Muv-Luv Truth Episode ※武視点で話は進みます。ご了承ください。
なんだこれ、としか言いようがない。 なぜ俺はこんな目に遭っているのだろうか……。 「それでは、白銀武の隣の席争奪! 愛のエクソダス風料理対決始めるわよ〜〜!」 「「「「おお〜〜!!」」」」 夕呼先生の音頭に皆が乗って威勢のいい返事をするが、こいつら料理のことが一番で俺のことが二の次になってないか? 一番の目的であるはずの俺のこの現状を気にしてないってどうよ。 まあ、気合入りまくってるのは大変結構。……いや、この番組の趣旨を考えると結構とはいえないかもしれないが……。とにかくそれはもうわかったから、誰か俺を解放してくれ。そろそろこの手錠が食い込んできて痛いんだが。 と、その旨を夕呼先生に伝えたところ、先生は呆れた顔で溜め息をついた。 「あんた、だってさっき逃げたじゃない」 んなこと言ったって昨日この番組見たんですもん、俺。 それ見たらもうやってられないですよ。純夏については料理うまいのよく知ってるから安心できるんだが、冥夜と殿下――っと、悠陽は絶対に料理未経験組だろうが。委員長はできそうだけど、彩峰は不安だ。たまと柏木については未知数だし、美琴に至ってはデンジャラスな想像しか出てこない。霞……も、料理したことないはずだろ? 逃げるしかないじゃないか。 ……ん? 霞、こっちをじーっと見つめて、どうしたんだ? 「……弱虫」 「ぐはっ!」 か、霞……それはキツイぞ。 純夏にぶっ飛ばされた後、何とか俺は成層圏から無事に帰還を果たすことに成功した。純夏は自分が原因のくせに反省した様子は露ほどにもなく、タケルちゃん遅いとまでぬかしやがった。いくら有り余るほどの俺の深い愛情を以てしてもその一言は聞き逃せるはずもなく、俺は純夏にびしっと愛の鞭を食らわせたあと、少しふらふらしている純夏と一緒に学校に向かった。 途中、向こうでのみんなや霞のことを話しながら懐かしい道を歩き、そして俺は自分にとってはもう何年も昔の出来事でしかない、白陵柊学園の門をくぐったのだ。 途中で夕呼先生の車ともすれ違った。思わずちらりと見ると、運転席の先生はこっちを見てひらひらと手を振っていた。……前見てくださいよ先生。奇跡的に事故は起きなかったが、誰かが不用意に飛び出してたら確実に轢いてたと思う。ホントに先生なのか、と問いたいぐらいだ。 そういえば純夏の鞄についてたサンタウサギがとれかけてたから注意したら、慌てて直してたな。あそこまで大事にされてると、俺が経験したあの世界と、純夏が願ったこの世界は確かにつながっているんだと実感して感慨深い思いだった。 「おはよ〜!」 「おはよー」 元気のいい純夏とちょっと内心ドキドキの俺が教室に入っていく。 すると目ざとく俺達を見つけた委員長が眉を吊り上げながら近づいてきた。 「あら、白銀君、鑑さん……今日はちょっと早いわね」 「あはは、遅刻よりはだけどね〜」 純夏が笑って言うと、委員長はあからさまにため息をついた。 「わかってるなら努力して頂戴……」 「それはタケルちゃんに言ってくれないと……タケルちゃん?」 「……え? あ」 っと、またか。 傍目にはよく分からないかもしれないが、俺の目は確実に潤んでいた。まあ、それも当然か。俺は結局あっちの世界の仲間たちの最期に立ち会うことが出来なかったんだ。207、A-01の皆の中で、俺が死に目に立ち会えたのは冥夜と純夏だけだった。他の皆とは、特に207の皆とは言葉を交わすことですら満足にできず、逝っちまった。 無念と悔しさ、そしてなによりも嬉しいという感情が俺の中で溢れているんだ。それでも泣かないですんでいるのは、俺の成長の証だろうか。もう、ただ泣き喚いても何の為にもならないことは、俺は身を持って学んできた。そして泣くことは死んだあいつらの供養にはなり得ないことを知っているから、俺は無闇に泣くことはしなくなったのだ。 ぐっとこらえれば、涙は引っ込んでくれた。俺はにっと笑って委員長に向き合った。 「よっ、委員長! 久しぶり!」 と言えば、委員長はわずかに赤くなって目をそらした。……おーい、人と話すときは目を見なさい。目を。 「お、一昨日も会ったばかりでしょう! 馬鹿なこと言ってないで早く席に座りなさい!」 「ってか、なんで目ぇそらすんだよ」 「……っ! ど、どうでもいいでしょそんなこと!」 今度は一転、睨んでくる。なぜだ。俺は何もしていないぞ? 「ううん、タケルちゃんが悪いよ」 おい純夏、俺の心を読む、な…………な、なんでアナタも目が怖いんデスカ? 「……タケルちゃんのせいだよ」 お、お前実は00ユニットの純夏じゃないよな? 明らかに俺の心読んでないか? 俺は未だかつて感じたことのないような、それでいていつも感じているような恐怖感と闘いながらゆっくりと目をそらす。逸らした視線の先にはさっき俺たちが入ってきた教室後ろの扉。そこにもまた俺のよく知る顔が、俺の知っている姿そのままにぼうっと立っていた。 「あ、彩峰……」 「……おっは」 「あ、ああ、おはよう。お前が言うと異常にシュールだな……」 とりあえずさっき委員長に対して一度泣きかけたせいか、今度は大丈夫みたいだ。こっちの彩峰も彩峰だけど、俺の中で感情の制御が効いているようだ。仮にも衛士だったんだから、これぐらいのセルフコトロールはお手の物だ。 「あ、たけるさん! おはようございます〜!」 「ああ。おは、よう……」 その彩峰の後ろから軽い鈴の音とともにたまも顔を出した……が、大丈夫か? 声だけ聞けば普通だったが、顔じゅうに汗が浮かんでいる。いつも通り走ってきたらしいな、どうやら。 「お、おはよう壬姫ちゃん。だ、大丈夫?」 さすがに純夏も心配になったのか気遣わしげにたまに声をかける。 そんな純夏にたまは何でもないというように笑った。肩は変わらず上下していたが。 「あ、あはは〜、だ、大丈夫ですよ〜」 そんな状態で言っても説得力がないぞ、たま。俺はたまに近寄ってちょうどいい場所にあるその頭にぽんと手を置いて撫でた。 「「「!!」」」 何か空気が凍った気がしたが……気にしないでおこう。 「た、たったったたたたけるさん!?」 「俺はそんな愉快な名前じゃないぞたま。それより落ち着け。深呼吸、深呼吸」 「うぅ……すーっ、はぁー……」 しっかり俺が言う通りに実行するたま。相変わらず人を疑うことを知らない奴だ。向こうでもそんな感じだったのだから、この優しさはこいつの本質なのかもな。……友人として、ちょっと心配にならなくもないが。 二、三回もすればたまも呼吸が落ち着いてきたみたいだ。俺はたまの頭から手を離して扉傍から純夏の方へと戻っていく。どことなくたまの顔が名残惜しげだったことには気がつかなかった。 ただ、皆の視線がなんだかとっても恐ろしいことになっていた。彩峰も無言で目を細めて構えを取るのは止めてくれ。ってか、こっちのお前って格闘やってたっけ? 「な、なぁ純夏。こ、この雰囲気はなんだ?」 「……わたしにそれを言うの?」 オウ、シット。どうやら我が恋人は非常に機嫌がよろしくないようだ。 し、しかしなんで純夏からこんな強烈なプレッシャーを感じるんだ? ……はっ! ま、まさか貴様シャ○だな! このプレッシャーは間違いない! なんてことだ、純夏は乗っ取られたとでもいうのか!? くっ……他の皆は騙せてもこの白銀武を騙すことは―― 「タケルちゃん、今どうでもいいこと考えてるでしょ」 「……は、はい」 や、やばい。なんかホントに怖いんだけど。 内心で俺が肉食獣に襲われた仔兎の如くぶるぶる震えていると、がらりと今度は教室前方のドアが開く。反射的に教室中の皆がそっちに視線を集め――ひとりの例外なく口を開けっぱなしにして呆然とした。 「た、たたたタケルちゃん、あ、ああああれ何?」 「さ、さあ?」 さっきまで怒っていたのも忘れて、純夏が俺の腕にとりついてくる。きっとその心の内はこんな奇想天外摩訶不思議に出会ってしまった恐怖心でいっぱいだろう。俺もその気持ちはよくわかるぞ純夏。ゴザで頭から簀巻きにされて下から人間の足が出ている物体が唐突に現れれば、そんな気持ちになっても仕方がない。……しかし、なんだあれ。妖怪か? 新種のBETAか? いや、それ以前にどうやってドア開けたんだ? 手、出てないのに。 「あ、足がある!?」 「ってことは、人間?」 「……ぽいね」 「な、なにあれなにあれー!?」 「な、なんかこええぇ!」 ひどい言われようだと思うが、しかし見事に大混乱だな。 とりあえず純夏に手を重ねて安心させるようにしてやると、なぜか純夏は慌てて手を離した。……その反応はちょっと失礼じゃないだろうか。 そんな間になぜか簀巻きは小刻みに震えていた。実に怖い。なんで痙攣なんか……って、あれ中にいるのが人だとしたら呼吸できないんじゃないか? 「な、なんか痙攣してる?」 「は、早く取らないと大変だよー!?」 「――私に任せて!」 か、柏木!? 任せろと言って簀巻きを取り除きにかかったのは、間違いなくA-01での同僚でもあった柏木晴子だった。そういえば、同じクラスだったと思いだす。元の世界ではそれほど親しくしていた記憶がないためか、俺は若干驚いてしまった。 俺がそんな感じに柏木の姿に呆気にとられている間に、柏木は次々と簀巻きから藁を取り除いていく。そしてしばらくするとようやく全てが取り払われ、中にいた人物が明らかになった。 「っぷはー! いやー、助かったよ〜」 息苦しさと圧迫感から解放されたためか、中から現れた人物は非常に晴れやかだった。 それとは真逆に俺たちはひたすら驚いていた。 「よ、鎧衣さん!?」 「美琴ちゃん、い、いったいどうしたの〜?」 「……人騒がせ」 「あはは、まあ怪しい奴じゃなくて良かったじゃない」 朗らかに笑う柏木はやはり大物だと俺は思う。怪しい奴……だったんだけどなぁ、さっきまでは確実に。 ところで純夏、いつまでも俺の横で赤くなっているのは止めてくれ。ちらちらとこっちに視線が集まり出してるから。 そんな中、自他共に……いや、こいつは自分ではあんまり意識してなかったな確か。あー……他の限りなく多くが認めるマイペースである美琴は、簀巻きにされていた事実などなかったかのように俺の方へと歩いてきていた。 「タケル〜、なんか久しぶりだね。三年ぐらい会ってなかった気がするよ〜」 ぎ、ぎくっとさせることを言いやがる。相変わらず鋭い奴だ。周りの余計な情報を気にしない分、本質を見抜くって言うか……油断がならん。 事情を知っている純夏も横で誤魔化すように挙動不審な動きをしている。お前、隠す気あるのかよ。 「美琴ちゃん、今度はどこに行って来たんですか〜?」 「いやー、参ったよ。目を覚ましたら、簀巻きにされたうえマグロ漁船に乗せられててさ〜」 「「ま、マグロ漁船!?」」 ぎょっとして委員長と純夏が叫ぶ。気持ちはわかるぞ、二人とも。しかし、こいつはどこの世界に行っても変わらないな。まあ、親父さんがアレだから仕方がないのかもしれないが。 「……騒々しいね」 「彩峰さんだって、その中の一人じゃない?」 「……え?」 「いや、さも意外そうに驚くなよ」 たまに思うんだが、彩峰と柏木のコンビって意外に合ってるのかもしれない。他人の視線を気にしない彩峰と、一歩引いて全体を見ている柏木。客観的に事態を見ているという点では、似た者同士なのかもしれない。 そんな騒ぎの中、教室の前に新しく人の気配が現れる。 「みんなおはよう!さ、席ついて〜」 どくん、とひとつ心臓が大きく波打ったのが自分でもわかった。 俺がうじうじとしていたせいで、二度も俺のせいで死なせてしまった、俺の恩師。苦しい時には一緒に悩んでくれ、落ち込んだ時は励ましてくれた。俺が何か馬鹿をやれば、怒鳴りつけて叱ってくれた。 思い出が蘇る。かつて犯した、俺の消しようのない大きな罪が。 夕呼先生は俺が因果導体じゃなくなれば、すべての事象は無かったことになると言っていた。すべては元に戻る、と。それを疑っていたわけじゃない。ただ、どうしても俺の中で納得することが出来なかった。だって、本当にまりもちゃんが死んだのは俺のせいだった。それだけは疑いようのない事実だった。その事実から目をそらしてはいけないと思ったのだ。 生まれ変わった新しい世界。生きているまりもちゃん。純夏に会った時は、俺は帰って来たんだなと強く思ったが……まりもちゃんの時はまた違う。いま俺は、やったんだと、やり遂げたんだという気持ちが胸にあふれていた。 俺が掲げた信念と目標、そして忘れてはならない罪は、今此処で報われたのだと思えた。 もちろん俺の罪が消えることは一生ないだろう。だけど、心のどこかで澱んでいた何かが、ふっと軽くなるのを感じた。赦されたわけではない。でも、俺はきっといま前に進むことが出来たのではないかと思えた。 「タケルちゃん……」 ぎゅっと純夏が手を握っていた。教室内は少しずつみんな席につき始めて静かになって来ている。このまま突っ立っていてはさぞかし目立つだろう。 「席つこう! ね?」 「……ああ」 明るく笑って言う純夏を見て、俺は不器用に笑って頷いた。 気を遣わせてしまったらしい。情けないなぁ、と思うのと同時に嬉しくなる現金な俺だった。 全員が席につき、委員長の号令に従って起立からの一連の流れをこなすと、まりもちゃんは笑顔で手元の出席簿に視線を落とした。 「それじゃあ出席とるわね〜。――あら、彩峰さん! 感心感心、今日はちゃんと来たのね〜」 「……ごくまれに」 それは学生としてどうなんだ? 「あら、鎧衣さんも! よかったわ〜」 「はい! 何とか父の隙をついて――」 美琴はそう言うが……鎧衣課長の性格から考えて、きっとわざと美琴を逃がしたんだろうな。あの人がそう簡単に隙なんか見せるとは思えん。……いや、俺が知る鎧衣課長とは違うのかもしれないが。しかし、こんなサバイバルを美琴に仕込んでいる時点でほぼ同一人物だとは思うがな。 「ねえねえ、タケルちゃん」 「ん?」 「剛田くん、お休みなのかな?」 「ああ……」 そういえば、そんな奴もいたなぁ。 剛田……もはや暑苦しい男という印象しかないが、あいつが最初は俺の隣の席に座っていたのだ。それがまさか巨大な力によって無理やり転校させられるとは、あいつも思っていなかったに違いない。 「さて、今日は皆さんに悲しいお知らせがあります」 「え?」 「剛田君が転校してしまいました」 「「「「はあああああぁぁぁ!?」」」」 クラス全員の素っ頓狂な声が響く。 そんな中俺は――、 「……なにやってるのタケルちゃん」 「気にするな」 悪い、剛田。冥夜が来るのは半分は俺のせいだ。許せ。 そう親しくはなかったが、とりあえずは隣の席のよしみではあったので、俺は手を合わせて剛田の冥福を祈った。 「何でも急に野球の実力校からスカウトが来たらしいの。ムードメーカーだったのに残念ね〜」 ムード作ってたっていうか、無理やり持ち込んでたって感じだったけどな。 「タケルちゃん、剛田君が転校なんて知ってた?」 「ああ、まあな。元の世界で経験済みだ」 「あ、そっか……。じゃあ、なんで急に転校したのかも知ってる?」 「あ、ああ。まあ……」 俺が思わず言葉を濁すと、純夏は不思議そうな顔をして首をかしげた。 「と、とりあえず先生の話を聞きなさい、純夏」 なんとかそう口にすると、純夏は不審そうにしながらも顔を前に向けた。 ……あと数十秒後にわかることとはいえ、やはり誤魔化してしまうのは男の性か。……ん、それは逃げてるんじゃないかって? 馬鹿言っちゃいけない。これは逃げじゃなく、ただの無駄な抵抗です。 ……わかってるのに、こういう時に正直に言えなくなるのはなんでなんだろうなぁ。 俺がしみじみと人間の不思議に思いを馳せている間も、まりもちゃんによるお話は続く。 「じゃあ、皆も精一杯悲しんだところで――……転校生を紹介します」 「「「「おおおぉっ!?」」」」 「ま、またですか!?」 委員長が代表して全員の心の疑問を先生に告げる。確かに三年の二学期にもなってわざわざ転校してくる奴がいるとは普通考えないだろう。……そう、普通は。 「今度は女の子よ。白銀君よかったわね。さ、入ってきて」 ……先生、なぜ俺指名? そんな素朴な疑問を抱くが、それをよそに、がらがらと音を立てて教室と廊下を隔てる扉が開かれる。 そこから現れ、教壇のほうへと歩き出すのは深い群青色の髪を後ろでしばって風に流す少女だった。今日の朝に見た顔。間違いなく、俺の知る御剣冥夜の姿がそこにあった。 手に持つ黒い布袋で覆われた長い棒は、恐らく皆流神威だろう。こうして改めて顔を見るのは今が始めてだ。目を覚ました時は混乱していたし、さっきは純夏が恐ろしくてそんなことまで気を回していなかったし。 懐かしいという思いは今日会った皆に感じたが、やっぱり冥夜に会うのは一味違うものだと思った。俺にとって冥夜とはやっぱり特別なのだ。いや、もちろん恋人は純夏だが、また違う意味でだ。尊敬できる人物で、俺が間違えれば絶対に俺のことを止めて叱りつけてくれるだろう存在。信頼できる親友……とでもいうべきだろうか。親友の中でも特別信頼できる存在。俺にとっての冥夜は、たぶんそんな位置づけだと思う。 「あ……あ……あぅあぅ……」 純夏が冥夜の顔を見て意味不明なうめき声をあげている。 まあ、さっき顔見てるしな。ってゆーか、俺の家から出てきたところをこいつはばっちり目撃しているのだ。遅刻間際だったこともあって自然と誤魔化されていてくれたが、これはもう決定的だろう。 絶対に面倒なことになると確信して、俺は小さく息をついた。 冥夜が教壇に辿り着き、こっちを向くと、まりもちゃんはにっこりと微笑んだ。 「今日から皆さんと一緒に勉強することになった、御剣冥夜さんです」 「冥夜だ。以後見知りおくがよい」 懐かしいやり取りだ。 俺がまだかつての『元の世界』で学生だった頃、同じセリフを聞いた。あの時の俺は本当に混乱してしまっていたが、今は本当に懐かしい気持ちでいっぱいだった。 「そしてもうひとり――……」 え? もうひとり? そんなこと、俺は知らないぞ? 「御剣悠陽さんで〜す」 「悠陽と申します。3年B組の皆様、以後お見知りおき頂きますよう、宜しくお願い致します」 「で、殿下あああぁぁあッ!?」 な、なぜに殿下がここに!? いや、この世界での殿下って確か交通事故で亡くなってたんじゃなかったのか? なぜ、なに、どうして、Why!? 「た、タケルちゃん?」 純夏に呼びかけられて、はっと気づく。 そ、そうか……そうだ! ここは純夏が願った世界そのものなんだ。純夏は俺の記憶の中の殿下の存在――そこから俺が受けた影響で殿下の存在もまた俺にとって大切なものだと判断したんだ。だからたぶんこうして殿下もこっちの世界に存在している――。 そういうことか、と俺は納得する。それで俺はようやく落ち着いたわけだが……周囲の様子がおかしいことに気がついた。 みんな、俺のことを凝視している。みんな座っているが、俺は立っている。なぜなら、さっき俺は意味不明な言葉を叫び立ち上がったからだ。……そりゃあ、注目浴びるわ。 はは、とひきつった笑いしか出なかった。今からたぶん目立つのに、自分から目立ってどうする俺。 「あら……武様。ひょっとして殿下とは私のことですか? 武様にそのように呼ばれるのは少々気が引けますわ。私のことはぜひ、悠陽と呼んでください」 そ、そんなことを言われても……。 にっこり嬉しそうに微笑んで言う殿下に俺は内心で困り果てていた。どうにも、殿下にそんな呼び方をするなんて、という意識が働いてしまうのだ。まあ、この世界でそんな呼び方をしたら俺の方がおかしいことになるのだろうが。 少しずつ慣れていくしかないのだろうか。 「タケル、私のことも冥夜と呼ぶがよい。タケルと私の仲だ、遠慮は必要ないぞ」 「「「「!!」」」」 ぴしぃっ、と教室内の空気が凍った。比喩ではなく、本当に凍ったと思ったぞ。 ……ところで純夏、錆びついたロボットのようにゆっくり首をこっちに動かすのは止めろ。怖い。 「まあ、冥夜。まさかそなた私の目を盗んで……」 「は。昨晩タケルの寝所に赴き、その隣で眠り、夜を明かしました」 「「「「ッ!!」」」」 ひィッ!? な、なんだ今の殺気は。あの戦争を潜り抜けた俺でさえ怯むなんて、いったい発生源はドコ――、 「………………」 いた。 いましたよ、発生源。俺の斜め前の席に。 複数方向から感じたようにも思えたが、ここから放たれる突き刺さるような殺気には敵うまい。なにしろ、目が光っている。比喩ではない。本当にギラギラと光っているのだ。何者だ、純夏。 「先手必勝、と申します。如何に姉上といえど、このことに関しては易々と手を抜くことは出来ませんので……」 「見事です、冥夜。しかし、私とて譲れぬ気持ちは同じ……。今後はそなたの気随に沿うなどとは思わぬことです」 「は……重々、肝に銘じておきます」 な、なななな何を言ってるんですか、二人とも!? 「「「「おおおお! 転校早々、白銀を巡って三角関係ぇぇ!?」」」」 お、お前らも楽しそうに煽るようなことを言うんじゃねぇえええ! ほ、ほら見ろ! 純夏の背後から見たこともないようなドス黒い瘴気が立ち上って――! 「たぁ〜け〜る〜ちゃあ〜ん……?」 「い、いや待て純夏! まずは落ち着け! な!?」 今にも俺に必殺パンチを叩き込まんとしている純夏の様子に、さすがに俺も肝を冷やして宥めにかかる。どうどう、と言ってやるとさらに純夏の眉がつりあがった。な、なんだ、俺は何を間違えたんだ!? 「「「よ〜し、私たちも転校だ! お〜ッ!」」」 「え?」 「な、なんだ?」 い、今の声はまさか……。 唐突に響き渡った心当たりのある声に俺はそっちに気が向き、純夏もまた気を取られたようだった。 お、俺は今はじめてお前たちに感謝する! 再び扉が開かれそこから侍従姿の三人娘が現れる。それは、やはり俺も知る三バカの三人だった。 「ち、ちょっとあなた達は――!?」 「「「冥夜様と悠陽様のお世話させて頂いている者だ!」」」 一方的な宣告に、まりもちゃんも一瞬呆然とする。それを隙ととったのか、三バカは一人ひとり前に出てさらに言葉を続ける。 「このたび私たちも!」 「この3年B組に!」 「転入してやることに決定しました〜〜!」 「「「「はああああああああああ!?」」」」 んな馬鹿な、と思っているのは俺だけではないようで、クラスのみんなが一斉に声を上げた。三バカはそんな俺らの反応なんてなんのその、相変わらず笑って突っ立っているが、それもすぐに黙らせられるだろう。 なぜなら、すぐ後ろに月詠さんが迫っていたからだ。 案の定月詠さんは三バカの頭を小気味のいい音を響かせながら叩き、三人は一斉に涙目になった。 「「「真那様痛い――!」」」 「おほほほ……皆様、大変お騒がせ致しました」 月詠さんは笑顔でそう言うと、どこにそんな力があるのか一人で三人を強制的に教室から連れ出してしまった。 それにしても、月詠さんはホントにあっちの月詠さんとは違うな。でも、自分に厳しく、冥夜に対しては本当に冥夜のためになることを考えて行動する。月詠中尉も、こっちの月詠さんもそこは変わっていないんだなと俺は思う。 一番違うところは、こっちの月詠さんは俺に優しい態度を取ってくれるってところか。 「我が御剣家に仕える者達のご無礼、何卒平にご容赦を……」 「臣下の非礼は主の責任……皆の者、許すがよいぞ」 「い、いいのよ、気にしないで! 海外が長かったんだもの、仕方ないわよね〜」 申し訳なさそうにする殿下と冥夜に、まりもちゃんも何とか無難に事態を収拾させようと慰めの言葉をかける。 でもまりもちゃん、ひきつった顔で言っても説得力無いですよ。 「……き、気を取り直して――席決めましょう、ね、席!」 「そうねぇ……白銀の両隣にしましょう。ちょうど空いてるから」 開かれたドアから投げかけられたのは、俺にとっては凄く聞き覚えのある声だった。目を向ければ、やっぱり夕呼先生の姿。口元ニヤつかせてんのは……やっぱ狙ったんですね? 「え〜〜っ!」 「……っ!」 「えぇっ!?」 「……」 「だ、だめだめ〜〜〜!」 騒ぎだすのは純夏を含めた俺の親しい友人たちだ。夕呼先生は思惑通りの反応が返ってきたのが嬉しいのか、一層笑みを深くして俺を見た。 俺はじとーっとした目で先生を見る。と、その反応が先生には予想外だったのか、先生はちょっと驚いたように俺を見て、へぇーと声を洩らした。なんだというのだろう。 それから先生は冥夜と殿下に視線を移した。 「あんた達、さっさと席に着きなさい。せっかく空けた席でしょ?」 「は、心得ております」 「畏れ入ります」 冥夜と殿下はそれぞれ夕呼先生に返事を返し、俺の両横の席に座った。両側から視線を感じるが、今の俺はそれどころではない。斜め前から漂う不穏な空気と闘わねばならないのだ。……これからのことを思うと、激しく不安だ……。 俺がそんな憂いに嘆いている間も、教壇付近ではまりもちゃんと夕呼先生の口論……とまりもちゃんのためにも言っておこう。とにかく、二人が言い争っていた。 「ちょっと、ゆう……香月先生! なんでここにいらっしゃるんですかっ! D組のHRは――」 「ちゃっちゃと終わらせたわよ。時間を無駄にするのって好きじゃないのよね〜」 「だったら職員室に戻ってください! それに、人のクラスの席順、勝手に決めないで頂けますか!?」 「なによご挨拶ねぇ。わざわざあんたの尻拭いしに来てあげたのに」 「わ、私の尻拭い?」 「そうよ。ひとり忘れていったでしょう?」 ひとり忘れていった? どういうことだ? これ以上転校生がいるってことか? 殿下以外に俺と同年ぐらいでこの学校所属じゃない奴……心当たりは、いない。いったい誰のことを言っているんだ? 「ひとり忘れ……あっ!」 「あらら……いくら存在感が薄いからって、担任教師がそんな薄情なことしていいのかしらね〜」 「そ、それはその……はううぅぅ〜」 「ふう……そんなんじゃ教師以前に人間失格ね」 「!!」 絶対に先生には言われたくないな。 わざわざ溜め息までつかれて言われたのが相当ショックだったのか、まりもちゃんはあえなく撃沈し、しゃがみ込んで暗い雰囲気を背負っている。まるでそこだけ夜になってしまったみたいだ。 けどそんなことをまったく気にしないのが夕呼先生だ。仕方ないから自分が代わりに進行するなんて言っている。どんだけゴーイングマイウェイなんだ、あんたは。 ついでに佐藤と田中の転校を知らされた。クラス全体が驚いたが、俺としては特に驚かない。悪い、記憶にないんだよ二人とも。 「さて……じゃあ、まりもが忘れたもう一人を紹介するわ。……いいわよ、入ってきて」 さて、もうひとりとはいったい誰なのか……こっちで面識がない知り合いっていったらA-01の皆ぐらいだが、全員俺より年上――、 「……はい」 「――っ」 心臓の鼓動が高ぶるのがわかった。 聞き覚えがある。そう、聞き覚えがある声だ。どくどくと絶え間なく全身に血液を送り出す心臓の音が今はひどくうるさく感じる。考えがまとまらないじゃないか。 ああ、そうだ聞き覚えがある声なんだ。どこかだって? 決まってる。向こうの世界だ。ずっとずっと聞いていた声だ。俺がまさか間違えるなんてことをするはずがない。 がら、といつも聞き慣れた音よりは控え目に開かれた扉の音が耳に届いた。転校生は身長が低いのか、俺の目にはバストアップされた顔よりも、真っ先に長い銀髪を留めている黒いリボンが目に入った。ちょうどそれが目に入る高さだったのだ。そのリボンは頭の上の二か所で留められており、髪は二つのまとまりとなって背中に流れている。黒いリボンは、まるでうさぎの耳のようにも見ることが出来た。 教壇の横に並ぶ。そして、まりもちゃんに代わって夕呼先生が彼女の名前を口にした。 「今日からこのクラスに入る、社霞よ」 「……社……霞、です。……みなさん、よろしくお願い……します……」 控え目なしゃべり方。人見知りなのか伏せがちな目、細い小さな身体。どこをどう見ても、俺の知っている霞の姿に間違いなかった。 殿下がここにいるのはまだわかる。冥夜の姉として存在していたからだ。だが、霞はどうしてここにいる? 霞の存在をこの世界の俺は知らなかった。もし霞がこの世界にいたとしても、俺の知る範囲にはいなかったはずだ。なのに、なんでここにいるんだ? ああ、いやそんなことじゃない。そんなことはどうでもいいんだ。そうじゃなくて、それよりも俺は凄く嬉しいんだ。霞がここにいることが。向こうで、様々な思惑の中にいて、子供らしい楽しみなんて何も知らなかった霞がここにいることが。 純夏がちらりと俺を見ているのがわかった。純夏には、俺が霞を大切に思っていることを伝えてある。だからきっと、今の俺の気持ちを察してくれたんだと思う。 ……やっぱり、純夏はいい奴だ。俺は口元を緩ませた。 霞はまだ俯いていて、あまり顔は見れない。ちょっと、残念だ。夕呼先生が霞のプロフィールを話しているが、俺の頭の中には入ってこない。脳に届く前に耳から抜けてしまっているみたいだ。それよりも、俺は霞の顔が見たかった。俺にとっては、妹のような、娘のような、とても大切な守るべき存在の顔を。 「霞……」 呟くような声で口に出した。 ただそれだけだ。それだけなのに、離れた所にいる霞の肩が大きく震えた。弾かれたように俯いていた顔をあげて俺のほうを凝視している。 …………反応が、おかしくないか? この世界では初対面のはず。もし今の呟きが聞こえていたとしても、訝しむか不審そうにするのか普通じゃないのか? ……いや、答えから逃げるな。素直に考えろ。俺はそのありえない俺の推測を信じられないだけだ。……そう、それが一番可能性が大きいんだ。 俺は、いつの間にかからからになっていた喉に唾液を送り込み、声を出せるように潤した。そして、意を決して言葉を紡いだ。 「――……霞、俺のことがわかるか?」 「……――ッ!」 もう一度、今度ははっきり問いかけると、霞は本当に驚いたようで声もなく手を口元に持っていった。 ……もう間違いない。俺の推測は、正しかったのだ。 「し、白銀君? 社さんとお知りあ――」 復活したらしいまりもちゃんが俺に疑問を投げかけようとするが、その言葉は途中で途切れてしまった。 霞が突然泣き出したのだ。ぽろぽろと霞の双眸から光る滴がこぼれおちる。霞自身、両手で目元をぬぐっているが、その成果はなく、溢れてくる涙が止まることはなかった。 「あーあー、しろがねぇ。あんた何こんな小さい子泣かしてんのよ」 「し、白銀君!? いったい――」 「タケル、あの者と何か関係があるようだが、どのような……」 「武様、私も気になります」 「タケル〜?」 「たけるさん?」 「………………」 「白銀君?」 みんなが一斉に俺に声を掛けてくるのがわかった。責めるような目もあれば、霞との関係への興味の視線もあった。夕呼先生のようにからかいまじりのものはなかったが。 それだけのことがわかったが、俺はそれらに一切反応を返すことはなかった。みんなには悪いと思うが、それらに反応を返すほどの余計な感覚は持っていなかったからだ。 なにしろ、今の俺の全神経は霞の一点に向いているのだ。純夏以外に話しかけれても今の俺は何も答えないに違いない。あの世界のことを知っていることこそが、俺たちの間に共通する一つの大切な絆に思えたからだ。 俺はごほんと一つ咳払いをして、顔の筋肉を緩めて笑みを浮かべようとした。真面目くさった俺なんて、霞の前では似合わないと思ったからだ。自分で言うのもなんだが、俺はちょっとガキくさい。だいぶそれは矯正されたが、霞の前でそれを取り繕うことは一度もなかった。だから、今の俺の方が霞にとっては見慣れた俺のはずだと思った。 俺は顔の筋肉と一緒に緩みそうになった涙腺を無理やり押しとどめ、安心させるようにへらっと笑って見せた。 「――……あー……、なんて言えばいいのかな、まったく。……気の利いた言葉が思いつかねえや。ごめん。…………けど、久しぶり。また会えて嬉しいぜ、霞」 何とか笑顔のままそれだけ言ったところで、霞は教壇の横から姿を消していた。けれどそれで霞の姿を見失うことはなかった。霞は俺に向かって一直線に走ってきていたのだ。 ばふっ、と走ってきた勢いのまま霞は俺に抱きついた。鍛えていない身体では霞を受け止めるのは少し厳しかったが、俺はそんな様子はおくびも出さずにただ霞の肩に両手を置いた。 「……っ! ……し、ろ……がねさん……しろ、がねさん……っ!」 「……久しぶり、霞」 「――……ッ! ぅっ……ぅう……!」 俺がもう一度言うと、霞はより一層頭を俺の腹あたりに押し付けて嗚咽を漏らした。 突然の事態に教室中が静まり返っている。冥夜たちも、誰ひとりとして口を開いてはいなかった。夕呼先生でさえ、からかうようなことはせずに、じっとこちらを見ているだけだった。 「タケルちゃん……」 「純夏か……」 ただ、純夏だけは違っていた。ためらうことなく俺と霞の傍に寄ってくる。俺が霞のことを話していたからか、それとも純夏自身なにか感じるところがあるのか。……そういえば、00ユニットの純夏は全確率時空の00ユニットの自分とも繋がっていると聞いたことがある。いま目の前にいる純夏は00ユニットではないが、何かしらやはり関係しているのかもしれないな、と俺は頭の片隅でそう思った。 純夏が近づいてきたのがわかると、霞は押しつけていた顔をぱっと上げて純夏の顔を見た。そしてまた泣き出した。 「……が、とう……ざい、ます……っ。……す……みか、さん……」 霞の言葉に、純夏は少し首をかしげた。その様子を見て、俺はこの世界が純夏の意識に大きく関連付けられていることを話していなかったことに思い至った。 とりあえずそれは後にするとして、俺は純夏に目で合図を送る。内容なんてない。強いて言うなら、お前がなんとかしろ、だ。 案の定純夏は当惑したが、ナチュラルなほうが純夏らしくできるだろう。霞には、そういう本人の本質を見せてやるのがきっと一番いい。 純夏は数秒、あーだのうーだの言っておろおろしたあと、突然なにか思い立ったようにはっとなり、霞と目を合わせた。 「……か、霞ちゃん! えっと……と、友達になろう!」 霞はいきなりのことで驚いたのか、わずかに目を見張った。 対して俺はその純夏の様子があんまりにも必死だったうえ、散々迷って出た言葉がそれだったこともあり、思わず吹き出していた。 純夏はそんな俺を厳しく睨んだ。 「な、なんで笑うのさ!」 「だってお前……い、いきなり……くくっ」 「た、タケルちゃんが言ったんじゃん!」 あいにくと俺は何も声に出してはいない。俺がとぼけると純夏はさらにムキになって騒いだ。 周りは俺たちの会話何かについてくることが出来ずに、完全に傍観者になっている。なにかフォローをするべきなんだろうが、今の俺には霞のことが一番大事だ。 ひとしきり笑ったあと、俺はさっきの驚きで止まったらしい涙をぬぐっている霞の頭に手を置いて、撫でた。 「……ま、なんでお前がここにいるのかは大体わかったよ。大方、“あいつ”がやったんだろ? ……さすがっつーか、俺や霞の気持ちなんて、お見通しだったのかもな」 「……しろ、がねさん……」 こっちを見上げてくる霞に、笑いかける。 「けどまあ、こうなったからにはお前も“こっち”の一員だ。俺と純夏で色々教えてやるよ。……楽しいこととか、嬉しいこととか。……ああ、あと約束も果たさなくちゃな」 「………………」 「たくさん、楽しいことやろうぜ。俺たちが一緒なら、どんな世界だって最高の世界になるに決まってる」 「…………はい」 霞も少しだけ口元をゆるめて笑ってくれた。俺は霞の頭をひときわ大きくぽんぽんと撫でた。衝撃にわずかに目を伏せた霞に、囁くように小声でつぶやく。 「――あと、さ。こっちでも会えるとは思ってなかった。……会えて嬉しいよ、霞」 「……! ……っはい!」 満面の、とは言えなくても、霞にとっては一番の笑顔であろう笑みを浮かべて再度俺に抱きついてくる。もちろん俺はそれを受け止めてやった。 ……いや、別にどきっとはしてませんよ? 今一瞬、心臓が跳ねた感がしましたけど、気のせいだと主張します。ああでも、俺って霞に一応告白されてるんだよなぁ。いや、俺には純夏がいるし……ってそうじゃないだろ。そもそも年齢的にアウトじゃないか。俺が手を出したら犯罪だろう。青少年保護条例にひっかかるだろう。というか、俺は幼女趣味では……いや、でも霞は幼女ってほどでもないし……。いや、惑わされるな俺! 俺はロリコンじゃない、俺はロリコンじゃない、俺はロリコンじゃない、俺はロリコンじゃない……。 「しろがね〜。なぁにブツブツ言ってんのか知らないけどさ〜。周りの状況、見たら?」 夕呼先生、なんですか。ついさっき周りの状況は確認したばかりですよ。だからほら、見渡せばみんな呆然としてこっちを見て――…………な、なんで今は殺気ビンビン? 「タケル……」 「武様……」 「たけるさん……」 「白銀君……」 「白銀……」 「タケル〜……」 な、なんでお前たちはそんな目で俺を見るんだ!? や、やめろ……犯罪者を見るかのような目で俺を見るな! プラスそれに殺気をこめるな! 俺は正常だし、何もしていない! 「タケルちゃん……」 す、純夏! お前だけだ、俺のことをわかってくれるのは――……えっと、なんでまた目が光ってるんでしょう、純夏さん。 「……霞ちゃんを受け止めるだけなら、背中まで手を回す必要はないんじゃないかな?」 「………………」 おっと。ついうっかり。 俺は純夏の人殺し視線を受けて、暗に示されたとおりに霞の背に回していた手を離す。……だが、霞は俺から離れない。 みんなからの視線が一層強くなった気がするが、これは俺のせいじゃないだろう。 「あ、あーっと……か、霞さん?」 「………………」 霞は何も言わず、ただ俺にぎゅっと抱きつく。 「「「「!!」」」」 それを見てさらに緊張する周りの空気。……俺は何もしていないというのに。 「あー……めんどくさいから、そのままでいいわ。社の席はあんたの前だからね。両隣は御剣姉妹。いや〜、女の子に囲まれてウハウハね、白銀ぇ」 「こ、香月先生! なんて物言いをするんですか! 白銀君だってわざと女の子囲ってるわけじゃないでしょうに……」 まりもちゃん、あんたのほうがキツイっす……。普段どんな目で見てたんですか俺を。 「いっそのこと誰かと付き合ったらぁ? 席が近いイコール二人の距離が近い。イコール恋愛に発展、なんてことになったりしてねぇ」 「「「「!!」」」」 さらに空気が緊張した。 とりあえずこの状況の中で霞を引っ付けているのは俺にとってマイナスにしかならなそうだ。……霞、ちょっと離れててくれな。 「だ、ダメダメぇ――――ッ!」 俺が霞を離したところで、純夏の大きな声が教室に響く。夕呼先生は若干呆れ気味に純夏を見た。 「……なによ鑑。あんた別に白銀の彼女ってわけでもないんだから、そんな否定する権利なんて――」 「か、かかかか彼女です彼女です! わたし、タケルちゃんの彼女ですぅッ!」 顔を真っ赤にして宣言した純夏の言葉に、今度こそ教室中一人残らず固まった。夕呼先生でさえ驚いて声もないといった様子だ。まりもちゃん以下このクラスの全員――冥夜と殿下以外――は昨日までの俺と純夏のことを知っているだけに、いきなり今日付き合っているという言葉には驚くほかないみたいだ。 純夏の気持ちにはみんな気がついていたらしいけど、俺はまったく気がついてなかったからなぁ。 「……あら、そうなの?」 いち早くショックから立ち直った先生が俺に問いかける。 「え、ええ。まあ……そうなります」 この教室でまったく動揺していないのは俺と純夏と霞ぐらいか。純夏は別の理由で動揺してはいるが。霞はもともと俺と純夏の関係は知っているからな。動揺しようがないんだろうな。 ともかく俺がそう認めた瞬間、わっとクラス中から歓声が上がった。主に女子連中からだったが。 やったじゃん、純夏! 純夏ちゃん、長かったねぇ〜、おめでとう、純夏! だのなんだの、口々にみんな純夏にお祝いの言葉を送っている。……マジでみんな知ってたんだな。 「あ、ありがとう……」 そしてそれらに照れ臭そうに返している純夏を見て可愛いと思ってしまう俺は相当きていると思う。いや別に嫌なわけじゃないけどさ。 男子連中も彼らは彼らでなにがしか口にしているようだ。ホント長かったよなぁ。あ、今年中じゃん。げ、マジで! おっしゃ、俺大穴! マジかよ、絶対白陵大まで持ち越すと……。――……賭けてたのか、お前ら。 というか、いかに純夏と俺の関係が周りに影響を与えていたのかがわかるなこれ。まさかクラス中巻き込んだ騒ぎになるとは……個人の問題になんでそんなに関心が高いんだ皆。 「……白銀さん、にぶいです……」 「え、何か言ったか、霞?」 「………………」 大人しく俺の前の席に座っている霞は、ぼそっと何か言ったきり口を閉ざしてしまった。みんな何だってこう、俺の前で不審な行動を取ることが多いのかねぇ。 わいわいがやがやと騒ぐ皆は、もはや収拾がつかないらしく、教室前方でまりもちゃんが何事か叫んでいても聞き入れる様子は全くないようだった。単純に聞こえていないという可能性もあるが。それだけこの教室はいま騒がしかった。苦情が来ないのは、単にこのクラスがB組であり、夕呼先生が今はいるからだろうなぁ。 「……私は、諦めませんわ」 そんなやかましい喧噪で溢れていた教室だが、その一言は何故か隅から隅まで響き渡った。今度は一瞬で水を打ったかのような静寂が訪れる。 「姉上……」 「冥夜。我々がここに来ることにどれだけの夢と希望を抱き、犠牲を強いてきたか、そなたにはわかるでしょう……」 そっと殿下は辛そうに目を伏せる。それを見て、冥夜も苦渋の表情で口を噤んだ。 二人は御剣財閥という、日本の裏の支配者とまで言われる巨大な権力集団を背負って立つ身だ。その二人がこうして普通の学校生活を送るために何をして、何を犠牲にしてきたのか、詳しくわかることはなくてもその難しさと大変さは推し量ることが出来る。 ただ俺に会うために。昔交わした約束を果たすために、そこまでしてくれたことは単純に嬉しい。しかし、俺は純夏を既に選んでしまっている。申し訳ないような、自分がひどく嫌な奴にも思えてきて、俺は思わず俯いて――、 「ですから、私は予定通りここに通いますわ。武様も一時の気の迷いだったとおっしゃるかもしれませんし、最悪、妾として武様のお傍に居させていただくことも出来ますし」 あれー? 殿下はふふっと上品に笑ってそうのたまうが、周囲の人間は完全にぽかーんとしてしまってそれどころではない。あの霞でさえ、目を見開いている。恐るべし、殿下。 「――と、いうことで武様。クラスメートであり、お隣の席でもあります私と今後ともよろしくお願い致しますわ」 「で、殿下?」 「あら、武様。悠陽でよろしいと申し上げたではありませんか」 笑顔のまま俺の腕を取る殿……悠陽からは、なんだか今まで味わったことのない恐ろしさを感じた。これが黒いってやつなんだろうか。ああ、恐ろしい。……そう思いつつも、腕に当たる柔らかい感触に意識がいってしまう俺は、きっとダメな奴なんだろう。 「あ、姉上! くっ……あ、姉上がそう申されるのなら、私もここに留まらざるをえないでしょう。姉上に後れを取るわけには参りません!」 「あら冥夜。別に無理をしなくてもよいのですよ」 「む、無理などしておりませぬ! わ、私とてタケルのクラスメートであり、隣の席に身を置く者……タケルのことを諦めたわけではありません故!」 「「「「おおおおぉぉぉおお〜〜〜!」」」」 言いつつ顔を赤らめて俺のもう片方の腕を取る冥夜。そしてそれを見て大きな声を上げるクラスの皆。 「え、え、みんな、さっきまで祝ってくれてたのに〜〜!」 純夏、諦めろ。このクラスの連中は何よりも面白いことが大好きなんだ。今此処に俺という対象がいる以上、もうさっきまでのことなんてどうでもいいに決まってるんだよ。 半ば諦め半分に俺が思っていると、突然委員長がばっと手を高々と挙げた。ちょっと震えているのはなんでだ。 「せ、先生! 席替え、席替えを提案します!」 「さ、賛成でぇす!」 続いてたまも手を挙げて委員長の言葉に賛同を示す。 「……同意」 「あはは、それじゃあ一応わたしも」 「あ、ボクも〜!」 彩峰に柏木、美琴まで!? お前らなんなんだいったい。しかも柏木なんか口調は軽かったのに目が明らかに真剣だぞ? 「み、みんなまで〜! た、タケルちゃんの彼女はわたしなのに〜!」 必死に訴える純夏だが、当の皆は、そんなの関係ないとばかりに聞く耳持たずだ。実に個性あふれる3年B組の一員らしい振舞いに、俺は感心しきりである。 ……ところで霞。なんでお前も右手を挙げるかのように胸の前に持って来ているんだ? 「なっ! なりませぬぞ、神宮司教諭! 初日から席替えなど混乱こそすれ……!」 「私も、僭越ながら反対させて頂きますわ」 隣の二人は皆の意見に真っ向から反対の意を示している。それよりもとりあえず二人とも、腕を離してくれないだろうか? さっきから純夏と霞の視線が痛いんだよ。 俺がそう思っていると、その思いが通じたのか二人は俺の腕を解放してくれた。とはいえ、教室の雰囲気はまったく変わっていない。朝のHRの空気なんてもう微塵もなく、完全なカオス空間がここにあった。 「み、みんなぁ〜! お願いだから落ち着い――」 「わかったわ! ここはあたしに預からせて頂戴!」 突然大きな声を出した夕呼先生に、全員の目が一斉にそこを向く。 先生は俺にとってはひどく見慣れた、何事かを企んでいる顔をして、高らかにこう宣言した。 「あんた達には、白銀の隣の席を賭けて料理対決をしてもらうわ!」 ――……と、いうわけで今日という日を迎えたわけなんだが……。 昨日の夜、帰ってから純夏に頼んで見せてもらったエクソダスのビデオを見て、俺はその時に止めなかったことを心底後悔した。人間が食うものが出てきたことが一度もないじゃないか。というか、どう考えても番組の趣旨がおかしいだろ、これ? そのうち審査員が一人も来なくなって打ち切られるに違いないと俺は確信した。 と、そんなことより問題なのは頼みの綱であった純夏と霞までこの件に乗り気だということであった。 純夏は、これを機に皆をきっぱりと諦めさせる! と息巻いているし、霞は霞で俺のために何かするというところが楽しいものらしい。純夏はなぜか霞のことはいいのか、むしろ協力していたりする。女の考えることはよく分からないな……。 それはともかくとして、御剣邸に集まった皆は早速夕呼先生の号令のもと様々な作業を開始したのだが……プロを呼ぶのはやはりどうなんだ? 半ば予想していたとはいえ、それはないだろうと思わずにはいられない。 そしてそれは皆も思っていたようで、しっかり不満をぶちまけていた。夕呼先生は最初そんな意見を歯牙にもかけていなかったが、唐突に冥夜と悠陽をセットの裏に連れていき、戻ってくると二人とも料理人は下げて自分たちで作るって言いだした。いったい何を言ったんだ、先生。 そしてようやく全員納得し、料理を作り出したところで――、 「ごほっ……な、なんでこうなるんだろうな……」 「けほけほっ、し、知らないよぉ〜」 ドカンと一発、大きな爆発が起こって料理なんて跡形もなく吹っ飛んじまった。 俺は何とか近くにいた純夏を抱えて霞と一緒に庇うように爆発の盾になった。微妙に背中は熱かったが、あれだけの爆発でそれだけなら僥倖ってもんだろう。 それよりも皆は大丈夫なんだろうか。特に爆心地と思われる冥夜と悠陽だ。爆発の規模から考えれば不安だが……ここは御剣本宅だ。逆にあの二人の傍のほうが安全だって気がしなくもない。 さて、どうだろうかと思っていたところで、煙の向こうから皆の元気そうな騒ぐ声が聞こえてきた。どうやら、全員無事らしい。 「あはは……みんな大丈夫みたいだね」 「ああ。まったく、とんだ日曜日になったぜ」 純夏と同じように、俺も苦笑を浮かべる。そしていまだにちょっとむせていた霞の頭をぐりぐりと撫でてやる。意味はない。そこに霞の頭があったからだ。純夏も楽しそうに霞の後ろから霞の身体を抱きかかえるように引っ付いている。実に微笑ましい絵だ。俺は自分の頬が緩むのを感じた。 「白銀〜、あんたら早くこっち来なさいよ。怪我はないでしょうね」 向こうから夕呼先生が呼ぶ声が聞こえて、俺は大声ではいと返事を返した。 純夏も霞から離れ、霞の手を引いて歩きだそうとしている。俺はふと思いついて純夏が握っている霞の手とは反対側の霞の手を取った。霞が驚いて俺の顔を見る。それに俺はにっと笑い返してやった。 純夏を見ると楽しそうに笑っていた。霞はしばらく俺と純夏の二人の顔を交互に見ていたが、やがてそれもなくなり、わずかに顔を赤くして俺の手を少し力を入れてぎゅっと握り直してきた。純夏もそうだったのか、俺と純夏の目が合う。 しかし、これは実に嬉しいことだ。霞も色々と感じてくれているということだからな。 俺と純夏は霞の手を握り返し、三人そろって煙の向こうへと歩いて行った。とりあえず、料理対決はどうするのか、と夕呼先生に尋ねるために。
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| ―――To Be Continued |