EVA −Under the Glass MOON−










 4/一時の、幕間









 まぶたの裏に光を感じて、シンジはゆっくりと薄暗い視界を払うように目を開いた。

 陽光のまぶしさにはすぐに慣れず、細く目を開けたままで真っ白い天井を見つめた。


「……ここは、知らない天井だな」


 そういえば引っ越したんだっけ、と寝起きの頭でぼうっと思考する。

 前回はミサトの家に居候していたから、この部屋に入るのは本当に初めてだ。隣の部屋、というだけだがそれでも小さな違和感はぬぐえなかった。

 その違和感が、ずいぶん昔のことながらいまだにあのときの記憶に縋っているのだと感じて、シンジは声もなく苦笑した。

 自分は自分が考えているよりずっと、葛城家としての生活に馴染んでいたらしい。


(やっぱり、忘れられるわけは無いよね……)


 たとえ、どれだけ騙されようとも裏切られようとも、あのときの生活を楽しいと思った自分はホントウだったのだから。

 ふっと満足げに笑って、シンジは光に慣れた目を開き、意識を覚醒させる。今日から学校。また新たな一日が始まる。

 そのことにどこか漠然とした期待感を抱きつつ、シンジは何気なく隣に目を移す。



「うわああぁッ!!」


 絶叫した。



「ん――……、なに?」


 そこには、なぜか肌着一枚で寝そべっているレンの姿があった。


「な、な、なんで人間形態になってるんだよ!」


「形態って……ゲームのモンスターみたいな言い方しないでくれる?」


 RPGの魔王なんかは、最終形態とかってよく言われるよね。


「そうじゃなくて! 昨日は猫の姿で寝てたじゃないか!」


「人肌が恋しくて。この姿のほうが、密着度が上がるし……」


 なんでこの暑いのに密着するんだ! と叫びそうになったシンジだったが、それは飲み込んで床に落ちていたレンのいつもの服を拾い上げて押し付ける。

 それにレンは少しむっと眉を寄せるが、しぶしぶといった感じで服を着始める。

 その様子を見てようやく安心したシンジだったが、ここでもうひとつの災難がやってきた。


「シンジ君! どうしたの!?」


 呼び鈴とノックの音がけたたましくシンジの耳に届く。そして、隣の住人である葛城ミサトの声も。

 さっきのシンジの叫び声を聞いて駆けつけてきたのだろう。シンジは頭が痛くなった。

 バン!というドアが開かれる威勢のいい音とともにあわただしい足音が近づいていくる。ちらりと横を一瞥すれば、レンはすでに白猫の姿で毛づくろいを始めていた。

 シンジは、精一杯のため息をついた。








 ゴキブリを見ました、とひどくテキトウな答えを返してミサトを追い返したあと、シンジは予定通りレンとともに第一中学校に登校していた。

 職員室で担任の教師に連れられ、現在シンジは教室の扉の前。戦闘中でもめったに変わらない心拍数も、なぜか今は少し乱れている。

 転校生って、どうしてこうも緊張するものなんだろうか。正確には転校生でもないくせに、シンジはそのことが実に不思議だった。


『なんで緊張してるの?』


(さあ……こればっかりは、謎だね)


 転校生は絶対に緊張する、という世界の法則でもあるのだろうかと無駄に思索に落ち込んだところで、教室から呼び声がかかった。

 思考を切り上げて目の前の扉をガラガラと開く。

 いくつもの視線を感じながら歩き、シンジは教壇の横に立った。


「碇シンジです。長野から来ました。よろしくお願いします」


 一礼すると、つられるようにレンもシンジの肩の上で頭を下げた。そんな一人と一匹の姿にしばし呆けていたクラスメイトも、まばらに拍手が起こると、すぐに一斉に手を叩いて歓迎してくれる。

 それが嬉しくて、シンジは知らず顔がほころぶのを感じた。


「それでは、どこか空いている席に座ってください」


 教師の指示に頷き、シンジは真っ直ぐ後ろのほうの以前の自分の席を目指す。そこに座って腰を落ち着けたところで、ホームルームが始まる。

その様子を見つめていると、すぐにホームルームは終わってしまった。どうやら特に連絡事項は無かったらしい。

 そして教師が教室から出て行くと、わっと大挙してクラスメイトがシンジに寄ってきた。


「ねぇ、長野のどこにいたの?」

「その猫、綺麗ね。触ってもいい?」

「ってゆうか、なんで猫つれてきてんだ?」

「なんでこんな時期に転校してきたの?」


 わいわいと目前で展開される騒ぎに、当事者ながらシンジはにぎやかだなぁと苦笑を漏らしていた。ちなみにレンに触ろうとした生徒はレンに威嚇されて泣く泣く断念している。

 しかし、質問が多く、どうにもさばききれない気がする。わずかに困ったところで、パンパンと手を叩き注目を集めようとしている生徒がいた。


「ほら、みんな! 碇くんが困ってるわ。今じゃなくてもお昼とか時間があるときにそういうことはしましょう!」


 おさげにそばかすの優しそうな女の子。それは、シンジの記憶と全く違わない委員長・洞木ヒカリの姿だった。

 ヒカリの言葉に、納得したのか質問の嵐は止んでくれた。それにほっとしてシンジはヒカリに目を向けた。


「ありがとう、助かったよ」


「ううん。わたし、このクラスの学級委員をしている洞木ヒカリ。困ったことがあったら言って。力になるから」


「うん、ありがとう」


 もう一度お礼を言うと、ヒカリは若干照れたように視線をはずした。しかしすぐに平静を取り戻すと、じっとシンジの肩を凝視し始めた。

 つまるところ、レンを。


「……さっきはああ言ったけど、猫を学校に連れてきてもいいの? わたしもそれは凄く疑問なんだけど……」


 その言葉に、ああ、とシンジはいま気が付いたとばかりに声を上げた。


「大丈夫だよ。先生の許可は貰ってる。それにこの猫……レンっていうんだけど、凄く賢いから授業の邪魔もしない」


 ほら挨拶、とレンに声をかければ、レンはじっとシンジを見つめたあとに生徒一同をぐるっと見渡してぺこりと頭を下げた。

 それが驚きだったのか、大半の生徒は感心したように口を開いて呆けていた。


「すごい、本当に賢い子なのね。……あ、もうすぐ授業が始まるわ。みんな席に着いて!」


 ヒカリの声に何人か、はーい、と返事を返してそれぞれがそれぞれの席へと帰っていく。

 そして数分もしないうちに教師が教室に入ってきて授業が始まる。適当に黒板とノートの間に視線を行き来させながら過ごしていると、ふとシンジは空いている席が目に付いた。

 近くの席は、綾波レイ。少し離れたところの席は――。


(トウジ……)


 今いないところを見ると、やはり妹が怪我をしてしまったのだろうか。しかし、前回とは違い今回は使徒を暴れさせることも無く一瞬で倒したのだ。怪我をしているとは考えづらいのだが……。


(まぁ、すぐにわかることか……)


 何週間も休むわけではない。明日、明後日にもなれば登校してくるだろうし、そのときに事ははっきりとするだろう。

 シンジは退屈な授業を続ける教師をちらりと一瞥して、窓の外に目を向ける。

 空はどこまでも青かった。


















 翌日。

 シンジはネルフの中で初号機に搭乗していた。

 週に三回義務付けられているエヴァの訓練のためである。特にシンジの場合はこれまで普通の生活をしてきたと思われているせいか、格闘術のテストまでプログラムされている。

 正直に言って面倒くさいので、シンジは適当に逃げるか教官をのしてしまうつもりだった。

 シンジは何と言われても嫌なものは嫌なのだ。それにリツコには一度使徒戦で見せた動きを“ある人に習った”と言ってあるのでそれほど疑問には思わないだろう。

 警戒は持つだろうが。


『サードチルドレン、シンクロ率上昇……80…90…99.89%で安定』


 シンジはマヤの報告を聞きながら苦笑いを浮かべる。

 本当ならある程度抑えたシンクロ率にしたいのだが、こればかりはシンジがシンジである以上どうしようもない。下手に警戒されるのは上手くないとは思うのだが、そうもいかない現実にはシンジも困っていた。


『相変わらず……凄いわね。これが二回目だっていうのに……』


 リツコも思わずといった感じで感嘆の声を漏らす。

 しかしすぐに引き締まった表情を作り、固い声でシンジに呼びかけた。


『シンジ君、これから射撃の訓練をするわ。できるわね?』


「いえ……さすがに銃は撃ったこと無いんですけど」


 ちなみにナイフと剣なら腐るほどある。


『だーいじょうぶよ。ゲーセンのガンシューティングと同じよ。簡単でしょ?』


「はぁ……」


 確かに仮想空間のシミュレーションでしかないのだが、そこまで言っていいものだろうか、とシンジは思った。

 ここの設備はリツコ率いる技術部の面々が、その持ちうる技術を持って作り上げた至高の作品群といっても過言ではないのだ。

 技術者に限らず、得てして“創り出す者”はその創作物に誇りを持ち、また貶められることを極度に嫌う傾向にある。

 ちらり、とシンジが初号機の視界にリツコを入れれば、想像通りその黒いはっきりとした眉がぴくぴくと小刻みに動いていた。


『ミサト……それは、私にはゲームセンター程度がお似合いだ、ということかしら……?』


 その言葉と表情で己の失言に気付いたのだろう、ミサトは明らかにしまった、という表情を浮かべた。


『あ、あはは……やーねぇ、リツコ。そんなわけないじゃない! マヤちゃん、射撃訓練…………か、開始してください』


『……了解』


 同じく技術部であるマヤにも冷たい視線を向けられ、ミサトは実に平身低頭で命令を下した。

 そんな姿を見て、シンジもため息混じりに、了解、と口にした。













「それにしても……前回といい今回といい、シンジ君は凄いですね」


 マヤの言葉にミサトはよく意味がつかめず首を傾げるが、リツコはごく普通に相槌を打った。

「そうね。シンクロ率は理論限界値を二度ともマーク。さらには使徒すら一撃で葬る特殊能力。それに、ある程度の格闘技能もあるようだし、頭も切れる。……報告とはまったく違うわ」


 しかし、頭が切れる上にある程度の技術がある人間ならそれも仕方が無い、とリツコは考える。

 自分にも身に覚えがあることだが、高すぎる能力は異端として迫害される傾向がある。特にこの日本では。

 自分の場合は中学では上の中の成績をキープし、高校ではひたすらにトップを維持し続けた。それ以降は自分の才能を隠すなどしてこなかったが、やはり小中学校では隠すきらいがあったのは否めない。それは自分の身を守る手段でもあったのだ。

 異端はすぐにいじめなどの対象になる。そして、子供のそういった擬態は実にバレにくいものだということもリツコは経験からよく知っていた。

 それを考えると、シンジにも同じことが言えるのではないだろうかと思う。要するに、頭のいい彼は要領よく過ごす術に長けていたのだ。それを監視していた保安部が勘違いしたというのは考えられない話ではない。

 他でもない、自分がそうだったのだからこその考えだった。だから、こんなに親近感を抱くのかもしれない、とリツコは胸中で呟いた。


「格闘技能〜? なに、シンちゃん空手でもやってたの?」


 報告がどう、というところではなくあえてそこに食いつくミサトに内心ため息をついてから、リツコはそれでも友人の疑問に答えるべく口を開いた。


「いえ、空手とは限らないわね。ほら、この前の戦いで初号機が急に消えたような錯覚を起こした動きがあったでしょう?」


「……ああ、あれ? あれってその特殊な能力とやらじゃないの?」


 シンジの話を聞くまではリツコもそう考えていたが、シンジから聞いているリツコは首を振った。


「いいえ。あれはある人から教わった特殊な走法であるといっていたわ」


「え、あれってホントにただ走っただけなの!?」


「まぁ……特殊な、とは言ってあるけど、走るという点ではそうとも言えるわね」


 へぇ〜、と素っ気無く返しながら、ミサトは射撃訓練を続ける初号機の姿を眺める。

 スコアはそれほど悪くは無いようだが、確かに動きは銃に慣れていない動きだった。


「そういえば……結局シンジ君の特殊な能力って何なんですか?」


 コンソールに向かっていたマヤも、シンジの話に興味を持ったのか、ずっと疑問に思っていたことを思い切って聞いてみた。

 それにミサトも、確かに詳しく聞いてなかったわ、と便乗する。


「ミサト……あなたには書類で回っているはずなんだけど……はぁ、まあいいわ」


 バツが悪そうに笑う親友に、リツコは遠慮なくため息をついた。

 しかし、すぐに顔を引き締めて真剣な声で話し出す。


「これは、A級職員以上には認知しておいてもらいたい事柄だから、いずれ正式に通達があるとは思うけど……彼の能力は、その特異な眼よ」


「眼?」


 そういえば、瞳がまるで澄み切った空のような綺麗な蒼に変化していたな、と二人はそのときの情景を思い浮かべた。


「そう。彼はかつて生死をさまようほどの事故に遭ったことがある。その後遺症として……超能力とも呼べる特殊能力を持ってしまったようね」


「それは……?」


 先を促すマヤに、一区切り置いてから、リツコは言葉を続けた。


「彼は『直死の魔眼』と名付けたようだけど。その瞳で物を見ると、その対象のモノの死が点と線という形で視えるらしいわ。
 確か、『この眼はモノの死を視る。線をなぞればモノは切れ、点を突けばモノは死ぬ。有象無象、万物全て例外なく。この世の全てには発生した瞬間から崩壊の時期、死期が内包されている』……だったかしら。死というもの――おそらく概念的なものをでしょうけど、それをその事故によって理解してしまった、とも言っていたわね」


 ひく、と息を呑む音が聞こえた。自分のときと大差ない反応に、リツコもわずかに安堵を感じた。


「あの時の使徒は恐らくあのコアの部分にその“点”があったんでしょうね。その能力を使って殺した、と言っていたから」


 そこまで語ると、ミサトもマヤも黙り込んでしまった。

 二人ともその目の中に驚きと恐怖が宿っていた。リツコは自分も大差ない反応だったが、自分とは違って物事を比較的冷静に見れないミサトたちのほうがあるいはショックは大きいのかもしれない、と思った。


「……まあ、そんなに気を張る必要は無いと思うわよ? 彼自身も言っていたけど、ようするにあの眼は道具なのよ。モノは使いようって云うでしょう?
 カッターナイフを持っているから殺されると思うなんてナンセンスよ。それはシンジ君の人柄を見ても言えることだわ」


 そんなことをしていたらキリがない、とリツコは肩をすくめて見せる。それを聞いて、二人も考えるところがあったのか、ゆっくりと顔を上げた。


「そう、ですよね……。シンジ君いい子みたいですし……」


「よね。刃物持ってるから危険人物だっていうんなら、コックさんはいつだって犯罪者だわ」


 ミサトの言い方に内心苦笑しながら、リツコは二人に頷いた。


「そういうことよ。これはむしろプラスに考えるべきだわ。一撃必殺の奥の手ができたのだから。まあ、彼が言うにはとても疲れるから出来れば使いたくないらしいけど。どうしようもなくなった時だけにしてほしい、と頼まれているわ」


「もちろんよ。シンジ君に負担はかけられないわ」


「ええ。ただでさえ、私たちはこうして乗ってもらうんですから」


 お互いに使徒戦とシンジについて意識を新たにし、再び実験に向き合う。


 言われたとおりにインダクションモードを、たどたどしいながらにこなしていく姿を見つめて、三人はそれぞれに仕事に戻っていった。
















 訓練を終え、シンジは慣れ親しんだ制服に袖を通し、レンとともにレイの病室へとむかっていた。

 定位置である右肩にたたずむ白い猫は、あくびをかみ殺すような仕草の後でシンジにだけ聞こえる声で呟いた。


『ヒマね……』


 実に端的でありながら、本当に暇そうな感情が伝わってくる。シンジは苦笑いを浮かべてそれに答えた。


(……訓練の間は仕方ないよ。納得してくれただろう?)


『それもだけど……猫の姿でずっといるのは窮屈なのよ。人の姿のほうが楽なの』


 確かに、今のところレンが人の姿になれるのはシンジの家だけである。どちらかというと猫より人として過ごすことが多かっただけに、レンには今の状況が耐え難いのだろう。

 それはわかるが、しかしシンジとしては「じゃあ、人間になったら?」といえるはずもない。

 ただでさえ自分は怪しいのだから、ここに人に化ける猫が現れようものなら、混乱を招くことは必至だった。

 うーん……、と腕を組んで唸るが、大していい考えが浮かぶはずも無い。

 とりあえず、監視カメラがないのが絶対条件。監視カメラが無い場所でシンジが知っている場所は――、

 ネルフ司令室、リツコの研究室、ターミナルドグマ、レイの部屋……の四つぐらいだった。


「あ」


 ふと、シンジは思いついた。

 思わず出てしまった声に反応して、レンが声を掛けてくる。


『なに? なにかいい考えでもあるの、マスター?』


 幾分か期待を含んだ声に、シンジはにっこり微笑んで自分の考えを伝える。


(綾波の部屋なら監視カメラがないけど――)


『イヤ』


 あまりにも無碍な即決即答だった。

 一瞬シンジも呆然となるが、すぐに再起動して理由を問う。


(ど、どうして?)


『あのねマスター……なんで私が敵と仲良くならないといけないの?』


(敵? 敵って……なんでさ?)


 本気でわからないらしい己が主の姿に、レンは猫の状態で大きなため息をついた。それはなぜか人の姿のときよりも馬鹿にされたように感じられた。


『……クソバカ』


(ひ、ひどい……理由ぐらい教えてくれたっていいじゃないか)


 情けない声を出す――心中でだが――シンジの姿に、レンはもう一度ため息をついた。


『……それぐらい、自分でわかりなさい。……にしても、なんでそんなこと考えたのよ』


 呆れ半分でレンはシンジに問いかける。

 シンジはそれまでの表情を改めて、真剣な面持ちになるととつとつと話し始めた。


(うん……。綾波さ、ほら感情とか全然無いだろ? それはただ単に人との接触が少ないからだと思うんだ。
 父さんやリツコさんはまともに接してないし、その他の人はそもそも綾波と親しくない。となると今のところ感情面で成長を促せるのは僕しかいないってことになるんだ。
 だから、レンもいれば接する人に幅が出来て綾波にとっていい影響になるんじゃないかなぁ、と思って……)


 話し終えてちらりとレンを見れば、レンは実に不機嫌な表情でそれを聞いていた。

 思わずびくっとシンジが震えた。


『ふーん……私をアイツのために利用しようっていうこと……』


 赤い瞳がスッと細められる。

 シンジはやばい、と思った。それはレンが本気で怒っているときの仕草であったからだ。


(い、いやその……や、やっぱり僕は男だし、ほら、僕にとってレンは一番女の子の中で親しいし、えっと……女の子同士じゃないと、ねぇ、色々とあるかなぁって……)


 しどろもどろになるシンジを見つめて、レンはじっと何かを考え込んでいる。赤い瞳はいつもの穏やかな気色に戻っていた。


『――ねぇ、マスター』


(はは、はい! なんでしょう!)


『それ、あの女より?』


(は?)


 シンジはぽかん、と口を開いた。


『だから、さっきの言葉。私は一番女の子の中で親しいっていうの。あれ、あの黒い若作りよりも?』


 それでようやくシンジは誰のことを言っているのか理解した。


(アルト姉さんよりってこと? うん、そうだね。アルト姉さんはやっぱり姉さんって感じだし、レンのほうがその……女の子らしいって僕は思うし……)


 さすがに照れるのかシンジは最後のほうはボソボソと言葉を紡いだ。

 しかし、それでもよかったのか、レンは今度は満面の笑顔で快活に答えた。


『ふふ……仕方ないわね。少しぐらいなら私もあの娘に譲歩してもいいわ。けど、話すのはマスターがしてよね。信じるかどうかは別にして』


(わかってるよ。それに、たぶん信じてくれるよ)


『そう』


 それだけ答えると、レンは心持ち嬉しそうにシンジの右肩で身体を揺らす。そのわずかな振動を感じながら、シンジは病室へと続く廊下を歩いていく。


(女の子ってわからないや……)


 内心で呟いた一言は、レンに伝わることは無かった。


















 コンコン。

 ノックの音に、窓の外の風景をただ茫洋と見つめていたレイは視線をドアのほうへと移した。


「……どうぞ」


 礼儀としてそう言うらしい、と聞いたことのあるレイはとりあえずそのように返す。

 ノブを回す音がして、来訪者が顔を出す。

 その人物の顔を見て、レイはどこか自分が安堵したような不思議な感覚を感じていた。


「碇くん……」


「お邪魔します。綾波、調子はどう?」


 笑顔でにこやかに挨拶をするシンジの言葉に、レイは数瞬考え込む。


(調子……私の身体の状態……怪我の治癒率は昨日と変わらず、痛みは現状で感じるであろう許容範囲。意識ははっきりとしており、生命活動に支障は無いが日常生活を行うには第三者の補助が必要……)


 ちらり、とレイはシンジの顔を見る。

 そこには、答えないレイを心配げな様子で見つめる真っ黒な瞳があった。


「……問題ないわ」


 内心での自己分析の結果はあえて伝えず、なぜか誤魔化すようにそう告げた自分に、静かにレイは驚愕した。

 しかし、もともと顔に出にくいレイである。シンジは少しおかしく思ったが気にせずに笑いかけた。


「そっか。よかった」


 この顔だ、とレイは思った。

 なぜか、理由は本当にわからないのだが、なぜかこの笑顔にレイは安堵とか何か胸が落ち着くような感じを受けるのだ。


(この感じ……これは、心地いい……? これが、心地いいという、もの……?)


 もう一度、じっとシンジの顔を見る。

 そこには当惑しつつもレイを見つめ返すシンジの苦笑気味の顔があった。


(そう……心地いい、と感じているのね、わたし……)


 ようやく納得がいったレイは、じっと見つめていた視線をシンジからはずした。

 それにあからさまにほっと息をつくシンジ。頬が赤くなっているのはご愛嬌だった。


「あ、あやなみ……。それで、その……実は今日はちょっとお願いがあるんだけど……」


「……? なに?」


 きょとん、とした顔で見つめ返すレイの姿に軽く胸がときめく碇シンジ14歳。とはいえ、隣の白猫が怖いので表には出さない。

 もちろんそんなシンジの心境を知るはずも無いレイは無邪気にシンジを見つめている。


「綾波って、退院いつだっけ?」


「……3日後、の予定」


「うん、それならさ。それからたまにでいいからレンを綾波の家に連れてってやってくれないかな?」


 その申し出に、レイは内心ひどく驚いた。

 レンというのはシンジが常に連れている白猫のことであるということは既に聞き及んで知っている。

 しかし、それがなぜ自分に関係してくるのか、その関係性がまったくわからなかったからである。


「……なぜ?」


 短い問いに、シンジは唸る。

 そうして、しばらくの沈黙の後、意を決したようにシンジは口を開いた。


「……綾波、ここって監視カメラと盗聴器はあるの?」


 小声でレイにだけ聞こえるようにシンジが告げると、レイはこくんと頷いた。

 それを受けて、シンジは魔術を用いて監視カメラには幻を、盗聴器には故障してもらうことにした。

 それらを実行すると、シンジはふぅ、と一息入れた。

 そして、姿勢を正してレイを見据える。


「……これで、ここで起こったことが正確に伝わることは無い。それで、これからちょっとマズイ話をするんだけど……、父さんやリツコさんたちには黙っててもらえないかな?」


「……内容によるわ」


 レイの答えに、シンジは不安を感じて言い募る。


「いや、その……どんな内容でも言わないでほしいんだ。ダメかな?」


「……それは命令?」


「……いや、これは僕からのお願い。断られるのもしょうがないけど、できれば約束してほしいお願い、かな」


 苦笑しながら言うシンジに、レイはわずかに困惑した表情を浮かべた。

 これまでゲンドウやリツコなどから、自分がしなければならないことを言われてきただけであるレイには、自分で何事かを考え決断する能力はほとんどないのである。

 シンジの言うことはまさにそういった能力に頼ることだった。レイが戸惑うのも無理の無いことだった。



「僕は、強制するつもりはないよ。綾波がやりたいようにしてごらん」



 レイは、はっとして、俯きがちだった顔を上げる。

 それは、誰にも言われたことのない言葉だった。そして、どこかできっと自分が待ち望んでいた言葉だった。


“やりたいように、してみなさい”


 すべてを自分に任されている。自分で全てを決めなければならない。それはなににも縛られることのない、絶対的な自由だった。

 しかし、望んでいた言葉であったはずであるのに、レイは何かに怯えるようにぶるっと身体を震わせた。

 その赤い瞳には、喜びとは程遠い光が宿っていた。


(怖い……。自分で、することを決める……こんなに、怖いものだったの……)


 レイはぎゅっとベッドのシーツを握りこんだ。

 自分で全てを決める。何をするのか、何をしたいのか、どうなってほしいのか。

 ……その結果に何があろうと、全てを自分で。


 怖い。ただひたすらにレイはそう思った。


 ほしかった言葉。確かに待ち望んでいた自分を自分として認めてくれる言葉。――しかし、それは今のレイにはとても重い言葉でもあった。

 選択や決断には責任が伴う。そのことを知ってはいても、それはレイにはとても縁遠い事柄だったのだ。なにしろ、レイは命令さえ聞いていればよかったのだから。

 それはとても楽で、しかしそれゆえに緩やかに人を廃れさせる死に至る病でもあった。

 病からの解放、しかしそれは同時に大きな責任と“自分”というものを背負うことになるのだ。アイデンティティの低いレイには、酷なことであった。

 それは、いまだ親の庇護を受ける幼子が、突然一人で何も知らぬ社会に放り出されたような。そんな絶望的な孤独感すら伴う、大きな恐怖だった。


 ぐっと結んだ唇をさらにかみ締める。

 何か得体の知れないものに飲み込まれそうになる自分を抑えて、ただ身を固くしていると、突然にふっと柔らかな何かで包まれた。

 レイは突然に湧いた安心感と温かさに、強張っていた顔を上げた。


「……い……かり、くん……?」


「うん……。大丈夫だよ」


 レイは抱きしめられていることを自覚して、恐る恐るといった様子でシンジの背中に手を回す。

 しかしその腕に力が入ることは無く、背に回した腕は何ともなく空をつかむだけだった。



「大丈夫……一人じゃない、僕がいる。綾波が何をどう決めたとしても、ちゃんとここにいるから……」



 その言葉に、レイは反射的に伸ばしていた腕に力を込めてシンジを抱き返していた。

 今のレイはまさに迷子の幼子と同じであった。突然知らない環境に連れてこられ、はぐれてしまった子供の心。

 縋るべき誰かがいない世界。そこがついさっきまでレイがいたトコロだった。


 しかし、シンジがいた。

 一人じゃない。まるで知らないところに投げ出されたかのような孤独の中で、こうしてちゃんと自分を見てくれる人がいる。

 初めて感じる大きな恐怖の中で、その存在は本当に救いのようにレイには感じられた。

 だから、手放さないようにぎゅっと抱きしめる。心地いい、温かいものをなくしたくなくて、力の限りに。

 もうレイの心に恐怖は無く、かわりに心に広がるのは途方も無く温かい何かだった。

 それを何と呼んでいいのかレイにはわからなかったが、とても大事なものでなくしたくないものだということは本能的に知っていた。

 レイはただ今の気持ちをもっと感じたくて、シンジを抱きしめ続けた。


「あ、あや、あやなみ……、えっと……その……は、はなして……くれない、かな?」


 しかしレイのそんな内心での想いを知らないシンジは、たださっきから感じるレイの柔らかい感触にひたすら動揺していた。

 もともとレンのことを話すだけのつもりだったのに、なんでこんなことになったのか。

 とにかく今のシンジに出来ることはレイに訴え続けることだけだった。


「いや」


 しかしそんなシンジのお願いもすぐさまレイによって却下される。


(ああ、綾波……。ちゃんと自分の意見を言えるじゃないか。僕は嬉しいよ……)


 どことなくもはや達観した感じすらするシンジ。心の内でレイの答えに喜びを感じつつも、それが現実逃避でしかないことをシンジはしっかり理解していた。

 しかし、それでも男として何となくこの状況は……、


(…………このままでも、いいかも)


 シンジはついに陥落した。


 レイの柔らかさと心に訪れる平穏に、ついつい身を預けてしまう。レイのほうも離す気は無いようで、しっかりと背に回された腕には力がこもっている。

 お互いに感じる穏やかな気持ち。

 レイはこの感情がとても素晴らしいものだと、心の底から実感していた。



 とはいえ、そんな幸せな時も終わる時は来るもので――。



「ふふふふ……ふ……」


「ひ――!」



 唐突に病室に現れた第三者の笑い声に、シンジは悲鳴を上げて縮み上がり、レイは怪訝そうに眉を寄せた。


「私を無視して、いちゃいちゃと……。ふふ……ねぇ、マスター。日本が暑くてよかったわね?」


 上から下まで真っ白な小柄な少女。赤い瞳はルビーよりも鮮やかに、強い意志の光を灯らせていた。


「は……えっと……な、なぜでしょうかレンさん……?」


 なんとかレイを引き剥がし――レイは不満げだったが――、シンジはびくびくと卑屈な態度全開でレンへと問いかけた。


 それに、レンはにっこりと笑って――、


「……だって、凍っても涼しいだけでしょう?」


 そう、のたまった。


「あ、ああああ、綾波! は、早く向こうに「“フルール――」うわああ、ちょっと待っ――!」


 そうだ、綾波は動けないんだから僕が動かないといけないんじゃないか!


 いい感じにテンパッていたシンジがようやくそのことに気がついて、レイから距離をとって一息ついた瞬間――、


――フリーズ”


「あ」


 シンジは見事に凍りついた。


 合掌。








「い、碇くん!」


 レイは人が突然氷に閉じ込められるという理解できない状況に困惑しながらも、シンジが氷漬けにされていることから危険と感じて思わず叫び声を上げていた。

 それを何でもないことのように一瞥して、レンは肩をすくめた。


「大丈夫よ。マスターならこれぐらい何ともないわ」


 レンの言い草にレイはきっと眉を吊り上げてレンをにらみ付ける。それを感じてレンはレイを見つめ返すと、ため息をついてくいっと顎を氷漬けになったシンジに向けた。


「……?」


 いまだに警戒を解くことなく、レイはシンジのほうへと目を向ける。

 そこには、内側から朱色の光を放つ氷があった。

 びき、と氷にひびが入る。ひとつ、またひとつとそのひびは増えていき、ついには耐え切れなくなったのか一際大きな音と共に大きな氷は崩れ去った。


「碇くん!」


 レイは動けない身体ながらも、懸命にシンジへと手を伸ばして近づこうとする。

 そのためにベッドから落ちそうになっているが、それを気にする余裕もないようだった。

 氷から脱出したばかりで、レイのその姿を見たシンジは、急いでレイのもとへと駆けつける。


「あ、危ないよ綾波! ほ、ほらこんなのいつものことだから、大丈夫だって。ね?」


 安心させるように出来るだけ優しく言葉をかけるシンジだが、レイは突然泣き出してしまった。

 これにはシンジも慌てた。


「あ、綾波! ご、ごめんその……心配かけたよね? ホントにごめん!」


 泣き続けるレイの背を撫でて落ち着かせようとする傍ら、シンジはレンにむすっとした視線を向けた。


(……恨むよ、レン)


『ふーん……、人のこと忘れて自分たちの世界に入ってた人がよく言うわね』


(う……)


 自覚があるだけに、シンジは二の句に詰まって言葉が切れてしまった。

 仕方ないので、レイをなだめることに全力を注ぐ。背を撫でているのがよかったのか、レイは少しずつ落ち着いてきたようだった。


「ごめん、綾波……。怖い思いをさせたね……」


 申し訳なさそうなシンジの言葉に、しかしレイはふるふると首を振った。


「綾波?」


「……怖かった……けど、碇くんが無事で……嬉しかった……。でも、涙が出るの……悲しくないのに……」


 わからない、とかぶりを振るレイに、シンジは懐かしい思い出が頭をよぎるのを感じた。

 忘れもしないあの第五使徒戦。エントリープラグの中でのレイの笑顔。

 あの時も、今と同じ。なぜ、どうしてなのかわからない不安げな顔。


「綾波……嬉しくても、涙は出るんだよ。……けど、僕は嬉しいなら笑ってほしいな。笑うってことは、ホントは凄く大切なことだから」


 落ち着かせて言い聞かせるように、シンジはレイの頭を撫でつつそう告げる。

 されるがままになりながら、レイはシンジの言葉を頭の中で繰り返す。

 嬉しい時にも出る涙。笑うということ。嬉しい時には、笑うものなんだと、シンジは言った。


「そう……嬉しいのね……」


 そう呟いて、レイはゆっくりと微笑んだ。


 それは蕾が花開くときのようにたどたどしく、ゆるやかな変化であったが、それによって開いた花は、とても綺麗でシンジは目を奪われた。



(綾波……)


 改めて、シンジはこの少女が大事だと感じた。撫でていた手を止め、思わず見とれる。


 そして、感情の赴くままシンジはレイの頬へと手を伸ばして――、



「ごほん!」


「ッぅわ!」


 レンの咳払いで我に返ったシンジは、慌てて手を引っ込めてレンを見やる。

 そこには赤い瞳をらんらんと輝かせている己がパートナーの姿があった。

 レンは冷や汗と羞恥で真っ青になったり真っ赤になったりしているシンジをほかっておいて、まっすぐにレイへと目を向けた。

 すでにシンジは意識の外だ。

 レンとレイの赤い瞳が交錯する。


「……悪かったわね、綾波レイ。私はレン。人形みたいな子かと思ったけど、あなた意外と可愛いのね」


 悪戯っぽく笑うレンに、レイは対照的にむっとする。


「……わたしは、人形じゃない」


「知ってるわよ。だから、さっきの謝罪はそう思ってしまったことも含めているの。……改めて、無礼を謝罪いたします、フロイライン」


 スカートの裾をつまみ、優雅に一礼するレンの姿に、レイはどう返したらいいものかとシンジを見る。

 シンジは先ほどの動揺を押さえ込んで、レイに小声で伝える。


「……許してあげればいいんだよ。レンは、綾波のことを気に入ったんだ。だから、自分の心の内とはいえ、君を貶めたことが我慢できないんだよ」


 シンジはどことなく嬉しそうにレイに言う。

 レイはやはり困ったままだったが、何とか「……許すわ」とだけ口にした。


 それだけ聞けば傲慢極まりない発言かもしれないが、シンジやレンはそう思わなかった。上辺だけの言葉など、それがどんな言葉だろうと心のこもった一言にはかなわない。

 レイの言葉には、気持ちがこもっていた。迷いながらも、どうか伝わってほしいという気持ちが。


「謝罪を受け入れてくださったこと、感謝します。……さて、説明しなきゃいけないわね、マスター?」


 いつもの態度に戻って、レンはシンジへと視線を向ける。

 シンジはなにやらさっきまでレイを敵視していたはずなのに、いつの間にやら気を許しているらしいレンにいささか疑問を感じるものの、結局はまぁいいか、と思うことにした。


(女性は対岸の存在……やっぱり、僕には理解できそうもありませんよ……)


 かつて加持に聞いたことを思い出しながら、シンジは思う。やっぱり、女の子ってわからない。

 とはいえ、それは置いておいて。遥か彼方まで脱線した話を戻さないと、とシンジは一つ息をついた。


「うん、そうだね……。説明しなくちゃね。綾波、これはさっきのお願いとも繋がるんだけど、さっきの僕のお願い、了承してくれる?」


 その問いかけに、今度はレイはすぐに答えた。


「ええ、わかったわ」


 その答えに満足して、シンジは微笑む。

 そして、ゆっくりと口を開いた。








「……まず、このレンは僕がいつも連れている白猫だよ。どっちがホントの姿かって言われると困るけど……とりあえず同じ存在だよ」


「? ……でも、この人はヒトだわ……」


「レンって呼んで、綾波レイ。私も、レイでいいかしら?」


 レンはほとんどレイの言葉にかぶせるように、レイに要求した。

 これにレイはこくん、と頷いて了解の姿勢を見せる。レンはそれに小さく微笑んでシンジに一瞥を送る。

 それを受けて、シンジは説明を続ける。


「それはね、レンは使い魔って呼ばれる存在なんだ。一応、マスター……主は僕ってことになってる。使い魔っていうのは、魔術師が従える……手下とか相棒かな。レンの場合は後者だけど」


 レンのほうへと視線を向けて、そのままレイに戻す。

 レイはじっとシンジを見つめていた。


「……魔術師……」


「そう、魔術師。魔力を用いて、神秘を起こす存在。壊れたガラスを一瞬で直したり、目に見えない何かで攻撃したり……そういったことを可能にする人間だよ」


「でも、それは空想上の存在ではないの……?」


 レイの疑問に、レンが答える。


「魔術師はその存在が一般に漏れることを何よりも嫌う。これは魔術師の間で禁忌となっているわ。理由を話すと長くなるから省くけど……とりあえず、魔術師と呼ばれるものは現実に存在する。いいかしら?」


 こくん、と頷く。

 よろしい、とレンも頷きを返した。

 ここまでレイが素直に受け入れることが出来たのは、言い方は悪いが、ひとえに常識がないからだろう。

 先入観と言ってもいいが、こういった非常識とされることを受け入れるためには、常識と呼ばれるものをある程度捨て去る必要がある。

 もとから常識的な知識が希薄なレイは、特に抵抗もなく受け入れることが出来るのである。言い方を変えれば、レイはひどく純真で素直なのだ。


 さて、あまりぐだぐだと説明していてもよろしくない。シンジは早速本題に入ることにした。


「まぁ、魔術師云々は今日はここまでにして……お願いなんだけどね。綾波が退院してから、たまにレンを綾波の部屋に置いてくれないかな?」


 シンジの言葉に、レイはきょとんとして首をかしげた。


「……どうして?」


「人型でいるほうが楽だからよ。ここは監視カメラとかが多くて、猫のままでいなきゃならないの。でも、ずっとそのままだとストレスがたまるわ。だから、たまに貴女の部屋で息抜きをさせてもらいたいのよ」


 レンの言葉に、とりあえず納得したように頷くレイ。


「そういうことなんだけど……頼めるかな?」


 シンジはレイの様子を窺うようにして最後の言葉を発した。

 レイはじっとレンを見つめている。


 レンの存在はレイにとって不可思議極まりないものだった。

 使い魔、ということは純粋にヒトではないのだろう。猫にもなれるという点からもそれは言える。

 自分と同じような存在。ヒトのようでヒトでない存在。

 かと思えば、レンは表情も豊かで自分というものがしっかりと確立されている。それは本当に人間のように。


 羨ましい、という感情なのかもしれない、と未発達な心でレイは推測した。


 同じようでありながら違う存在。自分と似ているかもしれないのに、まったく似ていない人。自分というものをしっかり持っている人。


 碇くんの、傍にいる人……。


 ぐっと、強烈に、なにか心に押し入る感情があった。

 羨ましいという感情。それは、自分にはないものを持っていることに対してのもの。そして同時に憧れも抱いていた。レイは知らないが、たぶん嫉妬という感情も。

 しかし、それでもレンのことをレイは嫌いではなかった。レンは自分に対してとても誠意のある態度をとってくれたから。シンジとはまた違う、ワタシを認めてくれた人。

 だから、レイはレンを拒むつもりは無かった。むしろ一緒にいてほしかった。

 それは、どこかレンの毅然とした態度の中に憧憬を感じたからだった。まるで、姉のような親しみをレイはレンに感じたのかもしれない。

 だから、レイはこくりと頷いて、了承した。

 その返事を得てシンジもレンも嬉しそうに笑う。

 それを見て、レイも自然と頬が緩む自分を感じた。


(心地いい……とても……)


 この感情を何と言えばいいのだろうか。

 レイは心の片隅で考えるが、はっきりとした答えは出なかった。だから、それよりも今はこの二人と一緒にいたい。この温かい世界に浸っていたい。

 レイははじめて感じるその安らぎを、本当に大切にしたいと心から思った。

 この名前のない感情を、彼はいつか教えてくれるだろうか。

 その答えを待つことは、ひどく素晴らしいことだとレイには感じられた。


(碇くん……レン……)


 二人の名前を浮かべるだけで、心が温かくなる。レイは心地よさに静かにまぶたを閉じて、もう一度二人の名前を呼んだ。



























―――To Be Continued


−あとがき−

あれー、シャムシエルぐらいを目指してたんだけどなぁ…。
トウジすら出てきてないし…^^;

なにやらレイのお話で大部分とっちゃいましたね。
まぁ…これも必要な段階ってことで、ひとつよろしくお願いします。

次回は間違いなくシャムシエル!
……の、はずです。たぶん……。