EVA −Under the Glass MOON−










3/非凡の欠片









 特務機関ネルフ、司令室。


「―――直死の魔眼だと?」


「はい。いま説明したような能力を持っているとのことです」

 その室内で、総司令碇ゲンドウと副司令冬月コウゾウ、そして技術部部長赤木リツコが会し、リツコのシンジに関するレポートを報告していた。

「……死を視る眼、か。あの使徒の最期もその力だと?」

 冬月の質問にリツコは首肯する。

「はい。あれは使徒特有の死に方だと推定しましたが、彼の話を聞く限りそうではないように思えます」

 常識的に見ても、自然に灰になって消えるよりかは生物の死として説得力がある気がする。すでにその死なせ方が常識外であることは置いておいて。

「……ふむ。あのときの事故が、そのようなことを彼の身にもたらしていたとはな……。どうする、碇?」

 冬月はちらり、とゲンドウに視線を移す。

 それを見て、リツコは内心で腰巾着という噂は否定できないわね、と軽く毒づいていた。


「……問題ない。他組織の介入も今のところ見られない。知性が少々高く、特殊な能力があろうと、所詮は子供だ」

「現状維持。シナリオはこのまま続行と、そういうことか?」

「……そうだ」

「では、そのようにこちらでも対処します」

「うむ」

 冬月の頷きを確認すると、リツコはひとつ頭を下げて司令室をあとにする。

(所詮は子供? 私にはそうは思えないのだけどね……)

 あの時、あの眼を説明していたときの顔。殺す、という単語を無表情で語り、直後に笑顔を見せた碇シンジの姿を見れば、ゲンドウたちもあそこまで落ち着いてはいないだろうと思う。

 しかしリツコはそれを告げることなく、黙ってその場から立ち去るのだった。









                             □










「……知らない天井だ」



 とりあえず、お約束の一言。


 目を覚ましたシンジは、早速リツコのもとを訪れ、盗聴器を破壊したことを告げた。なぜ気づいたのか、という質問には、眼の関係で感覚が鋭敏になっているんです、と調べても判らないだろう理由でもって答えておいた。


 ……まぁ、そんなことをしなくても先程からレンの頭を、普段からは想像もつかない緩んだ顔で気持ちよさそうに撫でている姿を見ていると、うやむやに出来そうな気もしていたりするのだが。


 とりあえず話を終えて、なでられ続けてどこか憔悴しているレンを連れて部屋を出ようとすると、

「シンジ君」

 呼び止められた。仕方ないのでシンジもそれに応える。

「はい。なんですか?」

「あとで司令から話があるから……そうね、これぐらいの時間にはまたここに来てもらえる?」

 そう言ってリツコはシンジに黒くて四角い物体を手渡す。


「……携帯電話?」


 そのディスプレイには、これがさっき言った時間なのだろうと思われる時間が表示されていた。


「そうよ。これからはチルドレンとして登録されるから、有事の際にはそれに連絡します。鳴ったら、すぐに出るようにお願いね」

 念を押すように凛とした声で告げるリツコだが、その目はちらちらとシンジの肩のレンを見ている。

(ここまでくると猫好きっていう名前の病気だなぁ)

 そう思うものの、口に出すと改造が待っている。かなり失礼な想像をしたシンジは、愛想良くリツコに了解の返事を返し、その研究室を後にした。











『……人間にここまで弱らせられたのは久しぶりよ』

 力なくシンジの肩でたれているレンの言葉に、シンジは苦笑するしかない。前回もそうだったのか、とにかくリツコの猫好きは凄かった。


 まずマグカップに猫マーク、ちらりと見えたパソコンのデスクトップも猫。写真立ての中にも猫。そしてレンをその視界に補足したときに一瞬光ったように見えた目、その後に一心不乱にレンの頭をなで続ける姿。


 ……もうなんか憑かれていると言ってもいいかもしれない。


 ちなみに最初にレンを弱らせた人間とは遠野志貴のことである。次に蒼崎青子。特に青子の襲撃にはほとほと困り果てているらしい。


 苦笑いのまま、ぐったりとしているレンの頭をシンジはなでる。

(まぁまぁ、リツコさんにも悪気はないんだから。……あ、なでられるのはもう嫌かな?)

 ふとさっきまでリツコに散々なでられていたことを考え、そう慮るシンジだが、レンはそんなシンジの気遣いこそ嫌だった。


『……マスターは別よ。マスターになでられるのは気持ちいいし』


 その言葉にシンジは微笑んでレンの頭をなでる。それにわずかに照れたような仕草でされるがままにしているレン。

 しばし、そうしていると、廊下の向こうから誰かが近づいてくる音が聞こえた。




「シンジく〜ん、ちょっといい?」



 かつん、と廊下の床をたたく音がシンジの目の前で止まり、話しかけてくる。


 黒く艶のあるロングヘアーに赤いジャケットの美女、葛城ミサトだった。


「はい。どうしたんですか、ミサトさん?」


 レンをなでるのをやめ、ミサトへと向き直る。その際にレンがわずかにむっとした感情を表に出し、ミサトを警戒するように睨んでいる。


「え〜っと、昨日の戦闘のことなんだけど……」


「ああ、その件はすみませんでした。あとで知ったんですが、本来ならミサトさんの指示を仰がなければならないんですよね? 実はその、僕としても本気にならないと死ぬかもしれないと思って、言ってしまえば余裕がなかったんです」


「あ、うん。それは判るわ」


 実はこのやり取りもシンジが想定していたものである。使徒に復讐することを望むミサトにとって、自分の指示なしに使徒を倒したシンジははっきり言って邪魔な存在ともいえる。

 かといって、シンジがいなければ使徒を倒すことは出来ない。昨日のことと、これからのことを考えて対応を決めかねているであろうミサトを見越して、ある程度の受け答えを考えていたのだ。


「じゃあ、今度からは私の指示に従ってね」

「はい、もちろんです。あ、もし僕のほうでも気付いたことがあったらミサトさんに報告しますね」

「おっけ〜。現場の意見っていうのも大事だもんね」


 これでわずかだが自分の意見も使徒戦に活用されることがあるだろう、とシンジは考え内心で息をつく。

実際はミサトの作戦だけでも使徒との戦いは乗り切れる。そのことはシンジ自身の経験からも判っているが、ひょっとしたらレイやアスカを犠牲にするような作戦が出てくるかもしれない。その可能性をわずかとはいえ減らすための提案だった。


 まぁ、基本的には経験どおりに使徒戦をこなしていくつもりなのだが。




「そうそう、シンジ君これからどうするの?」


 今後はシンジが指揮下に入るという言質をとったことで安心したのか、ご機嫌な笑顔でミサトが尋ねる。



「そうですね……リツコさんが司令に後で会うって言っていたので、とりあえずは綾波の病室で時間をつぶそうと思ってますけど」



「へ!? レイの?」



「ええ。なにかおかしいですか?」


「い、いいえ。別に……」


 はっきりと判る動揺を見せるミサト。もとのレイを知っている人間からしたらそれはそうだろう。


 レイは人に自分というものを見せない。感情も表さず、ただ言われるままに従い、何もなければ黙っている。とても快適に時間をつぶせる相手とは思えない。


 だから、以前のレイしか知らない者には、それは当然の反応ともいえた。


「……シンジ君、私もついていっていいかしら?」


 興味半分、疑惑半分といった様子でミサトが訊く。

「いいですよ。お見舞いは多いほうがいいものです」

 では行きましょう、と言ってシンジが歩き出す。ミサトはそのあとについていく。そして、シンジの肩のレンは、


『重傷なんだから、少ないほうが負担かけないんじゃない?』


 と、レイのことを慮ったわけではないだろうが、そんなことを考えていた。








                               □









「あやなみ〜、入るよ?」



 ノックのあとの呼びかけを済まし、シンジは病室の扉を開く。


 真っ白な病室のベッドの上で、レイは昨日とは違い、上半身を起こしていた。



「……碇くん」


「や、綾波。約束どおり、今日も来たよ」


「……うん」


 約束、という言葉にレイは嬉しそうに返事を返す。


 まだ感情というものをよく理解していないゆえか、笑顔とはいかなかったが、小さく頬を緩ませたレイの顔は、閉じられていた蕾が花開き始めたかのように美しかった。


 その表情にシンジは照れ、ミサトは固まり、レンはわずかに不機嫌になった。それぞれの理由は推して知るべし。


「? ……どうしたの、碇くん」

「へ、あ、いや……なんでもないよ、うん」

「……そう」

 まさか見惚れてましたと言えるはずもなく、シンジは適当にお茶を濁した。


 そして、お茶を濁せないのがここに一人。



「あ、アナタ……本当にレイ……?」

「? どういう意味でしょうか、葛城一尉」



 ミサトに向かうレイの顔はいつもと変わらず無表情。やはりシンジ以外には気を許せないようだ。


「あ〜……うん、やっぱりレイよね。ってことは、シンジく〜ん?」


「な、なんですかミサトさん?」


 嫌な予感がして、シンジは小さく後ずさる。経験からの正しい反応だったが、にやり、と笑みを浮かべた作戦部長にはそれだけでは足りなかった。


「もう〜、おとなしい顔してやることはやるのね〜。で、どこまでいったの? もうしちゃった?」


「み、みみみみミサトさん!? な、い、いきなりなんてことを言うんですか!」


 火がついた、というのがまさにぴったりな表現だと実感できる真っ赤に染まったシンジの顔。それを見てさらにミサトは笑みを深める。


「あら〜? 私は、キスをもうしちゃったのかぐらいに考えてたんだけど〜? シンちゃんは何を想像しちゃったのかな〜?」

 ん〜? とにやにや笑ったままシンジに詰め寄るミサト。それに真っ赤な顔で悔しそうに顔をそらすシンジ。

 何気にミサトがシンちゃんと呼んでいることにも気づいていない辺り、シンジの余裕のなさがうかがえる。



『マスター……』



 呆れたような声がシンジの頭に届く。


 そのあまりにも馬鹿にしたような感じのレンに反論しようとシンジが考えたところで、



「……何をしているの?」



 レイが口を開いてくれたので、ミサトの追求もそれで終わった。


 ほっと息をつくシンジ。どこか小馬鹿にした視線のレン。そして、矛先をレイに変えたミサト。


「レイ〜? 昨日いったいシンちゃんに何されたの〜?」


 相変わらずにやにや笑って問うミサト。ちなみにシンちゃんはもう固定らしい。




「昨日……碇くんに……?」



 反芻するように思い出すレイ。



「昨日、碇くんは教えてくれた……絆……その結び方……。そして、私の友達になってくれた……私の、初めての友達……」



 大切な宝物を語るようなレイの様子に、からかうつもりだったミサトの顔も、ふっと真剣なものになる。




 レイはネルフで孤立していた。


司令であるゲンドウの傍にいることが多いレイは、それだけで本部の人間にとっては近づきがたい存在であり、学校でもその容姿ゆえ人気はあるものの、性格ゆえに友人はいなかった。

 そのレイが嬉しそうに語る友達、碇シンジ。あの無表情だったレイがこうしている姿を見れただけでも、ミサトにとっては来てよかったと思えた。


 同時に、シンジがいてよかったとも。



「そう……。―――レイ、友達っていうのは大事なものよ。最後まで頼り、頼ってくれる存在。だからこそ、依存しちゃダメよ。ちゃんと自分の意見を伝えて、喧嘩してでも仲良くすること。いいわね?」



 そのミサトの言葉にシンジは驚いた。


 シンジの知るミサトはどうにも使徒戦での指揮官としてのイメージが先に来る。一緒に住んでいたのに、あんまりかもしれないが、今のシンジにとって大切なものはレイであり、この世界で知り合った人達だ。……それに、憎い気持ちがないわけでもない。


 だからこその驚き。今のミサトからは自分を偽り、演技をしている感じがまったくしない。つまり、これもまたミサトの地ということになる。




 ―――……おかえりなさい。




 ふと、優しく微笑んで自分を迎えてくれた笑顔が去来した。


 ―――ああ、なんだ……。


 なんのことはない。忘れていただけだった。頭では家族だった頃もあったと理解していても、やはりそんなちっぽけな事実は多くの知識の前に呑まれてしまっていた。

 しかし、ちゃんと思い出した。

 家族だった。確かに、自分とミサトは家族だったのだと実感する。シンジはようやくそのことに気づいた自分に苦笑し、レンはそんな主を怪訝そうに見ていた。



「……それは、命令ですか?」



 ミサトの言葉にレイはそう返した。

 ミサトは一瞬悲しいような切ないような、何ともいえない表情を浮かべるが、ふっと肩から力を抜いた。


「……レイ、これは命令じゃないわ。そうね、これは私個人のお願いかしら。だから、私の言葉をどう受け取るかは、あなたが自分で決めなさい」



 そう言われて、レイは目が泳ぎ始める。


 判断をすることが出来ないのだろう。せわしなく赤い瞳が宙を惑う。そして視界の端にシンジの姿を認めると、どこかすがるように目を向けてくる。


 その様子は、困ってわずかに眉端を下げ、同時に不安げにこちらを伺うように顔を伏せた状態からの上目遣いとなっていて……まぁ、なんというか、とどのつまり―――




(―――か、かわいい……)




 男心ど真ん中直球ストライクの、素晴らしい仕草だった。




『―――……』



 バリッ。


「いったぁ!?」



 右頬に激痛。反射的にそこを押さえ、ちらりと目を動かすと、そこには妙に冷めた目をした白猫の姿。

 思わず冷や汗を流していると、ミサトのほうからもなにやら冷たい視線。そちらを一瞥したところ、目はこう言っていた。



『こんな時になにトキメいとんねん、こらぁ!』

 と。



 さすがのミサトもこの雰囲気の中でおちゃらけるつもりはないらしい。

 悲しいかな、男のサガ。今この場にシンジの味方は誰一人としていなかった。


「あ、はは…………と、とりあえず綾波。僕も言ったよね、自分の意見を言わなければ、絆は簡単に隷属に成り下がる。僕は綾波と対等ないい友達でいたいと思ってる。……綾波は、どうかな?」


 最初のほうこそ苦笑交じりだったが、最後は真剣な表情でシンジは問うた。

 ただ、白猫と作戦部長の視線はいまだに白いものだったが。

 背中はびっしょりと汗をかいているシンジの現状には気付かず、レイはじっとシンジの顔を見つめている。


「…………私も、碇くんと友達でいたい……」


 そうしてレイが出した答えは、まさに彼らが望むものだった。


「ありがとう、綾波。これからも、よろしくね」

「ええ……」


 笑顔で言うシンジに少し戸惑いながらも答えるレイ。それを見て、ミサトも穏やかな表情を浮かべる。


「そう……よかったわね、レイ。これからは私ともよろしくお願いするわね」


「……葛城一尉も、私の友達……?」


 レイの何気ない一言。

 しかし、


「それは……」


 ミサトにとっては予想もしない一言だった。


 復讐のために、自分勝手な理由で彼女らを行使しようとする自分に向けられた、無邪気な問いかけ。

 『友達』と呼ばれるには、自分はふさわしくないであろうことはミサトにだって判ることだ。

 けれど、ミサトの本心としてはその問いかけは嬉しかった。

 ここで、そうよ、と言えたらどれだけ楽だろう。

 しかし、言うわけにはいかない。

 ここでそれを肯定してしまえば、今まで使徒への復讐のために彼らを使うことを認めた自分は何だったというのか。

 それはもう葛城ミサトを形成する根幹部分でもあるのだ。嬉しいが、答えられない。しかし、応えたい。

 ゆえに、ミサトは言葉に詰まってしまった。


 黙ってしまったミサトを見て、シンジは仕方ないと思いながら助け舟を出す。


「綾波」


 呼びかけに、レイがシンジのほうに顔を向ける。


「ミサトさんはね、ネルフって組織の中の僕達の上司だろう? だから、この場合は仲間になるんじゃないかな。……それに、友達って年齢でもないしね」


 ぴくり、とミサトの肩が動いた。


「……シンちゃん、それはどういう意味かしら?」

「いえ、別に。ただ、僕達の二倍ぐらいかなぁ、と」

「……! し、シンジくんって今は……」



「十四歳です」



 そう告げるとミサトは小さく「二倍……二倍……」と呟きながら崩れ落ちた。ミサトの現在年齢は二十九歳。確かに二倍である。

 黒い影を背負って床に四つんばいになっている作戦部長。威厳の欠片もない。


「……葛城一尉は仲間……。理由は、年齢が二倍だから……そう、年齢差が一定以上の者は仲間になるのね……了解」


「うーん、まぁ、正確には違うんだけどね」

「……どういうこと?」

「つまりね……」


 そこからはシンジが正しい友達と仲間についての考え方をレイに講釈し、レイがそれに時折頷きながら聞く姿と、ショックから立ち直れずぶつぶつと呟きながら崩れたままのミサトの姿があった。


 それらをしばらくの間眺めていた白猫の一言。


『……バカばっか』


 作品が違う。







                              □









 さて、レイが正しく友達なるものを理解し、ミサトが立ち直った頃。リツコに言われた司令との面会の時間が迫っていた。



 レイの病室を後にし、なにか用があるらしいミサトと別れてシンジは再びリツコの部屋を訪れていた。


「……あら、来たようね。それじゃあ、ついてきてくれる?」

「あ、はい」

 先に歩き始めたリツコについていき、司令室へと向かうシンジ。

 ネルフの廊下を静かにリツコの後ろを歩くシンジは、内心で前回の経験とは違う事態について思っていた。


(前回は父さんに会うことなんて無かったのになぁ)

『マスターが目立つことしたからでしょ』

 定位置である右肩につかまるレンからの言葉。

 目立つこと……すなわち直死の魔眼である。


(まぁ、やっぱりそうなるよね。とりあえず、確認と牽制が目的かな?)

『たぶんね。あっちは正しい情報を認識していると思ってるみたいだけど』

(僕の事故自体、偽装だし、昔のことを覚えているのは事実だからね。確認といわれても、本当に事実確認だけになりそうだ)

『それでも損は無いってことなんじゃない?』


 端から見たらただリツコのあとを歩いているように。リツコから見れば父親に会うのに緊張している、と取れるだろう。

 が、実際には頭の中でレンと話し合い中である。時折レンに視線を向けるのはただのクセだろうか。


(牽制にしても、今のところ何もする気はないし)

『今のところ、ね……』


 呆れるようなレンの声音に、シンジは苦笑する。要するに、いつかは何かする、と言っているようなものなのだから。


『まったく、マスターはこんな謀略を巡らせるタイプじゃなかったのに……』

(謀略って……アルト姉さんからちょっと教わっただけだよ)

『謀略を?』

(意図的な状況作成能力を、だよ)


 アルトルージュのように大きな組織、あるいは団体の頂点に立つものには、多大な責任とそれに応える義務が生まれる。

 そのために、自陣にとって常に有利な結果を得られるようにする能力は必要不可欠である。交渉能力しかり、物理的攻撃力しかり、物量しかり、今言った状況を作り出す能力しかり。

 状況作成能力とはつまり、あらゆる場合をシミュレートし、それに基づいて最終的に自分に有利な状況となるように現状を変えていくということである。


『ようするに、謀略じゃない』


 一言でまとめてしまうと、レンの言うとおりなのだが。


(ま、まぁね)

 幾分ひきつった顔ながらもそう返す。




 それからもしばらく頭の中のやり取りを続けていると、リツコの足が止まる。つられてシンジも足を止めると、目の前のドアには「司令室」の文字。


「着いたわ。……入るわよ」

「はい」

 ドアが開かれ、足を踏み入れる。


『趣味が悪いわね』


 部屋を一瞥したレンの感想である。


 天井と床に描かれたセフィロトの樹。しかも広い部屋の割りに物が圧倒的に少ない。そして、部屋の中が暗い。

 確かに、趣味が悪いといわれても仕方がない内装ではあった。


「サードチルドレンを連れてきました」

「ご苦労。こちらに来てもらえるかね」


 リツコの報告に冬月が答え、リツコはゲンドウと冬月の近くへ行き、シンジは三人に向き合う形で取り残される。


 じっと、そのままの状態で一分ほど。

 ようやく、ゲンドウが口を開いた。



「……どこまで知っている?」



「は?」



 何かしら質問が来るだろうことは分かっていたが、さすがに前置きなしでくるとはシンジにも予想外だった。


 というか、質問の意味がわからない。


「え、えっと……何が?」


「……十年前のことだ」


 ああ、とシンジはようやく納得した。


 しかし、口下手だとは思っていたが、ここまでだとは思っていなかった。もはやこれはコミュニケーション能力の欠如ではないだろうか。


「リツコさんにも言ったんだけど、母さんがあのエヴァの中に消えたことと、周りがすごく騒がしかったこと。あのエヴァが何か大事なものだったこと、かな。エヴァンゲリオンって名前も覚えていたけど」


 とりあえず、同じようなことをもう一度言う。


「そうか……」


 納得したのか、ゲンドウはそこで口を閉ざした。何かあるのかと思ったが、それ以上は何も言わない。

 話す様子のないゲンドウに業を煮やしたのか、次に冬月が口を開いた。


「ああ、シンジくん。これも確認なんだが君に聞きたいことがあるんだが、いいかね?」

「構いませんよ。ただ、その前にお名前を教えていただけると……」


 そう言うと、冬月は初めて気が付いた、といった表情を浮かべた。


「そうか、私のことは覚えておらんのだったね。ここの副司令を務めている冬月コウゾウという。よろしく頼むよ」

「はい。こちらこそよろしくお願いします、冬月副司令」

 頭を下げて応対する。



「うむ。それで、質問なのだが……君のその特殊な能力についてなのだよ」

「特殊な能力……というと、この眼のことですか?」

 今は黒い自分の目を指差し、シンジはそう尋ねる。それに頷きを返す冬月。

「そう。直死の魔眼、といったかね? それのことを詳しく教えてもらいたいのだよ。大まかな能力はリツコくんが聞いていたが、なにぶん想像も付かないことで彼女もそのときは動揺していてね……」

「なるほど。ひょっとしたら聞き漏らしがあるかもしれない、と?」

「そうだね。いや、君が言うことを疑っているわけではない。そこは信じて欲しい」

「ええ、わかっています。では、お話しましょう」


『どこまで話すの?』


 頭の中に響く声。右肩から視線を感じる。


(ありのままに。直死の魔眼のことは隠す気は無いよ。牽制にもなるし、使徒への切り札としてネルフ内で認識されれば、容易に僕を殺すことも出来なくなる)

『なるほど。考えていないようで考えてるのね』

(それはちょっとひどいような……)


 心の中で苦笑いをして、現実に気を向ける。

 しばらく黙ったままでいたが、まぁ、考えを整理していたとでも思ってくれるだろう。


「……リツコさんに言ったことは、線を切ればモノが切れ、点を突けばモノを殺せる、ということでしたよね」

「ええ。万物全て例外なく、とも言っていたけど」


 リツコの補足に、そうですね、と頷く。



「基本的にはその通りです。ただ、「モノを切る」と言いましたが、それは正確には「その切った箇所を殺している」ということなんです」



「どういうことかね?」


「例えば再生能力があったとしても、線で切った所は再生できなくなります。昔、草の根を切ったんですが、成長を促す溶液に入れても一ミリも伸びませんでしたから」


 その言葉にリツコも冬月もゾッとする。報告ではただ切るとしかなかったから楽観視していたが、話を聞く限りでは切るだけでも恐ろしい話だ。


 なにしろ、その眼で切られた箇所とは、永遠のお別れを約束されているのだから。


「点を突く、というのは使徒でもう見せましたよね。点を突けばああして突かれたものは死にます。もし居るなら、神様だって殺してみせますよ」


 シンジにしてみれば最後の言葉は冗談だったのだが、聞いているほうにとっては冗談ではない。

 聞く限りでは確かに神を殺すことも可能な能力に思えるのだ。


「し、シンジくん。万物全て……と言ったが、本当かね?」

 内心の驚きと動揺を抑えつつ、冬月が再び問いかける。

「ええ、まぁ。生物は使徒を見てもらえばわかると思いますし、物体は……何か切ってもいいものがあれば実践しますけど」


 それを聞いて、一瞬リツコの目が光った……ように見えた。


「そう? なら、私が持っているペンでもいいかしら」

「ええ、いいですよ。それでは……」


 リツコからペンを受け取り、眼を解放する。

 スッと色が変わる瞳。黒かったその色は澄んだ蒼へと。

 そしてシンジは懐からカッターナイフを取り出した。それの刃を出し、ペンに見える線をなぞる。

 カラン、と音がして手で持っていなかった側のペンの一部が床に落ちる。

 それを確認して、シンジは眼をもとの黒に戻した。


「どうぞ」


 そう言ってシンジは持っていたほうのペンをリツコに手渡す。

 リツコはペンを受け取り、しきりに断面を気にしていた。


「どうかね?」


 冬月がリツコに問う。


「ありえない、と言いたいところです。断面がまるで鏡のように綺麗に切られています。こんなこと、どんな刃物でも出来ません。そもそも、カッターで簡単にボールペンを切ること自体、信じられませんが」


 ふむ、と頷いて冬月は今の光景を反芻する。

 蒼く変わる瞳。ペンを切断するカッター。確かに、ありえない話だ。だが、実際に眼で見た以上、信じないわけにもいかなかった。

「……なるほど。確かにその通りのようだね。もう一つ、その眼は制御できると聞いたが、本当かね?」

「ええ。多少苦労はしましたけど、今は」

「……ふむ。では、特に問題はあるまい。これからの使徒との戦いで使う場面もあるかもしれないが、よろしく頼むよ」

「はい。あ、あと知っておいて欲しいのですが、この眼は使うと結構疲れますので、常に使うことは出来ないかと……」

「ああ、それは問題ないよ。しばらくすれば他のチルドレンも戦線に加わるし、その眼は本当に最後の手段とするといいだろう」

「わかりました。そのほうが助かります」


 実はシンジには眼による負担はあまりない。せいぜいわずかなストレスぐらいである。

 だが、人類補完計画においては使徒との戦いはある程度危機を経る必要がある。そのため、シンジは妥協点として冬月に眼の欠点を伝えたのだった。



「……さて、あとは、連絡事項といったところか。シンジくんには葛城一尉と同居してもらおうと考えているのだが―――」


「あ、ちょっといいですか」


 連絡事項の一項目にして待ったをかけるシンジ。だがシンジからしてみればそれは真っ先に変えなければいけない事項だった。

 これから色々とするときに誰かと同居していては都合が悪い。一人暮らし(正確にはレンがいるが)は監視カメラさえなくしてしまえば勝手に出来るのだ。

 第三新東京市は全てネルフの管理下に置かれているのが現状である。その中で自分の行動を察知されない場所を作るのは急務だった。


 ……生活無能者の世話に嫌気がさしたことも事実だが。


「僕の住居の件ですが、一人暮らしをしたいんですけど。そこら辺のアパートでいいんで」


「む……それはまたどうしてかね?」

 わずかに顔をしかめて尋ねる冬月。心なしかゲンドウとリツコも厳しい顔をしている。


「いえ、男なら一人暮らしは夢ですし。そして、一人暮らしといえばアパートでしょう?」


 しごく真面目な顔で言うシンジ。

 実はお城なんかで暮らしていたせいか、アパートのような住宅に憧れを持ってしまっているのだった。


「……しかし、チルドレンの保安上ネルフの関係者との同居が好ましいのだが……」


 あごに手を当てて冬月は言うが、それもシンジの予定通り。アパート云々はもとから許可されるとは思っていない。



「やっぱり、そうですよね……―――ところで、僕って学校に通うんですか?」


「え? え、ええ。第壱中学校に通うことになるわ。明日から通学する準備も出来ているし」

 シンジがリツコに視線を向けて問うので、リツコが突然話を振られて驚くものの、シンジの問いにしっかり答える。

「明日からですか? 結構な強行軍ですね……。冬月副司令、そのミサトさんの家は学校から近いんですか?」

「ああ、歩いて三十分といったところかな。それが、どうかしたかね?」

「いえ。次に、ミサトさんの家は一軒家ですか?」

「いや、コンフォート17というマンションだが……」

 度重なるシンジの質問に訝しみながらも答える冬月。

 シンジはそれを受けて考え込むように俯く。


 しばらくして顔を上げると、冬月たちにある提案を述べた。



「では、こういうのはどうでしょう。僕はミサトさんの部屋の隣に住みます。学校からも近く、保安上にも隣なら十分に対処できる範囲内でしょう。おそらくミサトさんは実際の護衛ではなく、SS(シークレットサービス)みたいな人達がいて、守ってくれるんでしょうし」



 チルドレンに専属の保安部が数人つくことを言い当てられたゲンドウたちは、わずかに身を硬くする。


「……なぜ、そう思った」


「簡単だよ。ミサトさんじゃ目立ちすぎる。ネルフの作戦部長が直々に、なんてチルドレンと一緒に部の長を失うかもしれない状態にわざわざするわけがない。もしするなら理由は二つ。敵対組織をあぶり出すエサか、その部長とチルドレンが邪魔なのかだけだ」


 この場合はミサトさんと僕ですが、と付け加えて話を続ける。


「現在ネルフ本部で動けるチルドレンは僕一人。ミサトさんがどれだけ優秀かは分かりませんけど、その現在本部唯一のチルドレンを大事にこそすれ、消そうなんて考えるはずがありません。だから、これはエサ。となると、食いついた獲物を仕留める人間がいる、と考えるのは当然でしょう? そしてエサである以上、僕達のことは守ってくれる、と思ったんですよ」


 ね、と確認を求めるかのように笑いかけるシンジに、ゲンドウたちは何の反応も返せない。


 まさか、作戦部長との同居の話だけでこちらの思惑まで言い当てられるとは予想もしていなかった。

 そこそこに知能が高いとは聞いていたが、状況把握能力はそこそこなんてものではない。明らかにそこだけ見れば天才クラスの実力がある。


(……さすがは、ユイくんの子供、と言ったところか……)


 自らの教え子でもあり、その教え子の中でも飛びぬけて優秀だった碇ユイを冬月は思う。

 これがまだ教師であった頃ならば、シンジの能力を伸ばしてみたいとも思うが、今はそんな状況ではないし立場でもない。

 そのことに小さな寂寥感を覚えつつも、冬月はわずかに口元を歪ませることでその思いを打ち消した。


「……で、ですね。エサになるわけですし、見返りといってはアレですけど、ミサトさんの隣での一人暮らし……許してもらえませんか?」


 相手の後ろめたいところを自分が知っていることを見せてのお願い。さらに、この程度のお願いであれば別にネルフとしては拒否できる、というところもポイントである。

 自分が決定権を持っていると思わせることが大事なのだ。ここでシンジが全ての決定権を持ってしまうと、『能力が高い』という認識が『能力が高すぎる』になってしまう。

 それは上手くない。必要以上に警戒されると今後の行動に支障をきたすからである。

 ゆえに、中途半端な状態でのお願い。これならば、相手に「能力は高いが、まだまだ御せる範囲内」という印象を与えられる。

 年齢の割に異常な能力であることは露見してしまうが、運のいいことにシンジの母親は世界的な天才だった。

 遺伝として見てもらえれば、その異常性も小さくなる。

 それを見越しての交渉だった。


 そして、後ろめたいところがあり、御せる相手であるとこちらのことを思っている。さらにその交渉結果として損が特に見当たらないとなれば―――。


「……ふむ。まぁ、私はそれでもいいと思うが。どうだ、碇?」

「……問題ない」


 と、まぁこうなるわけである。



『……昔の可愛いマスターがなつかしいわね』


 どこか呆れたような声でシンジの頭にレンの声が響く。

 シンジにしてみればアルトルージュの行ったこの手の教育には感謝しているのだが、レンには少し不満らしい。

 頭の片隅で黒いお姫様が、くすくすと笑う姿が浮かんだ。


「ありがとうございます。それで、ほかの連絡事項は?」

 シンジの言葉に再び冬月が対応する。

「ああ、そうだね。あとは、さっきリツコくんが言った学校についてか。君には、明日から第壱中学校の二年A組に入ってもらう。制服なんかは用意してあるから、あとで受け取ってくれるかね」

「はい、わかりました」

 やはりかなりの強行軍だが、まぁ仕方ないか、と納得する。

「それと、生活に必要なものはこちらで手配しておくよ。今から三時間もすれば部屋も住めるようになっているだろう。それ以上必要なものは随時そろえてくれ」

「お給料は出るんでしょうか?」

 その言葉にはリツコが答えた。

「ええ。IDカードがあるでしょう。それはキャッシュカードにもなっているわ。今回の出撃分が入っているけれど、あなたは未成年だから月に一万円しか使えないようになってるから、気をつけて頂戴」

「わかりました、リツコさん」


 とはいえ、シンジにはお金なんてものはあまり必要ない。だてにお城に暮らしていたわけではない。シンジ固有の財産は億の単位で存在している。

 ……すべてアルトルージュたちからのお金だというのが微妙に情けないが。


「あ、そうだ。僕と一緒にコイツも住みたいんですけど、マンション大丈夫ですか?」


 そう言って右肩をさす。そこには退屈そうに部屋を眺めている白猫の姿があった。

「ああ、構わんよ。そもそもあのマンションには君と葛城くんしか住んでおらんからな」


『……ホントにエサだったのね』


 何気なく言う冬月に、レンは辛辣にそう返す。もちろんシンジにしか聞こえない以上、シンジはそれが自分のことだとわかった上で、あはは、と笑うしかなかった。


「そうですか……ここにも連れてくることがあると思いますが、よろしくお願いします。……ほらレン、あいさつ」

『しょうがないわね、もう』


 言って、ぺこりと頭を下げるレン。


 その姿に冬月は感心し、リツコはちょっとヤバげなくらいに顔が緩んでいる。


「ほう……賢い猫だね。まぁ、それぐらいなら構わんよ。ほかに何か聞きたいことは?」

「いえ、今のところはありません」

「そうかね。まぁ、通達などは携帯電話のほうに送るから、そちらにも注意していてくれ」

「はい」


 そこで会話が途切れる。すると、それを見計らったかのようにゲンドウが言葉を発する。


「……では、サードチルドレンの処遇はそのようにする。以上だ」

 ゲンドウはそれだけを言うと再び口をつむぐ。サングラスに隠れて表情はわからない。


「了解しました、総司令」


 敬礼はせずにそれだけを告げ、シンジはきびすを返す。

 そしてそのまま一言も発することなくシンジは司令室を後にした。




 残されたのは、ネルフのトップスリーの三人だけである。


「……それにしても、本当に彼は聡明な少年だったな、碇」

「………………」

「的確な状況判断。それだけでも天性のものだと思えるものでした」

 先ほどの緩んだ表情など微塵も感じさせない真剣な表情でリツコは言う。心なしか、嬉しそうな表情で。


「……彼が言ったとおり、ユイくんとお前の息子、ということかな」


 冬月のその言葉に、ぴくりとゲンドウの肩が揺れた。


「……冬月先生」

「ん、なんだ?」


「……サードは道具です。私たちの計画のね……」


 いつものように、顔の前で手を組んだ状態のまま低い声でゲンドウが告げる。

 果たして、それが本心なのか、そうでないのか。それはゲンドウ自身にしかわからないことである。

 この男の……いや、老人達の悪魔の計画。彼らにしてみれば神の計画。それに加担している時点で、冬月もリツコも後戻りは出来ないところまで来ていた。

 だから、リツコはその言葉に無言で返し、冬月は、


「そうだな……」


 そう相槌を打つほかなかった。


 暗く広い部屋の中で、彼ら三人はどこまでも深い闇の中にいるように見えた。












 司令室を出たシンジは、廊下を特に目的もなく歩いていた。


「三時間か……」


 荷物の搬入だけではなく、その配置や水道や電気などが全て三時間の間に解決するのかどうかはかなり疑問だったが、ネルフなのだ。それぐらいはやるだろう、とシンジは納得した。

 というわけで、あとはその時間をつぶすだけである。


「……綾波に会いに行こうかな」


 それに思い当たった途端、シンジはくるっと方向転換し、どこか嬉しげに歩き出す。

 まるっきり恋する少年な主の姿に、右肩の白猫の一言。


『バカばっか……』


 だから作品が違う。

























―――To Be Continued


−あとがき−

特になし(笑)

実際問題、このお話はストーリーにそれほど関係しませんからね。
まぁ、シンジくんの人となりと非凡さを読み取っていただけたなら幸いです。