Muv-Luv Truth Episode ふと、白銀武は唐突に目が覚めた。 「………………」 開いた目に飛び込んできたのは、ひどく見覚えのない懐かしい天井。 清潔とはいわなくても、小奇麗に整頓された自らの部屋。 そして、なぜか自分の隣で小さく寝息を立てている、よく見知った仲間の姿だった。 『――せめて、最期は……愛する者の手で……――』 「――――!?」 頭に浮かんだ強烈なイメージに、武は身体をこわばらせた。 「……ゆ、め……?」 崩壊した家。廃墟となった街。 かつて学校があった場所――国連軍太平洋方面第11軍横浜基地。 夕呼先生。 霞。 侵略する敵――BETA。 地球の放棄。 オルタネイティヴ計画。 その第四段階。オルタネイティヴ4。 繰り返される時間。 再び出会う仲間たち。 変わる未来。 自らにとって大切な人達。 神宮司軍曹――。 伊隅大尉に、柏木――。 涼宮中尉、速瀬中尉。宗像中尉、風間少尉、涼宮――。 世界を歪ませた、自分の罪。 『桜花作戦』。 ……委員長。 ……綾峰。 ……美琴。 ……たま。 ――……冥夜。 そして、純夏――。 「……そうか、俺は……」 帰って来たんだ――。 武はそう認識すると、急速に身体から力が抜けていくのを感じた。 この世界では、BETAと戦うこともない。 明日、訪れるかもしれない死の恐怖に怯える必要もない。 生きることに対する覚悟も、比較するなどおこがましいほどだろう。 『あの世界』から見れば、ここはまるで、おとぎばなしのように平和な世界に違いない。 だが、なぜだろうか。 武は今の現実こそが夢であってほしいと、心の中で願っている自分に気がついていた。 ここは、己が生命を賭けて守ろうと誓った世界ではない。 どうしようもないガキだった自分を叱咤し、励ましてくれたあの人たちが眠る世界ではない。 あの人たちに後を託され、仲間たちが命を散らして希望を残した世界ではない。 自らの罪もなくなってしまった、最初からあの世界とは何の関わりも持っていないことになってしまった、新しい世界なのだ。 自分がやりたかったことは……あいつらが命を賭けて見出したものを決して無駄にしないこと。そして、そんな奴等がいたことを誇らしく語り継いでいくこと。 だが、それはここでは出来ない。そして、あそこにはもう戻れない――。 それがわかったからこそ、武の身体には力が入らなかった。 世界を救った。 それがどうしたんだ。 俺は逃げたじゃないか。また、こうして。 いや、元の世界に帰っただけだと言われるかもしれない。 けど、こんなのは違う。絶対に違う。 俺は、あの世界にいたかった。 あいつらが命を賭けて守ったものを。大尉たちが、命を賭けて残したものを。 それを誇らしく語りながら、俺も戦い、人類を守って、みんなや……純夏とともに『あの世界』に骨を埋めたかった。 一人だけ、安全なところに行っちまうなんて……。 武は、ただそれが悔しかった。 「今は……五時か……」 いつからだったか愛用している時計は、秒針の刻む音を正確に奏でている。 ずいぶんと早く起きたものだ。 これも、長い軍生活で身についた習慣ということだろうか。 武は苦笑して、隣で眠る冥夜を起こさないようにベッドから出る。 そのまま適当な格好に着替えて、上着を羽織る。私服を着ること自体、武の主観時間ではかなり久しぶりだ。あちらでは、軍服を着ている時や衛士の強化服を着ている時のほうが圧倒的に多かった。 静かに部屋を出ると、ひどく懐かしく感じる我が家の中をゆっくりと歩く。そして玄関まで辿り着くと、冬が近付きにわかに冷え始めた空気が満ちる外へと足を踏み出した。 「……家が建ってる」 見渡せばそれ以外にもビルが立ち並んでいるのが確認できる。 武にとっては、とてつもなく珍しい光景だ。あちらでは、どこまで行っても廃墟だった。 「空気もうまいなぁ……」 肺いっぱいに朝の新鮮な空気を吸い込み、存分にため込んだところで一気に外に押し出す。 それを二三回繰り返したところで、武ははっきりと認識した。 ――ああ、ここはやっぱり『あそこ』とは違う、と。 いつの間にか『あっちの世界』が主眼になっていることに武は気付いたが、それを誇らしく思えどおかしく思うことはない。 ただもう戻れないという現実がある以上、寂しさを隠すことはできなかったが。 BETAの侵攻に恐れることのない、平和な世界。 人間同士の戦争はあるだろうが、日本はそんなことに晒される心配はほとんどない。 本当に、争いとは無縁な、得難い世界。 『あの世界』を経験した武だからこそ、そう思える。 「………………」 あの時……『桜花作戦』の時。 オリジナルハイヴの最奥で、『あ号標的』は言っていた。 自らと同じ上位存在は、この宇宙に10の37乗存在していると。 そして、彼らの創造主でもある知的生命体は珪素系生命体であり、それゆえに炭素から生命が生まれるとは露にも思っておらず、炭素系生命体である人類を生命だと認めていないと。 あの情報を夕呼がどのように利用していくのか、武にはもはや知る術はない。 最終的に夕呼が言うように講和に持ち込めれば、それも良し。 だが、もし徹底抗戦となった時は――。 「………………」 人類は、勝てるのだろうか。 地球はどうなるのだろうか。 伊隅大尉や速瀬中尉、涼宮中尉たちが守った希望は。あいつらが願った、人類の未来はどうなるのだろうか。 あいつが機械となった身体を酷使して、自らの犯した罪に苛まれながらも掴み取った可能性の選択肢は、どうなるのだろうか? 「――純夏……」 ごめんな。 武は内心で謝る。今の状況が、彼女が何より願ったものであったとしても、それでも。 ごめんな、純夏。ずっと一緒にいるって言ったのにな……。 純夏が自分をこの世界に帰したがっていたのは、霞からも聞いたし、知っている。でも……だからこそ、武は自分の情けなさを詫びる。 ずっと一緒にいるという約束を破って、ここにいる自分を。 「ったく……これじゃ逆じゃねぇかよ。いっつも、我がままを言うのは俺の役目だったろうが……」 そして、「タケルちゃん、わがままだよ」と言いながら、結局最後は「仕方ないなぁ、タケルちゃんは」と笑うのだ。それに対して、自分は「何だよ」と返してバカみたいにふざけ合うのだ。 それがいつもの二人だったのに、武のこととなると純夏は極端に頑固になる。 いざという時には、いつもそうだ。 「かなわねぇな、まったく……」 結局、いつだって武は純夏に甘かったのだ。 昔から、何かといえば純夏のことを気にかけて、何かあった時には守ってやれるようにしていたことを思い出した。 いま思い返してみればだが、ずいぶんと幼いころから自分は純夏のことを大切に思っていたようだと自覚する。 まあ、いじめたり泣かせたことのほうが圧倒的に多い気もするが。 それでも純夏は決して武から離れようとはしなかった。物好きな奴め、と武は内心で嬉しく思う。 「お前が願ったことだ……。俺は、こっちの世界で生きていくよ」 今度は自分が仕方ないなと笑う番が来たのだ。 いつもそんな役目をさせていたのだ。たまにはこっちが代わってやらないとな。 ふっと笑みをこぼして、まだ朝日も見えない暗い空を見上げる。 「ずっと一緒にはいられなくなったけど……、もう一個の約束は守るから安心しろよな」 にっと笑う。 まあ、それも『この世界』の純夏が受け入れてくれればの話だが。 「ありがとう。純夏……」 最期まで俺のことを愛してくれて。 世界を曲げてしまうほどに俺のことを愛してくれて。 それがどれだけ色んな所に迷惑をかけたかは知っている。 それでも、自分がそれだけ純夏から求められているのだということを知ることは、やっぱり嬉しかったから。 だから、感謝する。 どの世界の純夏でも、純夏は純夏だ。 苦しんでいるお前がいたなら、助けることができてよかった。 たとえ最後に死を選んでも、きっと任務を達成して同時に『因果導体』となった原因も無くすことができたことを、純夏のことだから喜んだに違いない。 武としては生きてほしかったが、仕方がないことだったのだ。 恋人になれたのは、ほんの三日ぐらいだったけど、それでも大切な存在なことに変わりはない。 もう目を覚まさないと聞いた時は、本当に悲しかった。 (だけど、それを引きずってまで悲しむなって言うんだろ?) いつだって、自分よりも俺が優先だったからなあいつは。 武は純夏のことなら誰よりも知っている自信がある。 だから、間違いない。そしてそう願うのなら、俺は『この世界』で新しく生きよう。 それが、あいつの願いだったんだ。 「じゃあな、純夏。……愛してる」 だから、笑顔で武は空に向かってそう囁く。 向こうにいる、あいつに届くように一心に願って。 ……だから、背後への警戒が疎かになっていたのはまぁ、仕方がないことだろう。 「ふへ!?」 「……は?」 奇怪な叫び声が突然背後で起こったことに驚いて、武は後ろを振り向いた。 そこには見慣れた幼なじみの少女が、これ以上ないぐらいに顔を真っ赤にさせて口を最大限まで開ききった姿でこっちを凝視していた。 「す……みか……」 「あ、あ、あああのたたたたタケルちゃん!? い、いまな、なな何を言っでッ!?」 小刻みに震えながら真っ赤な顔のまま口を開いた純夏は、最後のあたりで思いっきり舌を噛んだ。 しかもこれまた色気も何もない噛み方だった。「でッ」はないだろう、「でッ」は。 「………………」 「うええぇぇ〜……。ひたはんだ〜、ひたひよ〜」 バカだ。 武は真っ先にそう思ってしまった自分に、内心でそれってどうなんだと問いかけてしまった。 いや、そう言えばこの世界にいた時はよく純夏をバカにしていたな、と思い出す。 向こうの世界でのことが印象的すぎて、すっかり前の記憶が薄れてしまっているようだった。 「お、まえ……」 「はひ? な、なにはへるちゃん」 まだ言語機能回復には至っていないようで、非常に舌っ足らずな返事が純夏から返ってくる。 それでも、目の前にいるのは純夏だった。 どこの世界に行ったって、絶対間違えるはずのない純夏だった。 タケルちゃんに逢いたい。 それだけのために世界を変えてしまうほど自分のことを想ってくれている純夏だった。 武にとっても、何よりも大切な、誰よりも一番愛している少女。 ちょっと、今はバカっぽいところが前面に出てきているようだが、それは変わらない。 「おまえ…………バカだなぁ」 「な、なんだとー! も、もとはといへば、たへるちゃんが変なこと言うから――!」 そこでまた先刻のことを思い出したのか、真っ赤になってうろたえ始める。 「あ、う、あうあうあうあう……」 再びこれ以上なく動揺し始める。 そんな純夏の様子は、とても懐かしい気持ちを武の中に芽生えさせた。 それと同時に、愛おしさや、純夏と過ごした時間、『あっち』での純夏の最期がまるでフラッシュバックのように脳内を駆け廻る。 じわりと目の前の光景がにじみ始め、武は我慢することなく行動に移った。 「きゃっ……、た、たたたタケルちゃん!?」 「………………」 武は、目の前にいる純夏を思いっきり抱きしめた。 それはまるでここにいる純夏がいなくなってしまわないように、本物なんだと確かめるように、強く抱きしめた。 「ち、ちょっと痛いよタケルちゃん……、え?」 「………………」 「タケルちゃん……泣いてるの?」 「………………っ」 泣くのは、凄之皇のコクピットで純夏を抱きしめた時が最後だと思っていた。 自分でもそう決めていたのに。 それでも、実際に目の前に『この世界』の純夏が現れたら、止められなかった。 なんとか過去の自分のように振舞おうともしたが、そんなこと到底無理だった。 自分は純夏を愛しているのだ。 その愛した少女に再び逢うことができたというのに、どうして我慢できるというのか。 「……っ…………」 「タケルちゃん……」 「っ!」 ぎゅっ、と純夏からも武を抱き返される。 「タケルちゃんがなんで泣いてるのかは判らないけど……、武ちゃんが悲しいなら、わたしも悲しい。タケルちゃんが辛いなら、わたしも辛い。……だから、さ。いっぱい泣いちゃいなよ。今さらわたしたちの間に遠慮もないでしょ?」 「す……み、か……」 タケルちゃんは、わたしの半分なんだから。 いつだったか、『こことは違うこの世界』で純夏から聞いた言葉。 武もそうだと思った。自分たちは二人いて初めて、白銀武と鑑純夏になれるのだと。 純夏は、やっぱり純夏だ。 武は純夏を抱きしめ、その肩に顔をうずめて声を押し殺しながら泣いた。 心の中の想いを吐露するように。今此処にいることを懺悔するように。涙をぼろぼろとこぼしながら泣いた。 そんな自分を抱きしめ、背中をさすってくれる純夏のことをどうしようもなく愛しく感じながら。 武は泣き続けた。 しばらくして落ち着くと、武はようやく純夏を抱きしめていた腕から力を抜き、純夏を解放した。 純夏も大人しくそれに従って腕を離す。 「あはは……肩のトコ濡れちゃったよ」 「悪りぃ……」 「いいよ別に。まだ制服に着替える前だったし」 そういえば、純夏の格好はいつもと違う。首元まで隠れるセーターを着て、さらにエプロンまでつけているのだ。 「なに、してたんだ?」 「お弁当だよ。タケルちゃんの。ちょうど作ってるとこだったんだよ」 そういえばそんなこともあったか、と武は思いながら、弁当を作るためにこんなに早起きをしていたのかと驚愕する。 夜まで窓越しに会話をしているというのに、さらに武よりもずっと早く起きてそれだけの準備をしてくれていたのだ。 意識していなかったが、弁当だってそんなすぐにできるわけじゃない。当たり前のことに今さら気付かされて、武はいつも適当に食べていたことを申し訳なく思った。 「悪いな……」 「そ、そんな気にしないでよー。わ、わたしが好きでやってるんだからさ」 「そうか……」 「……うー、なんか調子狂うなぁ。……聞いちゃ悪いことなら聞かないけどさ、武ちゃんどうしたの?」 「………………」 思いっきり聞いてんじゃねぇか、という突っ込みは心の奥底にしまっておく。 だが……どうするべきかと迷う。 もう自分は因果導体ではなくなった。それは夕呼先生も認めたことだ。おそらく間違いないことだろう。 なら、今ここで自分が話しても、あの時のように記憶の流出は起こらないはず。 そもそも世界をつなぐパイプである白銀武はいなくなっているのだから、当然のことだ。 だとしたら、何の影響もないのだとしたら。 知ってもらいたい。 自分がどんな道を歩み、何を経験し、どんな人たちに出会ったのか。 他でもない純夏には、知っておいてほしいと思えた。 純夏がBETAにされたことなどは話す気はないが、それ以外、武が体験した『あの世界』の出来事を知ってほしいと思える。 ようするに、純夏にもっと自分のことを知ってほしいということだ。 自分が、どれだけの想いを持って、どれだけの壁を越えてここにいるのかを。 「……なあ、純夏」 「なに?」 「とりあえずお前んち行こう。そこで、全部話すよ」 「タケルちゃんの家は?」 「うっ……そ、それはダメだ。ちょっと、ここでは言えないが」 「そう……じゃあ早く入ろう。さすがに朝はもう冷えるしね」 「ああ」 純夏の後について、彼女の家に入っていく。 さて、いったい何をどう話せばいいのやら。 武は目の前で揺れる黄色いリボンと赤い髪を見つめながら、そう物思いにふけるのだった。
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| ―――To Be Continued |