EVA −Under the Glass MOON−










2/綾波レイ












 人類初の使徒戦後。


 ケイジに帰還した初号機から降りたシンジは、労いと謝辞をかけてくれる整備班の人たちに手を振ったり、頭を下げたりして対応していた。

 シンジの眼は今はもう純粋な日本人らしい黒瞳に戻っている。


「シンジ君」


 そんなシンジに声をかける、リツコ。その横にはミサトの姿もある。リツコは初のエヴァ運用に関することだろうとわかるが、なぜミサトがいるのだろうと僅かに疑問に思いながら、シンジはリツコに答える。

 実は作戦指揮官だからなのだが、今回は戦闘中にミサトの声を聞くことは一度もなかったので、シンジはそのことを失念しているのだった。


「なんですか、リツコさん?」

「さっきのことよ。あなたのその目のこと。それ以外にも色々やりたいこともあるから、ついてきてくれないかしら」

 わかりました、と答えようとしたがシンジは思いとどまった。


 シンジには、このままでは綾波に会うのがかなり先になってしまうのではないだろうか、という危惧があった。今のところレイの名前が出されたことはなく、今回はすぐに乗ったため、顔も合わせていない。


 出来るだけ、早く会っておきたい。というか、会いたい。


 しばらく考え、シンジは口を開いた。


「……あの、少し聞きたいんですが」

「なにかしら?」


「さっき、僕のことをサードチルドレンと呼びましたよね? なら、ファーストとセカンドがいると思うんですけど、挨拶なんか出来ませんか?」


 どうせ、今後もこれに乗ることになるんでしょうし、とシンジは締めくくった。


「……どうして、これからも乗ることになると?」

「簡単ですよ。さっき読んだ資料にはエヴァのことはまったく触れられていませんでした。決戦兵器とまで言うぐらいのものですし、あれは相当な機密に属するはずです。僕はそれに触れました。このことから、僕を大人しく解放するわけがない。さらに、ネルフは特務機関らしいですね。なら国連憲章にある特務権限によって超法規的措置を行えるはずです。つまり、徴兵だって思いのままということです。機密に触れ、エヴァを操縦できる人間が、それをしないままでいさせてもらえるとは思えませんから」


 そうシンジは一気に話す。


 ミサトは声もなく呆然とし、リツコもシンジの的確な状況判断に目を見張る。確かに、もし断れば強制的に乗せることになるのは間違いないことだろう。

 だが、まだ甘い、とリツコは子供っぽい反抗をしてみることにした。

「あら、使徒はもう倒したのよ。なら、もう問題ないのではないの?」

 その言葉にシンジは苦笑して答える。

「確かに倒しましたが、資料にないほどの機密に関わったということは事実です。それに、あれほどの巨大なものを建造したからには、恐らく国家予算クラスのお金が動いたでしょう。その兵器がまさか一戦だけのものとは思えません」

 そのまったくその通りな考察に、リツコは今度こそ肩を竦めた。


 ここまで目まぐるしく移ろう状況の中での正確な思考力と判断力。間違いなく、一般レベルを上回る知能を有していると判断できる。末恐ろしさと共に、リツコは喜ばしさを感じていた。



 この世界において、リツコは紛れもない天才である。このネルフでも彼女に敵う才の持ち主はおらず、その才能は他の追随を許さなかった。

 だが、それゆえに、自分と同等の意見を述べてくれる相手に飢えてもいた。自分とは違う理論で自分と語り合える人間を、彼女はどこかで望んでいた。かつて東方の三賢者と呼ばれた母には二人の仲間がいた。しかし、自分には誰もいない。そのフラストレーションをなくしてくれるかもしれない相手の登場に、リツコの心は間違いなく高揚していた。


「ごめんなさい。話が逸れてしまったわね。ファーストチルドレンの綾波レイは現在重傷で入院中。セカンドチルドレンの惣流・アスカ・ラングレーはドイツ。挨拶が出来そうなのは、入院中のレイだけね」

 内心の興奮が口をついたのか、リツコは本人にしては珍しく簡単に情報を開示した。

 シンジはそれに頷き、またしばし思考する。

「……では、その綾波さんに会いたいんですけど、面会は出来るんですか?」

「ええ、問題ないわ。シャワーを浴びてくるついでに行ってくるといいでしょう。その間に、こっちで用意することを済ませておくから。それと、髪の毛を一本もらえるかしら?」


 本人確認のためだろう、とシンジは納得して一本髪の毛を抜いてリツコに渡す。今の時代、クローン程度なら作れるだろうから、確実に本人とは言い切れないだろうが、一応調べておかないと上が納得しないというところか。

 リツコはありがとうと礼を述べ、その髪の毛を受け取る。その対応にシンジは内心わずかに首をひねった。

 親友から見ても珍しいことなのか、ミサトはリツコの饒舌と反応にわずかに驚きを表す。

 シンジは軽微な違いと判断して、微笑んで、LCLを落とさないといけませんでしたね、とリツコに答えていた。

「服はありますか?」

 今回は説明を受ける時間があったが、結局それを優先したために、シンジはまた学生服で搭乗したのだった。

「ええ、用意しておくわ。それと、シャワー室はここで病室はここ、終わったらここに来なさい」

 ジオフロントの地図に持ち歩いているペンで印をつけ、リツコはシンジに手渡した。

「ありがとうございます。それではまた」

 そう言ってシンジはお辞儀をし、二人からきびすを返す。後ろからはミサトがリツコに、どうしちゃったのよアンタ、と驚いたような慌てたような様子で話しかける声が聞こえてくる。

 そこでシンジは、はて、と首をひねる。


(結局、ミサトさんはなんで来たんだろう?)








                              □








 綾波レイは天井を見つめていた。


 病的なほどの白に囲まれた部屋の中、備え付けられたベッドに横たわり、視線の赴くままにこれまた白一色の天井を見ている。


「………………」


 サードチルドレン。


 そう呼称される存在が近々ネルフに送られてくることを、レイは聞かされていた。

 名前、容姿、経歴は教えられていない。年齢も同様だが、おそらく十四歳であると推測する。なぜならエヴァに乗るためには十代である必要があるからだ。

 精神的不安定さを最も抱える年代。わかりやすく言えば思春期であることが絶対条件。それが何のためなのかレイは知らされていなかったし、知ろうとも思わない。

 命令は聞くためにあり、聞かないならばワタシは必要ないのだから。


「………………」


 白い部屋。一人の空間。それでも、レイは寂しいとは思わない。否、寂しいとはどのような状態を示すものなのか判らない―――。

 レイにとって唯一の絆を持つゲンドウも、病室に訪れることはあまりない。あっても、一言二言話してすぐに去ってしまう。それを悲しいとは思わない。それだけしか知らないのだから。

                          存 在 理 由
 エヴァに乗ること。それこそが、自分のレゾンデートル。


 ならば、それだけでいい。それこそが至上命題。それこそが自分という存在を形作る。

 ゲンドウの言葉に従い、そうしていることで、ワタシは私として保たれている。

 だから、自分はエヴァに乗り命令に従おう。

 今ある絆を手放すことがないように……。



 コンコン。


「綾波さん、入るよ?」



 聞いたことがない声。しばらく何の反応も示さずにいると、ガチャリ、と音がして扉が開かれた。

 そこから覗いたのは、黒い髪に黒い瞳のどこか中性的な顔立ちをした少年だった。















「綾波さん、入るよ?」


 ノックをして十秒ほど待つが、返事はない。寝ているのかもとシンジは思ったが、それならば寝顔だけ確認してすぐに立ち去ろう、とシンジは考えた。

 もともと、無事であるかどうかを知りたいだけだったのだ。もちろん話せるなら話したいとは思っていたが。


 ガチャリ、とノブを回す音が白い空間に響く。中を覗き込むと、青い髪に赤い瞳の少女がベッドに体を横たえてこちらを見ているのを見た。

 起きていて、意識もあるようだとシンジは胸を撫で下ろし、次いでその痛々しく頭に巻かれた包帯に眉をひそめた。


「えっと……入ってもいいかな。少し、話があるんだけど……」


 言ってから、シンジははっとする。

 名前もまったく知らないだろう人間が、突然部屋の中に入ろうとしているというこの状況に。

 通報されてもおかしくないようなシチュエーションだ。言ってから、どうしたものかとシンジは思ったが、レイに対してその心配は皆無だった。


「……かまわないわ」


 小さくも、鈴がなるような声でレイがそう告げる。無感情で言われるのはいささかショックだったが、最初はこんなものだったよな、とシンジは悲しげに納得した。

 頷いてレイのベッドの傍まで来て、近くにあったイスに腰を下ろす。

 間近にあるレイの顔。四年間、求めてやまなかった半身がここにいる。向こうにとっては自分は初顔合わせとなるのだろうが、シンジにとってはそうではない。

 誰よりも何よりも愛しいと感じた少女。シンジは思わず泣きそうになって、いきなり泣き出すのは不審だと考え、ぐっとこらえた。

 そして、その赤い瞳をまっすぐに見つめる。


「はじめまして、綾波さん。僕はサードチルドレンの碇シンジ。君と同じ、エヴァのパイロットだよ」


 シンジの自己紹介に、レイはわずかに表情をこわばらせた。

「いかり……?」

「ああ、うん。綾波さんが考えているとおり、僕は司令の息子だよ」

「そう……」


 悲しげな顔で目線を落とすレイ。


 あのとき全てを知ったシンジには、いまのレイの心情はよくわかる。自分にあったただ一つの絆、ゲンドウとの絆がなくなったように感じているのだろう。

 だけど、それは勘違いというものだ。ゲンドウにとってのレイが道具なのかは今の本人にしか判らないとしても、レイにとっては確かにゲンドウに対して絆があるのだ。なら、主体であるレイがその絆の有無を論じない限り、そこに変化などあるはずがない。

 かつての世界で、ゲンドウにはレイのことを娘のように感じている部分は確かにあった。もちろん、それが表に出ることはなく、本人も道具であると言い切り、そう考えていたが。

 だが、そう感じていた部分もわずかながら確かにあったのだ。

 だから、別に絆がなくなったわけではない。レイが望めば、これからきっと絆は強固に、そして増えていくだろう。

 シンジはレイにそうして欲しい。

 自由に、自分らしく。

 それは、前の綾波の望みでもあったから。



「綾波さん……ちょっと言いづらいな。綾波って呼んでもいい? 僕のことはなんて呼んでもいいから」

「……かまわないわ」

 どこか虚ろに答えるレイに、シンジはありがとうと言って頷く。


「綾波。僕が司令の息子だからって、綾波が持っている絆がなくなったわけではないんだ。だから、そんなに悲しそうにしないで」

 その言葉に、レイは弾かれるようにしてシンジの瞳を見つめる。


「……なぜ?」


「綾波がなくなった、なくしたいと思わない限り、その絆はなくならないよ。父さんが絆を切ったとしても、綾波があると感じるなら絆はある。……それは、少し悲しい形の絆ではあるけどね」

「悲しい……なぜ?」


「うん。その絆は、綾波はあると思っているけど、父さんにとっては無い絆だ。つまり、綾波からの一方通行……嫌な言い方をすれば、一人相撲でしかないんだ。
 絆っていうのはね、『絆を結ぶ』って言い表すんだよ。結ぶためには、糸を想像してもらえればいいけど、当然両端がなければ結べない。つまり、その糸の両端が人なんだ。二人……あるいはそれ以上の人数がいないと、絆は“結べない”んだよ」

 シンジは言い聞かせるように、ゆっくりと語っていく。

 レイはその言葉にただ耳を傾けている。ただ、その表情はわずかだが不安に揺れ始めていた。

 そのことにシンジは気付いているが、あえて気にする素振りも見せず、話し続ける。


「片方だけが相手に一方的に思いを寄せる……片思いっていうのもあるけど、それはやっぱり絆じゃないんだ。それはその人の想い以上の何物でもないんだ。その人と話して、触れて、知って、初めて絆は生まれるんだ。
 綾波は、父さんと絆を持っていると信じている。でも、父さんがどうかは判らない。それは、父さんが綾波に本当の気持ちを見せないからだ。……見せ掛けの絆ほど、悲しいものはないよ」

 かつての生活。ミサトと、アスカと。偽りの家族。あれは見せ掛けだった。本物も確かにあったけれど、それは偽りの関係の前では幻想にしか映らなかった。

 その当時を思い出し、シンジはわずかにやるせない表情を見せた。


 レイはシンジのそんな表情には気付かない。ただ、不安げだった顔色は、今や完全に恐怖と悲哀に満ちていた。


「一方通行な関係は、相手のことがわからない。自分だけの世界で完結していて、それは一人でいることと一緒なんだ。だから悲しい。……本当の絆は、自分と相手、お互いがお互いを認めて初めて成立するものだから。
 それが、人と人の絆なんだ、綾波」

 その言葉に、レイは痛ましげに眉をひそめる。そして、口に出すことに激痛を伴うがごとく、顔を悲しげに歪ませながら言葉を紡ぐ。


「……なら、私と司令の間に、絆はないのね……」


 あの人は、私を見ていない。見ているのは、向こう側の誰か。

 それを常から感じていたレイは、いまのシンジの話で明確に理解してしまった。自分に、シンジが言うような本当の絆はないのだと。

 そんなレイの言葉に、しかしシンジは首を振った。


「違うよ、綾波。確かに今の父さんと綾波の関係はいいものではないかもしれない。絆は確かに一方通行もあるし、切れてしまうことだってある。けどね、繋ぎ直したり新たに作ることも出来るんだ。綾波が望んで、父さんも望めば」

「絆、が……?」


「そうだよ。だから、もし父さんと本当の絆を結びたいなら諦めちゃダメだよ、綾波。けど、嫌われないように唯々諾々としているのもいけない。自分の意見はきちんと言う。そうじゃないと、絆は簡単に隷属に成り下がる。だから、つらいことも苦しいこともあるだろうけど、もし綾波が本当に望むなら―――」


 そう、もし本当に望むのなら。届かない遥かにソレがあるとするならば。

 することはただひとつ。


 決して諦めず、ただ、愚直に。




「―――頑張って、綾波」




 ゲンドウは相当な外道だと思うが、道は外れたとしても人間なのだ。なら、分かり合えない道理はない。あの父親に人並みの感情を期待するのは本当に大変なことだろうけど。


 ―――すまなかったな、シンジ……。


 あの言葉と気持ちに嘘はない。それはきっと、ゲンドウが心の奥底に隠し続けていた、ただ一つの本心なのだと思うから。



 ポタ……。

 寝ているレイの頬を伝い、顔を横切るように涙の軌跡が描かれる。はっとして、レイは自分の頬を押さえた。


「これは……涙? なぜ?」


「僕にはわからないよ。綾波の気持ちは、綾波がちゃんと考えないと。それも、大切な一歩だよ」

 言うと、レイは眠ったように眼を閉じて何かを考えているようだった。ほんの数十秒。すっと、レイは眼を開いた。


「……そう、私うれしいのね……」


 絆が結べる。それは自分を繋ぎ止める大切なもの。今までは諦めていた。自分はそもそも見られていない、と。

 けれど、そうではないと言ってくれた。こちらから自分を示せばいいのだと。そして、頑張って、と言ってくれた。


 それが、とても嬉しい。



「……あなたは、何?」



 自己紹介はさっき聞いた。けれど、問わずにいられなかった一つの問い。

 初めて会ったのに、親身になって話してくれた人。初めて、大切なことを教えてくれた人。会ったことなどないのに、どこか懐かしい人。


「碇シンジ。エヴァのパイロットで……そうだね、君の仲間であり友達、かな?」


「仲間……とも、だち……」

「そう、友達。一番身近な絆かな。対等に話して、笑って、悲しんで、怒って。けれど、仲が良くて、一緒にいると楽しい。僕はそうやって綾波と接したいし、一緒にいたいと思うんだけど……どうかな?」

 さすがに照れるのか、シンジは頬をかきながらそう伝える。レイはそんなシンジを見て、考え込んでいるようだ。


 一番身近な絆。笑って、悲しんで、怒って、という感情はレイにはよくわからない。けれど、一緒にいたいと思えるのは、やはり初めて自分自身に接してくれた人だからだろうか。

 彼が真実を知った時に、どうなるかは判らない。けれど、今は、


「……問題ないわ」


 そうしてみたい、と思えた。



 レイが答えると、シンジはとたんに顔を破顔させ、誰もが見とれるような笑顔を見せた。

 もともと中性的で顔立ちが幼く、母方の遺伝子が如実に影響したシンジはかなりの美少年である。本人はその女顔をコンプレックスにしているが、周囲は美形であるとしてそれはシンジの魅力の一つだと捉えている。

「ありがとう。それじゃあ、これからよろしく綾波」

 その笑顔のまま手を差し出すシンジに、レイはわずかに頬を染めて困惑の表情を浮かべる。

 レイに異性に対する認識はあまりない。けれど、その笑顔を綺麗だと思った途端に、ほんの少し胸が暖かくなったような気がしたのだ。

 それは本能に刻まれた感情の発露だった。これからの生活できっと感情はもっと発達していく。それを確信させる、少女らしい反応。


「碇くん……これは?」

 差し出されたシンジの手を見やり、レイは尋ねる。

「これは握手だよ。よろしく、とかそういう意味を込めて、手を握り合うことでお互いを認めているんだ。出来れば、握り返して欲しいかな。綾波は、もう一人じゃないんだから」

 その言葉に、恐る恐るといった感じで、レイは布団から手を出した。合わせて布団から覗いた腕にも包帯が巻かれていて、レイが重傷なのだということを改めて感じさせる。

 ぎゅっと、シンジの手が握り返される。


(温かい……)


 レイはそれを確かめるように、断続的にシンジの手をぎゅっぎゅっと握る。無邪気にそれを繰り返すレイに、シンジは恥ずかしそうに苦笑。


「改めて、これからよろしく、綾波」

「よろ、しく……碇くん」












 また明日も来るから、と言い残して病室を出て行くシンジ。それを見送り、レイは再び天井を見つめた。


「碇、シンジ……」


 サードチルドレン。エヴァンゲリオン初号機専属パイロット。碇司令の息子……。

 そして、大切なことを教えてくれた人。絆の結び方と、絆について教えてくれた人。そして、初めて私の意志で絆を結んだ人。


「碇くん……」


 温かい人。綺麗な笑顔を見せる人。私の、友達……。


 ―――また明日も来るから。


 その言葉を反芻すると、ほっとしたような、安心した気持ちになる。

 約束。これもまた絆だと、碇君は言っていた。


(嬉しい……?)


 碇くんとの絆。初めての双方向の絆。自分で望んだ絆。

 嬉しい。

 胸が温かくなる、この想いをくれた人……。


「また、明日……」


 呟いた言葉は白い部屋に呑まれて消える。

 けれど、それを呟いたレイは、どこか満足げに天井を見つめていた。








                              □









 レイの病室を出て、シンジはリツコの研究室に向かっていた。

 これからまたエヴァに乗ったことの質問やら、恐らく自分に対する質問が行われるのだろう。


(魔眼って、はっきり言ったしなぁ)


 発令所という公式の場ではっきりと自分の能力を自覚していると言ったのだ。さらに、ありえない戦闘を見せている。使徒が灰になって消えた、という点については使徒は倒すとそうなるもの、と言えるかもしれないが、その前の動きや瞳の変化はそうはいくまい。

 もっとも、この魔眼について隠す気はさらさらないのだが。


 ここは別に魔術協会の息がかかっているわけでも教会に関わりがあるわけでもない。そもそもどちらも関わっていたら人類補完計画なんてものを許すはずがないからである。



 それに魔術協会などの裏のそのまた奥の世界に関わっているなら、シンジを放っておくはずがない。仮にも封印指定を受けている身だ。容姿もバレているし、監視ぐらいはつくだろうが、どうもそんな気配もない。

 教会のほうは……ある意味で封印指定以上に厄介なモノを師父から賜ったせいで、シンジはそちらからも追われているが、日本は教会とは縁遠い土地だ。それに同じく何の干渉も確認できない。


 彼らの手が届いていないのなら、状況が状況なので、そこまで固執して隠す必要はない。

 まぁ、そういった点から、魔眼を明かすことはそれほど問題はない。


 それより重要なのは、これからの使徒戦でも直死の魔眼を使うことを考えた場合だ。隠していて突然使うと、当然怪しまれることになる。なら、最初から自分の能力だとしておけば、問題なく使徒戦で使用できる。

 問題は、どうやって納得させるか、である。


(師父に頼んで、過去と経歴の改竄は済んでるし、それを使えば……)


 実はシンジ、ゼルレッチに頼んで、三年ほど前に事故にあって生死をさまよい、入院していたという事実を作ってもらっていた。当然それはネルフの記録にも残されているはずだ。

 なら、そのときに脳と視神経に変化が生じたとでも言えばいい。そもそも未だに人間の脳はブラックボックスなのだ。超能力といえば大抵のことは誤魔化せるだろう。魔術に関する知識があるわけではないだろうし、実際に脳に普通はないチャンネルが開いているのは事実なのだから。


 殺人貴―――志貴に聞いた過去の話からシンジが考えた案だったが、恐らくはこれでいけるはずだとシンジは考えている。

 それはまぁ、それでいいとして、さらにもう一つの問題。


(誰を味方に引き込むか……)

 さすがに一人で全てを行うのはいささか心もとない。かといって、自分の知り合いたちに頼むなどとんでもない。彼らは表の世界に知られていない存在だ。そんな存在が表に出て猛威を振るったとなると、世界は裏も表も巻き込んだ混乱を生むことになる。さすがにそれは避けなければならない。

 ネルフというまがりなりにも表の組織として確立された所から動くことが、全て終わった後のことを考えると必要なのである。

(綾波は引き込みたい。アスカは……性格さえ見直せば、何とか。あと、ネルフの内情に通じる人も欲しい……)

 ミサトが一番近づきやすいが、今のところ不可。内情には詳しくない。加持はその能力から裏で動く手段として仲間に引き込みたい。ここは問題ないだろう。自分は彼が知りたいことを知っている。


 そして、リアルタイムで現在の内情を知る人物―――

(リツコさん、か……)


 技術的にも、頭脳的にも、立場的にもこれほど必要な人物はいない。何とか引き込めないものかとシンジは頭を悩ませる。

 そうこうしていると、目の前にはリツコの研究室の扉。

(なるようになれ、かな)

 消極的な思考を最後に、シンジは意を決して研究室に足を踏み入れた。







「いらっしゃい、シンジ君」

 パソコンの前に足を組んで座り、コーヒーを飲みながらリツコはシンジを出迎えた。記憶の中と違わぬリツコの姿に、シンジはわずかに微笑む。

「はい、お邪魔しますリツコさん」


 実はシンジ、リツコのことはそれほど嫌っていない。

 レイへの仕打ちは度を過ぎていたと思うが、どんな思惑だろうと自分たちが生き残るために働いていてくれたことは事実だし、レイのクローンを見せて自分の心を壊したことも、所詮は自分の心が弱かったに過ぎない。

 それに、嫉妬心や劣等感といった感情は、大抵が母親やゲンドウに関することだった。結局は内向きな性格だったために、身内や近しい人に対するストレスを自分の中に溜め込んでしまっていただけだ。

 そしてそれをゲンドウによって、歪んで引き出されただけ。自分の復讐のため、という自分勝手な理由のミサトよりはまだリツコのほうがマシだとも思っているほどである。

 それに、最初のレイに対する態度を見ていると、優しいお姉さんというほうがしっくりくるぐらいだった。

 さらに言えば、あのネルフの中で一番罪の意識を感じていたのはリツコだった。

 だから、シンジはどちらかというとリツコのことは嫌いではない。だからこそ、仲間に引き込みたいとも思うのだが。


「……それじゃ、早速だけど質問や確認事項があるの。いいかしら?」

 キィ、とイスが音を鳴らし、イスごとリツコはシンジに向き直る。それにシンジは居住まいを正して答える。

「はい、かまいません」

 その返事に頷き、リツコは手元の資料を手繰りながら質問を発する。


「まず最初に、さっきDNA検査を行ったけれど、ちゃんとシンジ君本人と確認されたわ。あなたは碇シンジ本人で間違いないわね?」

「ええ、僕以外の碇シンジには会ったことはないですね。それにしても、DNAの検査って案外早いんですね」

「ネルフの遺伝子工学に関する技術は世界の十年以上先を行っているわ。もっともほかの分野もだけど、この程度の検査なら三十分あれば終わるわね。……次に、あなたは十年前のことを覚えていると言った。どの程度覚えているのか教えてもらえる?」

 わずかに身を乗り出すようにして尋ねる。これにはシンジは用意しておいた返答を返す。


「大まかに言えば全体です。細かく言えば、どんなやり取りがされていたとか、そういうことは覚えていません。……ただ、母さんがあのエヴァの中から帰ってこなくて、その実験が何か重要なものであったらしいということは覚えていますよ」

 曖昧な表現に留めておく。これも駆け引きだ。全て知っているのはさすがに当時の年齢を鑑みておかしいし、あれだけさっきは言っていたのに知らなさ過ぎるのも不信感を煽る。

 だからこその曖昧な表現。もしリツコが仲間とならなかった時のことも考慮しての答えである。大したことではないとはいえ、いきなり手札をひとつ切ることはしたくない。


「そう……。わかったわ、ありがとう。それじゃあここからは質問に入ります」

 そう言って、リツコは持っていた資料を一枚めくる。

「初めてエヴァに乗った感想、何でもいいから何かないかしら?」

「感想ですか……自分の体が大きくなった感じと、なんだか暖かい感じがしましたね。包まれている、というか。うまく言えませんね」


(包まれている、か……)

 これまでのシンジの言動からも、リツコはどうやらシンジは母親は死んだと考えているらしい、と結論付ける。さらさらと紙にペンを走らせる。

「自分の体が大きくなった、というのは?」

「そのままですね。地面に立って、ただ視点だけがいつもと変わったような感じでした」

 小さく頷き、またリツコは何かを書きとめる。


「あなたのシンクロ率はとても高い数値を示したわ。そのことに何か心当たりは?」

「シンクロ率……というのがよくわかりませんが……」

「ああ……エヴァをよりスムーズに動かす値、かしら。高ければ高いほど現実の動きに匹敵する。低ければ動きは鈍り、最悪動かないわ」

「それが僕は高かったと?」

「ええ、異常なほどに」

 どこか敵意さえ感じるほどのリツコの言葉。シンジを怪しんでいるのがよく判る。


 シンジのシンクロ率が高いのは、当然エヴァと同じ存在だからである。エヴァのコアとは命というよりは魂に近い。

                  ヘブンズ・フィール
 言うなれば、第三魔法≪ 天の杯 ≫に最も近い成功例とも言える。


 魂レベルでのシンクロのため、いくらシンジが肉体を人間にしていようと、リリンとして覚醒している魂までは誤魔化せない。

 ゆえに、リリスのコピーである初号機と、リリスから生まれたリリンであるシンジ。ともにリリスから生まれた者として、シンジは初号機とならこれ以上ない相性で動くことが出来るのである。


 しかし、そんなことを言うわけにもいかない。というわけで、シンジは、

「どうしてなんでしょうね? 残念ですが、シンクロ率なるものを初めて知った状態では、どうとも言えないですね」

 嘘をつくことにしておいた。


 シンジの返答は半ば予想していたものでもあったのだろう。リツコは、そう、とだけ返すと、またペンを動かす。

 そして、一呼吸おいてリツコが再び口を開く。




「……それでは、次の質問。あなたの眼のことについてよ」



 きた、とシンジは心持ち身構えた。


「あなたは魔眼と呼称していたわね。なぜ変色するのか、あの消えたような動きと関係があるのか、詳しく教えて欲しいのだけど」

 そのリツコの言葉を聞いて、やはりあの使徒の消え方はそういうものだと納得したのか、とシンジは思った。

 だからこそ、この眼をその前のあの動きと関連付けたのだろう。


「はい。まず、あの消えたような動きはこの眼とは関係ありません。次に、この眼は後天的なものです。僕が幼い頃に交通事故に遭い、生死をさまよったことがあるのはご存知ですか?」

「ええ」

 それはネルフの記録にもしっかり残っている。当時、ゲンドウたちはその報告に慌てたものだった、とリツコはわずかにその頃を思い出した。


「その時です。目が覚めると、病室には沢山のラクガキの線と点があふれていました。それを話すと色々と検査されましたが、異常なしと判断され、一時的な混乱だろうとされました。……しかし、真実はそうではないんです」






 ―――そう、この眼こそは神話の再来―――




「―――この眼はモノの死を視る。線をなぞればモノは切れ、点を突けばモノは死ぬ。有象無象、万物全て例外なく。この世の全てには発生した瞬間から崩壊の時期、死期が内包されている。一度死んだことで、脳がちょっとおかしくなったみたいでして、僕の脳はソレを理解してしまったんですよ」



 微笑むように、告げる。




「……名を、『直死の魔眼』といいます。かの伝説、バロールの魔眼から名前をつけました。さすがに睨むだけでは殺せませんが、似たようなものですしね」





 ―――死を穿つ、直死の魔眼―――






 なんでもないことのように告げるシンジに、リツコは驚きの表情でもって応えた。


 ありえない、と思う。科学的に考えて、それはありえるものではない。質量保存の法則も、エネルギー保存の法則も完璧に無視して対象を殺す。そんなことは出来るはずがない。


 だが、あの使徒はどうなのだ。灰に還って消えるのが使徒の最期なのだろうと推論付けたが、今考えればあれほどの大質量が消滅するなど常識的に考えておかしい。



 ならば、あれは件の眼を以って起こされた出来事―――。



 ぞくり、と背筋が震えた。欠片も痕跡を残さない消滅。それはただ生物として、これ以上ないほどの恐怖だった。


「……じ、じゃあ、あのとき使徒は―――」


 それでも、確信を逃れるかのようにわかりきった質問をする。ならば、


「ええ、この眼を使って殺しました」


 わかりきった答えが返ってくるのは必然だった。


「―――」

 愕然とする。

 どんな人間だろうと、化け物だろうと、決して逃れられない死なせ方をこの少年は持っている。それは、なんて恐ろしい。


「まぁ、時間をかけて訓練したおかげでこの眼は完全に制御できますし。実際、今は線や点は見えていません。瞳の色が変わるのが発動の合図だとしてください。あ、あとなんで変色するのかとかは僕にもわかりませんよ」

 実際は、魔力が眼に集まるからなのだそうだが。


「そ、そう……。そうね、よくよく考えればこれからの戦闘には有利な要素かもしれないわ」


 内心の恐怖は今のシンジの言葉でだいぶ和らいだ。つまり眼は道具だということだ。扱い方さえ間違えなければ害はない。ただ死を振りまくモノではないのなら、訪れない死の恐怖に怯えるのは滑稽というものだろう。

 思考を切り替える。こういったところが、彼女の非凡たる所以でもあった。


「……それでは、あの消えたような動きは? あれはその眼とは関係ないと言っていたわよね?」

 再びの質問。これに、シンジはわずかに眉根を寄せた。

「すみません、リツコさん。あれについてはあまり詳しいことは言えません。ただ、あれはとある人から教わった走法とだけ言っておきます」

 さすがに、ここで自分以外の情報を明かす気はない。これだけの情報ならば、特定など出来るはずがない。そもそも、ゼーレよりも更に裏の世界の人間だし。

 それに、リツコはまだネルフ側だ。これからの経過で、おのずと伝えるか否かは決まってくるだろう。

「……そう、わかったわ。最後に、かつてネルフのことをどこかで聞いたことは?」

 探るような視線に、シンジは動揺することなく答える。


「ありません」


 聞いたことはない。ただ、自分で体験しただけだ。
 しばらくシンジの眼を見つめ、嘘はないと判断したのかリツコは区切るようにひとつ息をついた。


「いいわ、ありがとう、シンジ君。これからも色々と頼むかもしれないけど、その時はよろしくね」

 小さく笑みさえ浮かべてリツコはシンジを労う。シンジもそれに笑顔で答える。

「はい、よろしくお願いします。僕からも何か言いたいことがあったら進言したいんですが、その時はどうしたら?」

「ああ、ちょっと待ってなさい。……はい、これが私の携帯の番号よ。もし用があるならここに掛けてきなさい」

 真っ白のコピー用紙に書かれた番号をしばし見つめ、シンジはありがとうございます、と頭を下げた。

「いいえ、今日は本当にお疲れ様。帰って、ゆっくり休みなさい」

「はい。それでは、失礼します」

 ぺこりと一礼し、シュッと扉が開き、閉まる。





「………………」

 リツコはおもむろにタバコを取り出し、火をつけ、吸った。

 数秒とたたず、煙が吐き出され、タバコ特有の煙のにおいが室内に立ち込める。


(…………イレギュラーも、いいところね)

 碇シンジの特殊能力。

 あれは超能力の類と見て間違いないだろう。交通事故という死を擬似経験することによって、脳の回線に変化が生じたのか。医学界において脳の解析はまだ完了していない。その可能性はいくらでもある。

(……死に瀕して、命を拾った彼を、私たちは戦場に出そうとしている)

 今度は人為的に。

 吐き気がする。だが、自分もその一人だ。そう思うと、自分がひどく惨めな気がしてきた。

 リツコは、ミサトのように復讐に燃えているわけでもない。ゲンドウの焦がれる人には、むしろ戻ってきて欲しくない。冬月のように、日和見の性格もしていない。

 結局、自分の意思でこうしているのではない、ということが呵責として重くのしかかる。


「……無様ね」


 いまさら。そう、いまさらだ。

 いまさら人並みに罪を感じるというほうが傲慢だ。修羅として、落ちるところまで落ちていったのだ、自分は。


 そう、もう罪など感じることは―――、



 コンコン。


「―――!」


 ガタン、と思わずイスの足を机にぶつけてしまった。

 思考に沈んでいたところだったので、リツコは思わぬ不意打ちに内心かなり動揺していた。

 一息ついて、落ち着き、

「どうぞ」

 ノックの主を迎え入れる。


「あの……」

 訪れたのはさっき出て行ったはずの黒髪黒瞳の少年、碇シンジだった。

「あら、どうしたのシンジ君。忘れ物でもあったかしら?」

 確か、何も荷物のようなものは持っていなかったとリツコは記憶しているのだが……。

「え、え〜っと……ですね」

 なんとなく気まずそうに、シンジは眼を泳がせ、


「……その……僕って、どこに帰ったらいいんでしょうか」


「………………」


 苦笑いを浮かべ、本当に困ったようにそうのたまった。








                              □









 今日のところはココに泊まれ、と言われてネルフ内の簡易宿泊部屋をあてがわれたものの、あるのはベッドと洗面台などの必要最低限のものだけ。まぁ、当然なのだが。しかし、それはそれとしてシンジは暇をもてあまし、ぼーっとしていた。


 今のところ、思惑通りに進んでいる。絶対にサードインパクトは起こさせない、みんなを守る、というこの二つの願いのためにこうしてやり直しているのだ。必ずそのとおりにさせてやる、という並々ならぬ決意がシンジにはあった。

 平行世界であるということで、自分もかつての自分とは違う。そこに不安は覚えるが、今のところは出来ることをするしかないのだ。


「ふむ。さすがのお主も緊張は隠せないとみえる」


「当然ですよ。ここは僕の知っている世界ではないんですから」

「まぁ、お主という存在からしてイレギュラーじゃからな。ならばこその不安か」

「マスターは考えすぎよ。もう少し気を抜くことを覚えたら?」

「気は抜いちゃダメだろ…………へ?」


 がばっとすごい勢いで身体を起こす。横を見るとそこにはガタイのいい老紳士と、上から下まで白一色の可愛らしい少女。


「し、師父……レン!?」


「うむ。どうだ、シンジ。調子のほどは」

「私を置いていくなんて、ひどいマスターね」


 威厳たっぷりに右手を上げて挨拶をするゼルレッチと、わずかに頬を膨らませているレン。突然の二人の出現に、シンジはまともな思考が出来ない。

「え、ち、ちょっと師父! ここには監視カメラがあって、いきなり現れられると……!」

「そんなもの潰しておいたわ。言い訳はお主がしておいてくれ」

「な―――……!」


 なんだこの爺さん、とんでもねぇ。


 シンジは改めて自らの師匠のぶっ飛び具合を再確認した気分だった。

 同時に、あまりにいつも通りな応対に平静を取り戻す。はぁ、と一息ついて今度はレンに向き直る。


「レン、ごめん。でも……」

「私の存在もイレギュラーだから? やめてよね、なんのための使い魔なのか判らないじゃない」

 じろり、と睨んでくる。


 う、と小さく呻いてシンジはベッドの上で後ずさる。どん、と背中が壁にぶつかる。レンはベッドに体重をかけ、身体を壁まで後ずさったシンジの足の間に滑り込ませた状態で、覗き込むように威圧してくる。

 まるでレンがシンジを襲っているかのような構図だが、二人の間にそんな桃色空間は形成されていない。

 むしろ、雰囲気的には真っ赤といったところか。

 レンの綺麗な赤い瞳が、今のシンジには疑いようもなく怒りの炎の色に思えた。


(だ、誰か僕に優しくしてよ……)


 壁に背を押し付けながら、冷や汗と共にそんなことを思うシンジだった。


「まぁ、気持ちはわかるがそこまでにしておけ、白レン」

 やれやれ、といった表情ながらもゼルレッチはレンをなだめに入る。レンも宝石翁の言葉にしぶしぶながらもベッドから身を離す。

 ほっとしてようやくシンジはベッドから降りて向かい合うように立った。その様子を見届け、ゼルレッチは再び言葉を紡ぐ。


「……実はな、シンジ。アルトルージュのところも何やら騒がしくなってきておって、出来れば白レンを離れさせたいと言っておったのじゃ。それで、本来のマスターであるお前のところに来たというわけなんじゃよ」


 理解してくれたかの、と問うゼルレッチに、はぁ、と気の抜けた返事を返すシンジ。

「ですが、どうして急に? 教会もアルト姉さんに手を出すほど馬鹿でもないでしょう?」


 アルトルージュ派と呼ばれる、死徒を二分するといっても過言ではない一大勢力である。そこに手を出すことは、いかに魔を嫌う聖堂教会といえども愚かとしか言いようがない。

 たとえ勝ったとしても、今の死徒間のパワーバランスを大きく崩す。そうなると今度は最大勢力である『白翼公』トラフィム・オーテンロッゼも黙っていないだろうし、魔術協会も介入してくるだろう。そうなるとまさに戦争だ。そんな愚を犯すとも思えない。




「それが、どうやら『白翼公』のグループに何か動きがあるみたいなのよね」



「な!?」



 それこそありえない。白翼公とアルトルージュ派は間違いなく二大勢力なのだ。それゆえにお互いに牽制しつつも不干渉を取り決め、均衡を保ってきた。それを破るなど……さっき一度頭に浮かんだ戦争が実際に起こる可能性もある。


「驚くのもわかるがな。だが、どうやらアルトルージュが目的でもないようなのじゃ」

「え……どういうことですか?」


 互いに相手のことをよく思っていないことは、この世界では有名な話である。その白翼公が、天敵を相手にしていない、この異常。



「わからん。だからこそアルトルージュも警戒しておる。それで、せっかくなのでシンジに白レンを頼んで
                                                                           ・  ・  ・
しまえ、ということになったのじゃ。お主ならレンを守るために断らんからのう、番外位?」



 にやにやと笑いながら話すゼルレッチの最後の言葉に、シンジは物凄く嫌そうな顔をする。が、結局、はぁ、と溜め息を出すぐらいしか出来ないシンジだった。

 この目の前の魔法使いは、シンジがたとえ何を言ったところで、聞かないし動じないに決まっているのだから。


「まぁ、実際は白レンが、私マスターのところに行くから、と言って聞かんかったんじゃがな」


 にやり、と唇を歪めてのその一言に、シンジはどう返したものか固まり、レンの顔は赤く染まっていく。


「ぜ、ゼルレッチ!」

 照れ隠しなのか、レンはゼルレッチに猛然と拳を繰り出すが―――、


「はっはっは」

 空間を移動してしまうゼルレッチに効果はなかった。


(……ああ、魔法ばりの大魔術をあんなことに……)


 魔術師としてのシンジが、内心で溜め息をつく。


「ではな、シンジ。お前はお前がしたいことを、責任を持って頑張れ」

 そう言って、ゼルレッチはシンジの前からそのまま去る。

 残されたシンジは嵐のように来て、去っていた己が師匠に呆然としていた。


「なんて唐突な人だ……」

「あ、あのはっちゃけ爺さん……今度会ったらただじゃおかないんだから……!」


 ぽかんとして呟くシンジに、興奮したためか肩で息をしているレン。他人が見たら、絶対に状況の理解に苦しむ状況である。



 ややあって、どうにか落ち着きを取り戻した二人は、改めて現状を確認し始めた。

「えっと……じゃあ、悪いんだけどレン。こっちでは基本的に猫でいてくれない?」

「はぁ……仕方ないわね。でも、マスターだけの時はこっちでもいでしょ?」

「う、うん。まぁ……」

「それならいいわ。ただし、その代わり私はいつでもどこでもマスターの傍にいるから」

「う……えぇっ!?」


 思わず頷きかけて、その言葉の意味に気づいてシンジは盛大に驚く。

 そんなシンジにレンは若干不機嫌顔。

「なに、マスターは私が邪魔だとでも言うの?」

「い、いやそうじゃないけど……が、学校とかは?」

「ついていくわ」

「ネルフにも?」

「もちろん」

「エヴァには?」

「……それはさすがに遠慮しておくわ。血を吸いたいわけではないし」

 ちなみにレンはシンジから聞いていて、LCLが血液だということを知っている。


「そ、そう。……あの、変更の意志は―――」

「ないわ」


 きっぱりと言い切るレンに、逆に清々しささえ感じるシンジ。

 しばしレンを見つめて、そこに本当に変える意思がないと悟ると、シンジも諦めた。


「……わかったよ。それじゃあ、それでいこう」

「当然よ。私はマスターの使い魔なんだから、これからもずっとマスターと一緒よ」

 どこか告白じみたような言葉で―――少々頬が赤いことを鑑みると実際そうなのかもしれないが―――そう宣言するレンだが、この≪鈍感 A+≫のシンジにはそれでは通じない。


「うん、レンは使い魔としていつも頑張ってくれてるからね。ありがとう」

 言葉どおりに使い魔としてとしか捉えていないシンジ。マスターのそんな心理を正しく理解したレンは、不満げにわずかに頬を膨らませる。

 よく判らないながらも、なだめるようにシンジはレンの頭をなで、苦笑する。

「……それじゃ、今日はもう寝ることにするよ。レンも寝るよね?」

「ええ。もちろんマスターと一緒にね」


 その言葉に、ひく、と唇の端が引きつる。

「そ、それはちょっと……」

「大丈夫よ。猫になるから」

 そう言って次の瞬間には白い猫になる。ここまで実行したとなると、レンにもう引くつもりがないことは経験から知っていた。

「はぁ、わかったよ。それじゃ一緒に寝よう」

『ええ』

 頭の中に響く声に頷き、シンジはベッドに入る。レンもそれに続き、シンジの胸の辺りに頬を摺り寄せて眼を閉じた。

 そんなレンの頭をなでながら、シンジはひとつため息をつく。



(……言い訳、考えつかないや)



 監視カメラとレンのことをどう話そうかと考えるうちに、シンジは眠りへと落ちていった。





















―――To Be Continued


−あとがき−

ちょっと解説(?)


・第三魔法“天の杯(ヘブンズ・フィール)”
 現存する五つの魔法のうちのひとつで、『魂の物質化』のこと。
 簡単に言ってしまえば、死者蘇生。しかし、魂の物質化とは、死者蘇生に限られたものではない。
 現在は使用者なし。魔術の大家、アインツベルンが千年もの間求め続けているもの。


 と、これからが本当のあとがきです。
 第二話更新です。ようやく綾波さんとの再会です。一話にしようかとも思っていたんですけど、これでいいかなと思います。
 ……さて、魔眼は素直に話しました。さらに、レンもパートナーとしてつけました。死徒側もなんかきなくさいです。
 最後までの構成は頭の中にあるのですが……これ、ちゃんと終わるだろうか……^^;
 ま、まぁどうかこれからもよろしくお願いします。

 あ、あとシンジ君の能力とかも考えているんですが……とりあえず、保留で。
 もし知りたい方がいましたら、次回ででも公開するかもしれません〜w