚いている。いったいなんでまた急にそんなことを言い出したんだか……。

 霞が確認するかのように俺に顔を向ける。とりあえず話して聞かせたことはまぎれもない事実なので、俺は申し訳なさを感じながらもその視線に頷いて答えて見せた。すると霞はまた驚き、純夏に視線を戻す。……そういえば今の霞を見ていてふと思ったんだが、今の霞の髪留めはただのリボンだから驚いてもピコピコ動いたりしないんだな。…………べ、別に残念なんかじゃないぞ?


「じゃあ……私が、その……」


 霞が眉を八の時にして困りきった様子で言い淀む。


「リーディングって能力のこと、だよね。知ってるよ」


 はっきりと純夏がそう言うと、霞は目に見えて動揺して純夏からほんの少し距離を取るように下がった。霞の気持ちはわかる。俺は霞の顔を見つめた。

“心の中を見れるということが良いこととは限らない。”

 かつて霞自身がそう言っていた。人間の心はいつだって自分の利益や思惑で満たされているといっても過言ではない。それは、あの人類存亡の危機とまでいえる危機的状況にあったBETA戦争でも、アメリカなどが自分たちの利益のために動いていたことからも想像できる。たとえ極限状態になったとしても……いや、あるいはだからこそ人間は自分のために動こうとするのかもしれない。BETA戦争はそれを俺たちに見せつけた。

そして自分の思い通りにしたいという思いは、簡単に他者への影響という形で表れる。そいつが邪魔だから殺そうとしたり、嫌いだからと憎んだり、目的を達するためにどう懐柔するかを考えたり。思うだけなら自由なのだから、そこは完全な無法地帯なのだ。

 そこにたった一人放り込まれた霞の不安や恐怖はいかほどだったのだろうか。頼れる人はいない。仲間たちは先んじて死んでしまった。幼い霞が取れる最大の防衛策は、他人に近寄らないことしかなかったのだ。夕呼先生もそれを許可していた。機密上の理由もあるだろうが、意外と人間らしい先生のことだ。きっとそんな霞のことも考えていたに違いない。

 そしてそんな霞だからこそ、自分の能力が普通の人にとっては異常であり、排斥される対象となっても何らおかしくないことはわかっていただろう。実際にそういった感情を読み取ったこともあるはずだ。それは霞にとっては自身を否定されるに等しいことだ。霞はそのためにこそ生を受けることが出来たのだから。だからこそ、人を避ける。そして、自分の力のことは絶対に隠す。それは、仕方のないことだと思う。

 けれど、恐らく俺と純夏は違った。純夏はもともと霞に対する感情は何もなかった。ただBETAへの憎しみと、俺に会いたいという思いだけでいたに違いない。それはきっと、霞にとっては安らぎだっただろう。初めて、自分と会っても自分のことに感情を揺るがせない人間と会えたのだ。それに霞は救いを感じたに違いない。それがたとえ歪んだ安寧だとしても、霞にとって必要なものだったのだ。打算も何もなく、ただ母親のように無償の安らぎを与えてくれる存在は。

 夕呼先生もきっとそう思ったのだろう。内心いい顔をしていなかったかもしれないが、それでも霞を止めなかった。先生にも、霞が成長するためにはきっかけが必要だったことはわかっていたからだ。

 そうした中で俺が来た。純夏が純粋にずっと会いたいと願っていた白銀武が。
 それは大きく霞の興味を引いたことだろう。純夏が思考する半分を占める存在。どんな人間なのだろうと思ったに違いない。つまり、俺は霞が積極的に関わろうとした最初の人間なのだ。たぶん、だが。

 夕呼先生は、霞にとっては仕事の上司であると同時に保護者のようなイメージだったのではないだろうか。なぜなら、ついぞ霞が先生に甘える様子というのは見ることがなかったからだ。ビジネスライク、という言葉がどこかに見え隠れしていたような気がする。

 だからこそ、俺と純夏はきっと霞にとって特別なのだ。俺は霞の全てを知っても気にしていないし、純夏もまた霞の存在に感謝していた。はじめて自分自身を受け入れた人たち。それはまるで、雛鳥が親鳥を求めるように霞の中に浸透したことだろう。

 霞はまだ子供だ。外見ではない。社会性という面で子供なのだ。

 今目の前にいる純夏は、霞が絶対の信頼を寄せていた純夏ではない。だからといって区別することに大きな意味がないことには賢い霞は気がついているだろう。だが、今まで自分のことを知らなかった人間であることは事実だ。今こうして不安に感じるのも無理はなかった。

 そう、霞は子供なのだ。心が読めるせいで、霞は人の顔色や口にする言葉に大きな意味を感じなくなっている。それこそが、人間の大事なコミュニケーションだというのに。

 言葉が真実ではないのと同じように、心だって絶対に真実ではない。たとえこちらが霞に好意を持っていても、読み取った思考を誤解して霞が認識することもある。

 霞は、その言葉や情報を受け取る側が感じたことこそが真実なのだということに気づいていない。それは皆が自然と習得していく社会性だが、霞を取り巻く状況がそれを育めさせなかったからだ。それは霞の罪ではない。だが、きっと悲しいことだ。

 ――ああ、そうか。

 俺は唐突に理解した。

 そうだ、純夏はきっとそれを感覚的にわかっていたんだ。だから――。


「わたしね、タケルちゃんに好きって言われたとき凄く嬉しかった」


 ……って、ええ!? な、なにを言い出すんですか純夏さん!?


「お、おい純夏……」

「わたしもタケルちゃんのことは大好き。タケルちゃんもそう思ってくれてるって知った時は、本当に嬉しかった」


 俺の言葉に被せるように純夏は言葉を続けた。それで純夏が何か大事なことを言おうとしているのだとようやく俺は悟った。ちらりと霞を見る。突然始まった話に困惑が見て取れた。それでも、俺は純夏を信じてみることにした。

 口を噤み、純夏の話に耳を傾ける。


「けどね、タケルちゃんが本当にわたしのことを好きなのかは、わからない。その世界でのわたしへの気持ちを勘違いしているんじゃないかって、少しだけど考えたよ」

「っ!」


 思わず声を出して否定しそうになった。が、ぐっとこらえる。

 これは俺と純夏だけの話ではない。霞にとってもきっと重要な何かに違いないのだ。俺はそれをどこかで感じ取っていた。だからこそ、今は何も言わない。


「たぶん、それは心が読めても変わらないと思う。きっと、本当にタケルちゃんがわたしのことを好きなのかっていうのは、一生ついて回ると思う」

「………………」

「けどね、霞ちゃん。それが普通なんだよ」

「……え?」

「みんなそうなの。相手が言った言葉を信用したいから、信用してる。きっとタケルちゃんなら本気で言ってくれてると思えるから、わたしはタケルちゃんの言葉を信じられる。誰だってそうなんだよ。だって、相手の言葉を判断するのは自分なんだもん」

「………………」

「心が読めても一緒だと思うの。相手の考えがわかるのって、ちょっと人より言葉を飾ることを知らない人に会うこととそんなに変わらないんじゃないかな。だって、心で思っていることが絶対じゃないでしょ? 相手が心の中で好きだって言ってくれてても、わたしがそれを嘘だと思ってしまえばそれは嘘になっちゃうんだから」


 そう、確かに客観的に見れば霞の能力自体は特別なものなのかもしれない。けど、霞自身がそう思わなければ、それは純夏が言ったような“ちょっと言葉を飾らない人によく会うこと”とどう違うだろう。相手はそんなこと知らないのだから、すべては霞次第なのだ。

 これから霞はこの世界で生きていく。そのためには、今までの生活ではだめだ。夕呼先生のように庇護してくれる大きな後ろ盾はない。霞が自分自身の力で前に進んでいかなければならないのだ。これは、霞にとって避けられない問題だ。


「霞ちゃんのことを考えれば、そんな人達に会っていくのは大変だと思う。……我慢しなくてもいいけど、せめて受け流せるようにはならないと、霞ちゃん『この世界』できっと苦しむと思う。……わたしは、そんなの嫌だよ。だから、霞ちゃんに言うの」

「……純夏、さん……」

「霞ちゃん、今みたいに知られたからって人のことを避けないであげて。わたしは、霞ちゃんのことも好きになりたいし、今でも好き。これから霞ちゃんが出会う人の中にはきっと、わたしたちみたいな人もいるはずだから。だから、そんな人達を避けるのは、もったいないでしょ?」

「……はい……」

「……でも、最初は不安だから仕方ないよ。まずはわたしたちで練習しようよ。それからクラスの皆や先生と話したりしてみよ? わたしたちみたいに感じている人が、霞ちゃんの傍にいるかもしれないしね」

「……はい」


 純夏の言葉に、霞は頷いた。

 これから霞が純夏の言葉通りに人との付き合いを考えていくのかはわからない。それでも、きっと霞にとっては新鮮な刺激となっただろう。この純夏の言葉をどう理解してどうしていくかは霞が考えることだ。俺たちは、その手助けをしてやればいい。……不安に思うのは仕方がない。怖がるなんて当たり前だ。けど、だからといって人と付き合うことを拒絶しないでほしい。たくさんの人がいる世の中だからこそ、そこには多くの可能性が存在しているのだ。その可能性を狭めることをしてほしくはなかった。

 微かに笑みを浮かべて再び純夏の手を握った霞を見て、俺も純夏と同じようにそう思う。霞は賢い。きっとそんな自分の中の問題にも気がついていただろう。そのたびに葛藤していたに違いない。今回のことが霞にとって意味があるものになるように、と俺は願わずにはいられなかった。


「あ、でもそ能力を嫌わないであげてね。能力があってもなくても霞ちゃんは霞ちゃんだけど、わたしたちが会えたのは霞ちゃんがその能力を持っていたからでもあるんだし……そう考えると、なんだか大切に思えてこない?」

「……え……」


 ふと思いついたように付け加えた純夏の言葉に、霞はまた目を見張る。

 言っていることはわかるが、相変わらず発言が唐突過ぎると思う。俺はため息をついて純夏を見た。


「はぁ……お前なぁ」

「だ、だってその能力だって霞ちゃんの中の一つでしょ? 一方的に嫌うのも、なんか違うかなぁって思ったんだもん!」


 俺の呆れたような声に反発して、純夏はムキになって反論する。それについては俺も同感だが、突然言い出すことに問題があると思う。まあ、そんなところも純夏らしいと思えば笑えてくるから、結構俺も今の状況を楽しんでいるのかもしれない。


「た、タケルちゃん今度は微妙に笑ってるし……。どうしたの? ついにおかしくなっちゃった?」

「ほう……ついに、とはどういうことかな純夏くん」


 一体全体こいつは普段俺のことを何だと思っているんだ。俺が僅かに声を低くして問いかければ、純夏は渇いた笑い声をあげた。

 まったく、と思いつつもこうしたやり取りをしていると俺の心がなごむ。俺の感覚で言う昨日、その時まで俺はあの世界に生きていた。すべたをやり終えた今でも、やはりあの世界のことを忘れることは出来ない。俺は一生、この後悔と罪と傷を抱えて生きていくだろう。そう悲嘆にくれる日も来るのかもしれない。それでも、純夏がいれば俺がそんな自分の心に押しつぶされることはないだろう。やっぱり、純夏は俺にとっての半身なのだ。

 しみじみとそんなことを思いながら、俺は純夏の頭をぎしぎしという音が聞こえるように掴む。


「い、いたいいたいいたいいたいいたいいーたーい〜〜! た、タケルちゃん痛いぃ! ご、ごめんなさい、ごめんなさい〜〜!」

「ふっ、反省したか」


 ぱっと手を離すと純夏はすぐに手で頭をさすり始めた。

 そんな様子を見てどことなく満足感を覚える俺。……どうにも、こっちの世界に影響されているのか子供っぽくなっている気がする。主観では俺はもう二十を越えた大人なのだ。これから気をつけなければいけないなぁ、と自制することを心がけようと思った。


「……ねぇ、タケルちゃん」

「ん、なにぃッぶほぉッ!?」


 次の瞬間には俺は左わき腹に衝撃を感じて地に伏せていた。こ、こぶしが見えなかった……。


「ふんっだ! そこで大人しくしてるといいよーだ」


 す、純夏め。くっ、なぜ俺の身体は鍛えられたままではなかったんだ。そうならこんなこともなかったのに……。鍛え抜かれた俺の身体が恋しいぜ……。

 そんな俺を一瞥して、純夏は霞のもとへと歩いて行く。ちくしょう、その軽快な歩みが憎い。

 ……それにしても、地面に倒れているせいかいつもは見えない光景が見えるな。純夏……おまえ白か。実に健康的でいいと俺は思うぞ。


「さ、行こ霞ちゃん。……霞ちゃん?」

「純夏さん……わたし……」

「ん?」

「……私の力、嫌わないように、頑張ってみます……」

「霞ちゃん………」

「………………」

「……うん。そうだね! わたしも協力するから頑張ろう!」

「……はい」

「それじゃあ、一緒に帰ろうか」

「……はい」


 …………俺、忘れられてないか? 悲しげに俺が地面に倒れ伏せていると、ちらりと霞がこっちを見てくれた。

 おお、霞! やっぱりお前は俺のことを見捨てたりはしないよな! いやあ、お前は優しい子だからな。絶対にそんなことはないと俺は信じていたぞ!


「…………えっち」


 ぽそっと一言だけ呟くと霞は純夏と一緒に歩いて行ってしまった。

 ……対して俺はまさしく石になってしまったかのごとく、その場からぴくりとも動くことが出来なかったのである。理由は、言わずもがな。

 ……ごめんなさい。











 あの後、霞とじっくり話し合って何とか俺の威厳を取り戻すことは出来た。だが、かわりに純夏から痛い視線を向けられたことは地味に効いた。もう今後は絶対にしないと誓いました。まあそんな気分になった時は正面から行くさ。そう言ったらまた殴られた。グーで顔だ。真っ赤になった純夏は確かに可愛かったが、これでは身体が持たない。……身体を鍛える理由にそれも入っていることは秘密だ。

 さて、そんなこんなであの最初の日は過ぎたわけだ。俺と霞にとってはとても意義深い日。その日の夜、この世界はいい世界ですね、と霞は言った。その言葉に込められた狂おしいほどの憧憬と感動を正しく感じ取れる人間は俺だけだろう。だから俺は目を閉じて数秒あの世界を回想し、そうだな、とだけ返した。霞も頷いてくれた。

 そうして過ごした22日。それ以後は特に目立ったことはなかった。せいぜい遅刻がなくなったことを驚かれたぐらいだ。純夏からはそれだけでも十分凄いと言われた。普段の俺って、本当に駄目な奴の中でも底辺にいたんだな、と思わせられた瞬間だった。

 っと、ああ、そうだ。27日もあった。この日は俺にとって忘れられない日になった。まさか、興味半分からあそこまでいってしまうとは。













10月27日。PM 14:20。

 ――マシンガンタイプの銃が俺を仕留めるためにその秒間10発ほどの高速の弾丸を放つ。豪快な音とともに発射されたそれに、俺はいち早く対応してブーストで空へと回避する。同時に敵機をロックオン。こちらも銃撃を行った。だが、相手もやるもの。あちらが放った銃弾が全て俺の下で見当違いの方向へと飛んでいく中、同時に相手も飛び上がり、こちらへと接近してきていた。

それを確認した俺は右手に持った剣を振って牽制。同時に縦に振りおろして相手を叩き落し、すぐさま地上へと戻る。そして素早くブーストで横へと移動して市街地のビルへと姿を隠す。すぐに見つかるだろうが、今は仕方がない。


「よし、だいぶ感覚がつかめてきた……」


 最初は若干ながら俺のイメージと実際の操縦の間にズレがあった。原因は恐らく、最終作戦で凄之皇の操縦を習得するために身体に叩きこんだ訓練のせいだろう。それが原因で今のような通常の戦術機サイズでの操縦に微妙のズレが現れてしまったようだ。戦術機ってこんなもんだっけ? とつい疑問が頭に浮かんでしまうのである。いま乗っているものは通常の戦術機とは一線を画す機体。別物である。だからこそ余計に感覚がつかみづらかったのかもしれない。

 だが、それももう終わりだ。ほとんど俺の中での誤差の調整は済んだ。あとは俺本来の戦いをするだけだ。ぐっとレバーを握る手に力をこめ、乾いた唇を潤すように舌でなめた。

 改めてレーダーを見ると、既に敵はこちらに気づいて近づいて来ている。恐らくは接近戦を挑む気なのだろう。あちらの装備でもあるあの銃は完全に牽制のためのものだと予想できる。あちらの持ち味は格闘。それは見ていればすぐにわかる。

 ならば、と俺は自ら遮蔽物のない空間に飛び出した。俺を見つけた敵機がマシンガンを撃ってくるが、俺はそれを上下左右に細かく動くことで回避する。俺の手に握られたレバーは恐らく目まぐるしく細かな動きをしているだろう。これだけの回避能力が俺に備わったのは、ひとえにXM3のおかげだ。あれがあったおかげで、俺の理想の動きが再現可能になった。それゆえに戦術機に頼らずとも俺が機体に乗ればその機体でこうして同じことが出来るようになったのである。いうなれば、これは俺個人のスキルなのだ。

 向こうはさすがに凄腕だ。俺にその攻撃が有効ではないと悟った時点で、マシンガンは無駄に火を噴かなくなった。逆に狙うように撃ってくる。しかし、まだ距離があるために俺にはやはり当たらない。そしてついに向こうが接近してきた。敵機がこちらに一直線に近付き、向かってきた勢いを利用して回し蹴りを放つ。俺はそれをわずかに後退して回避、すぐにその行動をキャンセルして回し蹴りが終わった後の相手の機体に近づく。そして手に持った長刀で一閃、二閃――。相手は致命的な損害を被った。

 しかしそれで諦めないところはさすがは歴戦の猛者。今度はあちらが超接近戦の攻撃を仕掛けようとするが、俺の反応はそれを上回る。長刀を振り切った瞬間、先行入力によって俺の機体は宙を舞っていた。そして相手の後ろに着地。もちろん敵機のほうを向いている。しかしさすがに向こうもすでに反応し始めている。長刀での攻撃は不可能と俺は判断した。俺は瞬時にブーストを前方に向けて吹かし、後方へと滑るように下がっていく。そしてそれと同時に俺は手に持っていた長刀を相手に向けて構えている。相手がようやく後ろを向いた瞬間には、すでに俺の手には勝利への切符が握られていた。構えた長刀の先からビームが四回射出され、そのすべてが相手に命中。ライフゲージはついにゼロをカウントした。

 敵機は爆発。当然ながら俺の勝利だ。俺は張りつめていた緊張感を吐き出すように、ふぅ、と息をついた。


『You Win!』


 オペレーターの音声とともに、目の前の画面に同じ言葉が表示される。それと同時に周りからわっと歓声が上がる。このハイレベルな戦闘を賞賛するために。

 俺は座席から腰を上げ、シートの隣に降りる。相手もちょうど同じようにしていて、俺と向こうの目が合った。向こうは人好きのする笑顔を浮かべて俺に歩み寄り、俺にその右手を差し出した。


「負けたよ。君なら優勝できるかもな。俺の分も頑張ってくれよ」

「はい」


 俺は短く答えてその手を握った。そんな俺たちに店内から拍手が起こる。中にはもう一戦やれと囃し立てる者もいるぐらいだ。とはいえ、まだ今回のイベントの終了の宣告を聞いていない。勝手なことは出来ないから苦笑するしかなかった。


『素晴らしい対戦をありがとうございました! この結果により、バルジャーノン全国大会神奈川地区大会代表者は白銀武君に決定いたしました!』


 司会のその宣言でまた店内が活気づく。歓声と拍手が入り乱れてまさに今この店は興奮のるつぼの中にあった。


『それではただ今を持ってバルジャーノン全国大会神奈川地区大会を終了いたします。皆さん、全国大会は11月11日に東京で行われます。詳細はHPで確認してください。それではエントリーした参加者の皆さんお疲れ様でした!』


 そう言って司会の人間が口元からマイクを下げると、バルジャーノンの筐体周辺にいた観戦者を中心に拍手が巻き起こる。店内を満たしていた独特の熱気もその拍手を機に徐々に冷め、拍手がまばらになり、やがてなくなるとどこか興奮した空気をわずかに残して店内はまた通常の営業へと戻っていく。

 それを何気なく見ていた俺のところに、一緒に来ていた純夏と霞。それに美琴と柏木がやって来る。


「タケル〜! 凄いじゃない! いつの間にあんなに上手くなったのさ〜!」


 美琴が興奮冷めやらない様子でしきりに俺の操縦の腕をほめてくる。まあ、確かに三日前までの俺なら大会で優勝するほどの戦闘は出来なかったかもしれない。しかし、そこはやはり他の人間にはない俺の経験。戦術機という現実の人型兵器に乗って実際に戦ったという経験が俺に常では手に入らないハイレベルな技術を与えてくれたのだ。

 もっとも、XM3はもともとこの世界のバルジャーノンをもとに俺が先生に頼んだOSだ。こうした結果が出るのは当然なのかもしれない。


「確かにすごいねー。弟がやってるのに付き合ったりしたことはあるけど、白銀君の操作技術は桁が違うよ。ほとんど素人の私でもわかるぐらいだったしね」


 柏木も珍しく手放しで俺のことを賞賛してくれる。柏木の弟さんがどれだけの腕なのかは知らないが、そうまで言ってもらえると嬉しいものだ。

 ちなみにこの二人、俺と純夏と霞が三人で会場であるこのゲーセンに向かったら、ちょうどこのゲーセンで遊んでいたのだ。それで俺たち三人の予定を聞かれ、俺がこれから行われる大会に出ると聞いたら一緒に観たいと言い出して、今に至る。


「タケルちゃんタケルちゃん、すごいすごい! このゲームが好きなことは知ってたけど、こんなに上手だったんだね〜!」

「……はい、すごいです白銀さん」

「ははっ。よせよ皆。霞は俺が特訓してたのは知ってるだろ?」


 俺がちょっと悪戯まじりにそう言うと、霞は若干驚いた後、小さく微笑んだ。


「……はい」


 純夏もその“特訓”が何を指すのかわかったらしく、ぽんっと右拳を左手の手のひらに落として、誰もが思わずやってしまう「わかったときのポーズ」をやっていた。誰もが、と言ったがいまどきの若い者が知っているかどうかは微妙だ。だったらどうして俺が知っているんだという話になるが……まあ、そこはスルーということで。

 こほん。……それに対してまったくわからないのが美琴と柏木である。まあ、当たり前と言っちゃあ当たり前だ。誰が『異世界に行って実際にロボットに乗って戦ったから』という事実に辿り着けるだろう。というか、そんな人間がいるわけない。


「え〜、霞さんってこないだウチに来たばかりじゃないか。どうしてそんなにタケルと親しいのさ〜」


 美琴の的を射た意見に、内心でぎくりとする。純夏も同じ思いなのか、どことなく緊張気な面持ちだった。そうして、俺と純夏、美琴と柏木の目が霞へと集中する。


「それは……」

「「それは?」」


 何事か口にしようとした霞に、二人はずいっと詰め寄る。そして、霞はついに口を開いた。


「……秘密、です」

「「へ?」」

「ぷっ」


 悪戯をする子供のように怪しく微笑んだ霞の答えに、美琴と柏木は揃って気の抜けたような声を出す。その時の二人の顔があまりにも可笑しかったので、俺はつい噴き出してしまった。


「ああ! 笑うなんてひどいな〜」

「ホントだよ。好きで驚いたんじゃないんだよ?」

「あ、ああ。悪い悪い」


 口の中だけでもう一度こもったように笑い、俺は不満げに目を向ける二人に謝った。二人としてもただの冗談のようなものだったのだろう。笑って許してくれた。
 と、そんな俺たちに一人の男が近づいてきた。人好きのする笑顔がやはり印象的だ。


「……女の子ばっか連れて、羨ましいじゃないか。白銀君」

「誤解ですよ、川口さん」


 男はどこが、と可笑しそうに笑った。

 川口慎也。さっきまで俺が対戦していた対戦相手である。この川口さん、俺より一つ上の大学生なのだが、バルジャーノンの世界ではトップレベルの実力の持ち主として高校時代から有名な存在だった。愛機は『サージェント・J』。迷彩色の下半身が特徴的な近接に高い能力を示す機体である。『サージェント・シリーズ』は『G・J・T』の三体がいるが、その中でGは近接にさらに特化、Jは中庸、Tは砲撃能力が加わった機体という特徴がある。Jタイプを好んで使う川口さんは、近接戦闘のスペシャリストとして有名だったのだ。……もっとも、俺が今日勝ってしまったわけだが。

 川口さんはそれだけ実力もある凄い人なのに、負けたからといって何か言ってくることもない。純粋に俺を励ましてくれた。そこがきっとバルジャーノンの強さ以外のこの人本来の魅力なんだろう、と俺はふと思った。


「……んで誤解っていうからには、おまえ彼女いるの?」

「ええ。こいつです」


 ひょい、と親指の先を隣に立っている純夏に向ける。なぜか俺の後部から緊張した空気が慣れた気がしたが、俺は気がつかなかった。うん。

 そして突然矛先を向けられた純夏は一瞬かなり慌てたが、何とか咄嗟に頭を下げることが出来た。慌てた様子まではさすがに隠せなかったが。

 そんな純夏の様子が面白かったのか、川口さんはまた愉快そうに笑った。


「ははっ、可愛い娘じゃないか! まあ、バルジャーノンでも彼女がいるという点でも負けたということは悔しいが……――勝てよ、全国。応援してるからな」

「はい!」


 再度、今度はどちらからともなく手を出し、握手を交わす。

 もともと、今の俺の実力がどれほどのものか試すつもりで今日はこのイベントに参加した。このイベントは店内ランキングの上位にいるプレイヤーには自動的に参加する権利が与えられるため、もともとこの店のランキング四位だった俺はこうして神奈川地区大会に土壇場で出場できたのである。

 参加するか否かは本人が決めることで、あくまでも強制ではない。だが、今日こうして参加することを選んでよかったと思う。俺のバルジャーノンでの今の実力を見ることもできたし、まるで戦術機に乗っているような感じがして懐かしい気持ちを味わうことが出来た。それに、こうして新しく人と出会うことも出来た。いいこと尽くしだ。本当に参加して良かったと思える。

 握手を交わしたあと、川口さんはじゃあな、と手を振って店を後にした。最後まで気持ちのいい人だった。あの人に勝った俺は、全国大会で勝つ義務がある。そんな使命感さえ抱くことが出来た。

 衛士にとって最大の供養は、死んでいった仲間の生き様を誇らしく語り継いでいくことだ。今でこそ俺はこの世界にいるが、俺は衛士だ。誰が何と言おうと衛士なのだ。死んでいった仲間、というのとは少し違うが、あの人の犠牲があって俺が勝ったことに変わりはない。俺は俺が倒した人たちの思いを背負って戦う義務があり、責任があるのだ。

 そう思うと、無性に気合が入った。いてもたってもいられなくなり、暴れ出しそうだ。


「ぃよおしっ! もうひとゲームするぞぉ!」

「ええっ、またやるのタケルちゃん」

「あったりまえだ! 俺は今非常に燃えているんだ。どこかでこの気合を発散しないと身体に悪いんだよ!」


 力が入った口調で俺が言うと、純夏はため息をついて仕方がないなぁという顔を作った。なぜそこで呆れるのか俺にはまったく理解不能だ。こういう時にこうなるのは自然なことじゃないのか?


「タケルちゃんも男の子だもんねー」


 微笑ましいものを見るようなその視線はなんだ!?

 なんだかもの凄く純夏に馬鹿にされたような気がするのは一体どうしてなんだ。

 俺が一人でどうでもいい敗北感に打ちのめされている中、美琴がそんな俺にはお構いなしに声をかけてくる。


「あ、じゃあタケル〜。ボクとやろうよ。タケルがどれだけ強くなったのか、ボクが確かめてあげるよ」


 そういえば、まだ帰って来てから一度も美琴とやったことがなかったことを思い出した。以前は男の尊人とやりまくってたけどなぁ。……そういえば、男の尊人ってやっぱり俺の『元の世界』にしかいないんだろうか。美琴に不満があるわけではないが、尊人にも会ってみたかったな。


「タケル〜? どうするのさ〜」

「あ、ああ悪い。早速やろうぜ!」


 まあ、美琴がこうしているし、せっかく平和な世界に来ることが出来たんだ。そんなことは気にせずに、今はただ楽しんだってバチはあたらないだろう。

 俺は美琴と一緒にバルジャーノンの筐体まで歩き、美琴が乗り込んだシートの正面に設置された筐体に乗り込む。俺の愛機は無論カイゼル。対する美琴はシャオ・ミュンだ。今度はさっきとは違って、スピードが勝負を分ける鍵になる。これもまた来月の全国大会に向けてのいい練習になるだろう。俺はコインを入れて機体を選択。ステージを選び、美琴に声をかけた。


「よっしゃ、いくぜ美琴!」

「どんとこいだよ〜!」


 レバーを握りこみ、俺は戦闘開始を告げる音声とともにカイゼルを勢いよく発進させた。












 そうして美琴とともにバルジャーノンに集中してしまった武の姿を見つめて、純夏はこれ見よがしに溜め息をついた。もっとも、一番それを見せたい相手は画面に目を向けるばかりでこちらを向くことはないが。


「……もぉ〜、わたしたちを放って遊びに行っちゃうなんてぇ」

「あはは。まあ、そういうところも白銀君らしいじゃない」


 不満げに唇を尖らせる純夏を見て、柏木が宥めるように相槌を返す。

 純夏とて柏木が言っていることはわかる。特に武はその抱える事情が複雑なだけに、自分がその負担を少しでも減らす努力をしたいと思っていることも事実だ。こういった日常のやり取りが武の心に安定をもたらすなら、それは歓迎すべきことだとわかっている。

 だが、やっぱり理屈と感情は別なわけで……。


「そうだけどさぁ、やっぱりほったらかしにされるのは寂しいじゃん……」


 不平を洩らしたくもなるというものだ。

 まだ付き合い始めて三日だが、その間に武と純夏の周りの状況はかなり変わってしまった。御剣姉妹の来襲、霞の存在、武の経験してきた世界……どれも、ただの一般人である純夏には荷が勝ちすぎるような事柄ばかりだ。

 武が自分をとても大事に思ってくれていることはよくわかっている。武が考えていることぐらい、純夏には良くも悪くもほとんどわかるからだ。でも、だからこそ自分が特に何も出来ないことに苛立ってしまう。武の傍にいるだけでは駄目なような、そんな気になるのだ。

 だから、こうして離れてしまうと不安になる。傍にいるぐらいしかできない自分が、傍にいることが出来ないから。それは、純夏にとっては小さくない心のしこりだった。


「……でも、それだけ頼られてるってことなんだから、羨ましいぐらいだけどなぁ」

「え?」


 柏木が漏らした言葉に、純夏は驚いて柏木の顔を見た。


「だって、傍にいなくても鑑さんがいなくならないって確信してるから、白銀君はこう出来てるわけでしょ? それだけ白銀君から信じられてるのは凄いし、やっぱり鑑さんは白銀君の特別なんだなぁって感じるよ」

「……そう、かな?」

「そうだと思うよ。まあ、私個人の意見だけどね」


 苦笑して柏木はそう言葉を締めくくった。

 自分にできることは一体何なのか。自分は本当に役に立てているのか。それは純夏の中で消えることはないかもしれない。けれど、今は確かに武にとって純夏はいてほしい存在なのだということは、柏木の言葉で何とか自信を持つことが出来た。本当にそうなのかどうかは武自身に聞かなければわからないことだが、今はただそれだけでもいい気がした。

 今はただ、武の傍に一緒にいる存在としてずっと傍にいよう。それからどうするかは、また考えればいい。

 そう思えれば、もう純夏はいつもの純夏だった。にっこりと笑顔に戻り、柏木に向きなおる。


「ありがとう、柏木さん」

「気にしないでいいよ。私が好きでやっただけだしね。……ただ、ライバルに励まされるのってどうかと思うよ?」


 からかうように言う柏木に、純夏は小さく笑った。柏木も同じように笑い、未だ激しい戦闘を続けている武の姿を眺める。

 また、機会があれば聞いてみよう。自分と言う存在が武にとってどんな存在なのか。どう思っているのか。そういえば、あの告白された時以来なにもそういった言葉を聞いていないことを思い出した。いつも言えとは言わないが、たまにはそういう言葉をくれてもいい気がする。いくらお互いそういうのがあまりに合わないとしても、純夏とて女の子なのだ。

 ……絶対、言わせてやろう。純夏は固くそう誓った。


「……純夏さん」

「霞ちゃん?」


 軽く袖をひかれてそちらを見れば、そこにはもうずっと前から一緒にいたような気さえする可愛い妹分の姿。その瞳には心配するような色が伺え、唇はきゅっと引き締められていた。

 心配させてしまったらしいことに、純夏は自嘲して苦笑いを浮かべる。


「……大丈夫、です。白銀さんは……純夏さんのことを一番大切に思っています」


 向こうの世界でも、こちらの世界でも。


 霞の言葉を聞いて、純夏は柔らかく微笑んだ。そのまま霞の頭を優しくなでる。目を細めてそれを受け入れる霞を見て、純夏は笑みを深くした。

 霞の気遣いがうれしかった。それは別に霞は心が読めるからその言葉が信じられるとか、そんなことではない。ただ、あまり他人の表面上の機微に鋭くなく人付き合いの苦手な霞が、自分からこうして気を使ってくれたことが嬉しかった。だから、純夏は笑う。自分の心に素直なままに。


「ありがとう、霞ちゃん」

「……はい」


 照れたように頬を染める霞の頭をもう一度撫で、純夏は武へと視線を戻す。その目にさっきまでの迷いは見られなかった。

















 27日はそんな感じでバルジャーノン尽くしの一日だった。しかもまさか俺が全国大会に進めるほど実力がついているなんてなあ。そこまでは思っていなかっただけに、本当に驚きだった。まあ、俺の戦術機操縦の技術が違う形とはいえ認められたような形になるのだから、嬉しくないわけがないけどな。

 その次の日が例の料理対決の日だった。それでまあ結果はまさしく散々だったわけだが。結局席順は最初のとおりとなり、じゃあやる必要なかったじゃないかと思わず突っ込みたくなるような結末を迎えた。そしてそれが昨日のことだ。

 今日からはようやく落ち着いた日々が送れるに違いない。そう思うと俺としても気が安らぐってもんだ。昨日までの皆は料理対決を控えていることもあってかどこか張りつめた空気を醸し出していたからな。やっと普通の日々の始まりだ。俺が待ち望んだトラブルなんてない学園生活が始まるのだ。これを喜ばずにいられるだろうか。

 と、いうわけで俺は今いそいそと制服に着替えている。シャワーはもう浴び、髪は半乾きだが、まあ行く途中で乾くだろう。それよりも二人を待たせる方が悪いような気がした。


「よし」


 きっちりと制服を着込み、いつもの鞄をひっつかむ。そのままトントンと階段を降りて、玄関の扉を開けた。扉を閉めたらきっちり施錠。……まあ、こんなコンクリート広場のど真ん中に建ってる家に盗みに入るバカはいないと思うけどな。習慣である。

 そのとき、純夏の家からもちょうど二人が出てくる。俺と同じような行動をとったあと、俺たちは家の前で合流する。


「よっ。おはよう純夏、霞」

「……おはようございます」

「おはよう、タケルちゃん。……って、タケルちゃんまた髪乾かしてないでしょ!」


 さすがは純夏。目ざといぜ。


「ああ、まあなぁ。すぐ乾くしいいじゃないか」

「ダメだよ! 最近はすっごく寒くなって来たんだから。ほら、まだ時間あるしこっち来なよ」

「いいって別に。身体鍛えてるんだから風邪なんて引かねえって」


 俺を自宅へ連れ込もうとする純夏だが、俺はあくまで抵抗を示す。……なんか、こういう言い方すると微妙にやらしいな。


「そんなの関係ないじゃんっ。ほら、タケルちゃん――」

「あ、ほら冥夜達も出てきたぞ。さ、行こう行こう!」

「え……あ……」

「あ、もおぉ――ッ! 待ってよタケルちゃん!」


 純夏の言葉を遮って、俺は霞の手を引いて冥夜達のほうへと歩き出す。純夏もまた憮然としながらも俺たちの後をついてくる。

 ああ、いいなぁ。幸せだなぁ。こういう何気ない毎日の中にいると、唐突にそう思う。これはやっぱり俺がちょっと変わった経歴を持ってるからなんだろうけど。こんなふうに思えるなら、悪くないかもしれないと思う。

 さあ、今日からは実に平凡味あふれる学園生活の始まりだ!

 俺は今日学校で大きな衝撃を受けることになるなんて欠片も思わず、ただこれからの生活に思いを馳せるのだった。





















――To Be Continued