EVA −Under the Glass MOON−










1/使徒、襲来











『―――本日12時30分、東海地方を中心とした、関東地方全域に特別非常事態宣言が発令されました。住民の方々は速やかに指定のシェルターに避難してください……』



 あたりに響くスピーカーの声。しかしその声を聞くものは一人もおらず、駅の周辺も街も、悉く無人。二度目となる避難勧告を聞きながら、シンジはちらりと腕時計に目を落とした。


 外見上は普通の腕時計だが、実はこれは抗魔効果を持つ魔術具だったりする。師父から十二の誕生日にもらったものだった。といっても一般的な魔術師の攻撃ぐらいなら無効化する程度で、師父やブルーさんには全然無意味な礼装だったが。

 それで、時計に目を落として先ほどスピーカーから聞こえてきた時間と照らし合わせる。寸分たがわず合っている。

 ちなみに、今のシンジの格好はかつての学生服姿である。もちろん普段の格好は違うのだが、ゼルレッチがわざわざ手に入れてきたのだ。

 まぁ、過去の戒めという意味だろう、と無理やり前向きに納得し、こうして懐かしい制服に袖を通しているわけである。


 シンジは続いて、あたりを見回してみる。人影なし。当然、車の影もなし。


「まぁ、来るとは思ってなかったけどね……」


 はぁ、とため息をひとつ。とりあえず今回は同居は勘弁して欲しいなぁ、と切に願うシンジ。

 あの赤い世界で、ミサトの思いを知った。本心ではないとしても、自分たちを復讐の駒としたことは紛れもない事実だ。前と同じように接する自信はシンジにはなかった。

(そうだ。確か、前はあそこのあたりに……)

 公衆電話の前から少し視線をずらす。すると、そこにはやはり誰よりも大切な彼女の姿があった。



「綾波……」



 必ず、助けてみせる。

 そう陽炎に誓い、シンジはその姿が掻き消えるまで眺め続けていた。



 反対方向から、炸裂音。振り返り、山の向こうに目を向ける。かすかに聞こえてくる駆動音。ババババ、という独特の音と共に国連軍のVTOLが姿を現した。



 そして、第三使徒サキエルの姿も。



「使徒を肉眼で確認、か……」


 呟いた直後、VTOLがサキエルの攻撃によって飛散する。その際の爆風がシンジを直撃しようかというその時。



「ATフィールド」



 囁くようにその声が宙に舞い、ごく薄い膜がシンジの前に形成される。しかし、こちらに接近する影に気づいたシンジはすぐさまATフィールドを解除した。

 悲鳴のごときブレーキ音を響かせて飛び出してきたのは、青いスポーツカー・ルノー。爆風はその車に遮られてシンジには届かなかった。



「お待たせっ!」


 言葉と同時に開かれた扉。すぐさまシンジは身体を車内に滑り込ませ、数秒のロスもなく青い車はその場をあとにした。


「葛城ミサトさん、ですよね?」

「ええ。碇シンジくんで間違いないわね?」

「はい」

 法定速度の二倍近いスピードで街中を疾走するルノー。その車内でミサトにとっては初めての、シンジにとっては二回目の邂逅をそれぞれ果たした。



「ところで、VTOLが離れていくんですけど、あれはどうしたんでしょうか」

「え!?」


 慌ててミサトは双眼鏡で使徒がいるであろう方向を見る。そこには確かに航空部隊が撤退している様子が写し出されていた。


「まさか、N2地雷を使うつもり!? 伏せて、シンジ君!」


(やっぱりこうなるのか)


 予想通りとはいえ、ここまで経験のままに進むと恐ろしくもある。

 とりあえず、目下は今の状況か。


(窃盗はよくないと思うし、ここは仕方ないか)


 ちらりとミサトを盗み見、こちらに注意を向けていないことを確認。そして、気づかれないように自身を変革させる言葉をつぶやく。




  セット アップ
「回路、起動―――」




 言葉と同時に開かれる自身の魔術回路。魔術の才はお世辞にもあるとはいえないが、かの魔道元帥に鍛えられたという自負がある。

 十二本ある碇シンジの魔術回路。それらを用いて、魔術師としての己を呼び起こす――!


(あれを防ぐ規模のATフィールドはMAGIに気づかれる可能性がある。だから……)


 使うのは、魔術が望ましい。



      防 御 展 開
「―――Set,Defender」




 一小節で神秘を組む。爆風はルノーを包むように現れた防壁に阻まれて四方へと流れていく。

 結果、そこには無傷のスポーツカーが停車していた。


「葛城さん、どうやら上手く爆風が逸れてくれたみたいですよ」


「……え?」

 伏せて衝撃に備えていたミサトは顔を上げ、周囲を確かめる。確かに爆風の影響はあるようだが、この車には被害が及んでいないようだった。


「……ラッキー、だったの? まぁいいわ。それじゃあ飛ばすわよシンジ君!」


 その切り替えの早さは美徳の一つでもあるのだろうが、明らかにどこかおかしい現状に何も言わないことはどうかと思うシンジ。


「あ、そうそう。私のことはミサトでいいわよ」


「……わかりました、ミサトさん」







                             □








「……現時刻をもって本作戦の指揮権を特務機関ネルフに委譲する」


 巨大なスクリーンに映し出されている映像。頼みの綱のN2も大きな効果を見せることはなく、自己修復中のサキエル。その異様な姿を睨むように見つめながら、国連軍将校は憎々しげに口にした。


「わかりました」


 それに対して落ち着いた様子で答えるサングラスと濃い髭が特徴の男。特務機関ネルフ総司令碇ゲンドウは顔の前で手を組み、威圧するようにそこに座っている。


「我々、国連軍の兵器では目標に対し有効な手段がないことは認めよう。しかし、君たちなら勝てるのかね?」


 挑むような声音も、ゲンドウに変化を与えることはない。ただ彼は、くいっとサングラスを押し上げて、


「ご心配なく。その為のネルフです」


 当然のようにそう告げた。







                             □








 街を走る青い車。その車内で、ミサトは小さな違和感をシンジに感じていた。


(報告書とはなんだか違うわね。落ち着いてるし、内向的ってわけでもなさそうだし……)


 内向的で、人の言うことには抵抗することなく従う主体性のない少年。それが報告書にあった碇シンジの人格の全てだ。

 だが、目の前のシンジはどうだ。慌てることなく、さっきミサトが渡した資料を読んでいる。交換するように受け取ったネルフ司令でもある父親からの手紙は、ただ『来い』の一言。だというのに、そのことに対する文句も言わない。というより、気にしていないように見える。

 およそ十年ぶりの父親からの接触。もう少し動きがあってもいいんじゃないだろうか、と他人事ながらミサトはシンジの性格を憂えた。



「……ねぇ、シンジ君。お父さんの仕事、知ってる?」



 だから、こっちから話題を振ろうとミサトは口を開いた。


「『人類を守る立派なお仕事』と聞いていますよ。まったく、父親が正義の味方なら子供が喜ぶとでも思ったんですかね、あの髭は。いまさら夢見る年齢でもあるまいし」


 しかし返ってきたのはなかなかに辛辣なお言葉。カワイイと表現できるほどに整った顔に据えられた口から飛び出してきたセリフに、ミサトはわずかに固まった。


「け、結構キツイわね。お父さんのこと、嫌いなの?」


 ほんの少し、自分と比べる意味も含めての問いかけを投げかける。


 シンジもそれは察しているが……なんとなく、本音を言ってみようか、と不意に思った。



「別に、好きでも嫌いでもありません。ただ、家族を守る父親のほうが父親として好ましいだけです」



 これは紛れもない本音。もしゲンドウが自分をもう少しでも省みてくれていれば、きっとあんな世界は生まれなかっただろう、という、かつてありえなかった希望。


「……そう」


 何か感じ入るところがあったのか、ミサトはそれ以上何も言ってこなかった。シンジも特に答える気はなく、ジオフロントまで静かなドライブが続いていく。








                             □









「……迷いましたね」


「ち、違うわよ! ちょっと道を忘れただけじゃない!」


 人、それを迷子という。

 ネルフ本部内。見事なまでにミサトは道に迷い、シンジはため息と先ほどの言葉を宙に吐き出した。


「迷いましたね?」


「だ、だから……」


「迷いましたね?」


「えっと………」


「………………」


「………………ゴミンナサイ」


 くずおれるように肩を落とすミサト。やれやれ、とシンジは肩をすくめる。相変わらずなかつての保護者代理に苦笑する。元の世界とは違う世界だというのに、ここまで同じだなんて、まったく。



 ―――まったく、なんて得がたいんだろう、この世界は。



 復讐のために利用していた。使徒を倒すために、近づいてきた。けれど、家族として笑い合った時があったことは、決して嘘ではない。その時は確かにあったのだ。

 本当に得がたい。またこうしてかつての人たちを見れる。話せる嬉しさ。このかつて共に過ごした人と再び出会えた得がたさ。


 ああ、まったく。



「……しょうがない人だなぁ、ミサトさんは」




 つい、口元が緩むほどに、なんて得がたい世界―――。




「―――……」


 突然の優しげな、穏やかな声。その声に誘われて顔を上げると、そこには、シンジのこれ以上ないというほどの、笑顔。


(なんて顔で笑うの、この子……)


 それは今まで見たどの笑顔よりも綺麗で、儚げなものだった。そう、それはまるでガラスのような。
 そして、見下されたようなセリフであったのに、どこか温かい気持ちになれる、声。


(綺麗な子よね、やっぱり)


 整った顔だけじゃない。きっと、彼の素晴らしさはもっと違うところ。

 この子を、これから自分は戦場に出そうとしている。それも、自分勝手な理由で―――。


「さっき案内板がありましたよ。そこまで戻って確かめましょう」


 シンジの言葉にはっと我に帰るミサト。いけない、と頭を振って、今はその考えにふたをする。

 いつか、ふたを開くときが来るのか。それは今はまだわからない。

 ただ……


(学校が始まったら、絶対にモテモテねシンジ君)


 こういうところはきっと、ふたをしても意味がないミサトの本質なのだろう。








                             □









「……国連軍はお手上げのようだ。どうする、碇?」


 白髪をオールバックにした老人、ネルフ副司令冬月コウゾウが自らの傍にたたずむゲンドウに問いかける。

 返ってきたのは、変わらない簡潔な答え。


「……初号機を起動させる」


「何、初号機をか? だが、パイロットがいないぞ!」


 綾波レイは重傷を負って戦闘に耐えられるような状態ではない。それを思っての冬月の忠告に、ゲンドウはわずかに唇の端を歪ませて手元のモニターに目を向ける。

 そこには、どこか今は会えない妻、碇ユイに似た面影を持つ少年が映っている。


「問題ない。たった今、予備が届いた」


 計画のために捨てたとはいえ、実の息子を予備呼ばわりをするゲンドウに、冬月はわずかに眉を歪め、しかし何も言うことなくひとつため息をついた。








                             □









「少し遅刻よ、葛城一尉。まぁ、普段のあなたから考えれば随分な進歩だけど」


「リ、リツコ!」


「ぷっ」


 しごく真面目な顔でのたまうリツコに、ミサトは咎めるように制す声を出し、シンジは思わず吹き出す。


「シンジ君! 何も笑うことはないでしょう!」


 どこか頬を紅潮させてミサトは矛先をシンジに向けた。

 変わらず、シンジはわずかに肩を震わせている。


「だ、だって……確かにさっきまでミサトさん迷ってたじゃないですか。しょうがないですって」


 言って、小さく笑う。それを最後にどうやら笑いは収まったようだ。

 あとに残ったのは、むっとしてシンジを睨むミサトと、疑惑のまなざしを向けるリツコの二人だった。


「……あなたがサードチルドレンの碇シンジ君ね。私はネルフの技術部部長赤木リツコ。リツコでいいわ」


「はい。よろしくお願いします、リツコさん」


「……早速だけど、あなたに見てもらいたいものがあるの。付いてきてくれないかしら?」


 警戒を隠すでもなく含んだ言葉に、シンジは二つ返事で了承した。これから向かうのは確実に初号機の収められたケイジ。前を歩く二人について、シンジはゆっくりと歩み始めた。



 そしてケイジへと向かうその道すがら、例のごとくミサトとリツコは小声で話し始める。


「……報告書と性格が違うように思えるけど、あなたはどう思うミサト?」


「私も、違うとは思うけど。暗いよりはいいじゃない。顔もかわいいし」


 最後の一言に違う種類の不安を感じるが、リツコは予想通りの親友の返答にやはり呆れて息をつく。

 ネルフの監査部もバカではない。サードチルドレンは確かに報告書どおりの性格であるはずなのだ。

 なのに、そうであるべきものがそうでないこの矛盾。

 偽装工作、あるいは擬態を行っていたと考えるのは自然であり、ならばそこに何らかの意思があったであろうことは当然である。

 それがネルフにとって良い意味か悪い意味かはわからない。しかし、ネルフに対して隠している時点で、こちらに益になるとは思えない。

 警戒して余りあるというのに、この親友はどうしてこうもお気楽なのか……。


「それより、アレちゃんと動くの?」


 話題と共に変わるミサトの表情。真剣な面持ちに、リツコもとりあえずその問題は棚上げにする。


「ええ。起動確率0.000000001%。オーナインシステムとはよく言ったものね」


「……それって、動かないんじゃない?」


「あら、ゼロではないわよ」


 というより、起動するのは間違いない。あの檻の中には彼女がいて、その息子が檻の中の彼女に会いに行くのだから。

 口に出すことはせず、そう胸中で呟き、彼ら三人はケイジの前へと辿り着いた。









                             □









 暗い部屋に光が灯る。夜に太陽が昇ったかのような閃光の中、いまシンジの目の前に佇むのは、


「これが人の造り出した究極の汎用人型決戦兵器」


 第二使徒リリスの忠実なコピー。数あるエヴァシリーズの中でもっとも使徒に近き、禍々しくも美しい紫の巨人。


「人造人間―――」


 かつて生命の競争戦争の戦場を駆けた彼の相棒。





 ―――だから、その名前は僕が呼ぼう。






「……エヴァンゲリオン」






 それが、目の前の巨人の名前だった。






「ッ!? あなた―――!」


 言うはずの言葉は目の前の少年が持っていった。その、知るはずのない名前を確かに言霊に乗せて。

 警戒どころではない。危険だ。現在世界でもっとも情報の秘匿が行われているこの特務機関において、その最重要事項の関連情報が漏れるなどありえない。

 本来この少年にそれを知る術はない。ならば、それを知ることの出来る何かがあると確信する。

 ミサトもさすがにその異常性がわからぬほど馬鹿ではない。一気に警戒レベルを引き上げ、銃を収めたホルスターに手を添える。



 それを横目で見るシンジ。当然、かつて経験したシンジはこのおかしさを誰よりも知っている。だが、問題はない。前回は忘れていただけだ。


 幼い頃、ここに来てこの巨人との邂逅を果たしていたことを。


 今回はそのことを知っていた。だから話した。この程度ならば、この後の対応を誤らねば大きく変化することはありえない。

 だから、安心して口にした。



「知ってますよ、リツコさん。僕は昔に一度、ここに来たことがありますから」


「っ! ……お、覚えているの?」


 リツコの信じられないという顔と声。けど、当時シンジは三歳。三歳の頃の印象深い出来事を、大人になっても覚えているというのはありえない話ではない。

 呆然とするリツコと納得顔のミサト。そして変わらずリラックスしたシンジのもとに、




「……シンジ」



 低く重い声が届いた。




「父さん……」




 シンジのゲンドウを見る目は複雑だった。かつて自分は利用され、傷つけられ、裏切られ、そして心は砕かれた。実際、恨み、憎んだことは数え切れないほどある。大元は確かにシンジの実父碇ゲンドウなのだから。

 そう、憎んだこともある。……だが、シンジは全ての記憶を持っている。


 その時に知った、ゲンドウの心。


 愛される自分が信じられない。愛してもらえるわけがない。自らを分けた子、しかしどう接したらいいのかわからない。けれど、嫌われたくはない。

 だから、シンジを捨てた。そして、自分の子ではないただの他人なら、嫌われることには慣れている、と考え、シンジのことをことさら道具のように扱った。

 そうして、安らぎを生来持たなかった男は、その人生で唯一人、心から自分を見てくれていると信じられた妻を求めた。


 ―――すまなかった、という言葉は、全て終わったという言葉と同義だったのだ。


 だから、シンジにとってのゲンドウは、自分の合わせ鏡。逃げ続けた自分そのもの。驚くほどに似ているシンジとゲンドウ。外見はユイに似たが、内面は疑うことなくゲンドウの影響を受けていた。

 ああ、なんだ。自分はやっぱりゲンドウの子だ。そう思ったことがおかしくて、シンジはくすりと笑みを漏らした。




「―――シンジ。お前がこれに乗るんだ」


「……父さん」


「乗らないのならお前に価値などない」


「父さん」


「乗るなら早くしろ。でなければ―――」


「父さん!」



 叫ぶ声。


 ケイジはしんと静まり返り、その場にいたものの意識は全て、シンジへと向いていた。


「……乗るよ。あの時の事故を思うと不安だけど。それに、僕には守りたい人たちもいるから」


「―――! シンジ、お前は」


「覚えてるよ、父さん。僕はこれでも、天才碇ユイと……あなたの子供なんだ。自分で言うのは何だけど、一般基準より知能レベルも高いよ。だから、知ってる。これが兵器っていうのは知らなかったけどさ」


 巨人を見上げる。その目はどこか遠くを映すように、目は細められていた。




 対してゲンドウは困惑していた。乗ると答えたこともそうなら、十年前のことを覚えていることも予想外だ。

 それに、自分に恐怖を抱いていないようにも見える。シナリオに響くほどの事態ではない。だが、従順な存在とはならないかもしれない。そうなると危険な因子は早く摘むに限る。

 わずかな思案。そして、ゲンドウは口を開く。



「……そうか。赤木博士に説明を受けろ」



 それだけを告げて背中を向ける。何も行動を起こさない折衷案。それが今の答え。

 そうだ、あせる必要はない。今は様子見。今後こちらに不利益な行動を起こした時に処分すればいい話だ。今はまだ、シンジの存在は必要なものだ。

 そう言い聞かせて退室しようとしたところに、




「父さん」




 声が、投げられる。

 振り向くことはしない。




「母さんは、きっと幸せだったよ」




 いや、ユイは生きている。死んだわけではない。そうとは知らない子供の自己満足の言葉でしかない。生きている。そして、再会するために自分は今ここにいる。そのための覚悟もある。


 だというのに。




 その言葉が、抉るように心の隙間に突き刺さった。




「………………」



 何もその口は発することなく、ゲンドウは静かにその部屋をあとにした。見上げる格好だったシンジは視線を戻し、


「リツコさん、お願いします」


 と、赤木リツコに頭を下げた。


「……ええ。それじゃあ、色々と簡単な説明をしてしまいましょう」


 そう言って準備をするのだろう、移動する。それについて歩きながら、ふとシンジは思った。


(綾波、会えなかったなぁ)


 呼ばれる前にゲンドウの台詞を遮ったために、レイが呼ばれることはなかった。しかしあの重傷で動かすことはシンジとしても喜ばしいことでは決してない。そう思ってはいるのだが、早く会いたいという気持ちもまた本当なわけで。


 結局のところ、


(会いたいなぁ)


 それだけにつきるのだった。















「いい? 使徒はここを目指している。そしてサードインパクトを起こそうとしている。セカンドインパクトの真実は今話したとおりよ。それを防ぐために私たちはこうしてここにいる。エヴァンゲリオンはその最終兵器」



 そんな話を簡潔に聞き、次いで操作の説明に入る。操縦方法は思考コントロール。イメージすればそのように動くということだ。エントリープラグの中、とりあえずそんな簡単な説明だけで、シンジは戦場へと誘われる。


『第一次接続開始』

『エントリープラグ注水』


 通信と同時に、オレンジ色の液体がせり上がってくる。当然その液体の正体をシンジは知っているが、一応尋ねておくことにした。


「僕、泳げないんですけど、大丈夫なんですかコレ?」


 問いかけにはリツコが答えた。


『それはLCL。肺に満たされれば、それが直接血液に酸素を取り込んでくれるわ』


「わかりました」


 死徒じゃなくてよかった、とシンジは思った。これも一応は流水だ。もし死徒になっていたら悶絶ものの苦しみを味わっているところだ。


(アルト姉さんのお誘いは、断っておいて正解だった……)


 脳裏に浮かぶ黒き月姫。ゼルレッチに連れられた先で出会った死徒の姫君アルトルージュ・ブリュンスタッド。シンジを気に入り、お姉ちゃんと呼ぶようにと強要してくる二十七祖第九位は、それはもうシンジのことを可愛がっていた。もう手放したくない、というぐらいに。

 その結果が、「私の死徒にならない?」である。既に使徒なので、と妙な断り方をしながらあの手この手でかわし続けて早四年。その努力は無駄ではなかった。

 思わず天を仰ぎ、小さな達成感を感じるシンジだった。



『? シンジ君、どうしたの?』


 しかしその様子は当然発令所にも流れているわけで。ミサトはシンジが突然上を向いて満足げな顔をしたので、訝しんだようだった。


「あ、いえいえ、なんでも。ただ、血の味がするんですね、これ」


『我慢しなさい! 男の子でしょう』


「男だから血は得意ってわけじゃないでしょう……」


 呆れるような声音で言われ、ミサトは思わずうっと詰まった。至極当然。血を好むなんて吸血鬼じゃあるまいし。人間なら苦手意識を持って当たり前である。


『主電源接続』

『第二次コンタクトに入ります』

『A-10神経接続異常無し』


 その間にも起動シークエンスは滞りなく進―――


『起動境界線―――えっ、そんなっ!?』


 んでいたが、唐突にそれが止まる。

 この非常時に、という焦燥もあってリツコの声も自然鋭くなる。


「マヤ! どうしてそこで止まるの、早く報告なさい!」


 叱責の声に、マヤと呼ばれたオペレーターは戸惑いながらも口にし損ねたその続きを言葉にする。



「し、シンクロ率99.89%で安定。ハーモニクス全て正常で誤差±0.01%未満、エヴァンゲリオン初号機起動しました!」



「な、なんですって!?」


 エヴァンゲリオンの起動におけるシンクロ理論限界値。それを初めての搭乗で叩き出すなど、容認できることではない。いくらエヴァの存在を知っていて理解があったとしても、そこまで飛躍的な向上はありえない。

 ハーモニクスも全て異常無し。それはつまり、初号機をシンジが現実で身体を動かすように滑らかに動かすことが出来るということである。しかし、あれほどの巨体で人間と同じ感覚で体を動かせば、それだけでかなりの風や衝撃が生まれる。それは確かに大きな利点で武器であるが、現段階でそこまでの戦闘力を持つなど想定外もいいところだ。


 ただでさえ、この初号機は特別だというのに。


 リツコの驚愕、懸念を置いて、シークエンスは進んでいく。


『一番から十五番まで安全装置解除確認』

『内部電源充電完了』

『外部電源コンセント異常無し』

『エヴァ初号機、射出口へ』

『ゲートスタンバイ』

『進路クリア、オールグリーン』

『発進準備完了』


 シークエンスが終わる。あとはただ一言あれば、人類最後の切り札は、初めて世に出されることになるだろう。


 それを発する作戦部長は、オペレーターの声を聞いて頷く。


「司令、構いませんね?」


「ああ。使徒を倒さぬ限り、我々に未来はない」


 いつものように顔の前で手を組み、倣岸ともいえる態度のままゲンドウはそう告げる。

 その言葉を聞き届け、ミサトはその言葉を発する。




「エヴァ初号機、発進!」
















 Gがかかる。

 シンジは使徒であるが、怪しまれないために一応身体の構成情報は人間と同じにしてある。シンジは第十八使徒リリン。もとは人間である以上、それはさほど難しいことではなかった。

 しかし、そうなると身体の強度も人間と同じになるわけで。


「くっ」


 Gの強さに声を漏らしたのも、仕方のないことだった。


 ガコン!


 紫の体躯に光を照らして初号機が地上に姿を現す。

 顔を上げると、目の前には穴が二つ開いただけの仮面といった感じの顔をつけた初号機と同じサイズの存在。


 第三使徒サキエルがいた。


(……僕たちと同じ存在。……兄弟たち)



 個としての兄弟ではない。種としての兄弟。

 単体として完成された可能性の一つというだけで、同じ使徒であることに違いはない。ただ、彼らには知恵の実の恩恵がない。知性が皆無なのだ。

 あるのは本能とそれに付随する学習能力。だからこそ彼らは本能に従いアダムを求める。もっとも早くに生命を持ったゆえに最も高い能力を持つ使徒。それへと回帰することによって、自分こそが生き残るために。


 だが、それを許す気などシンジにはない。


 使徒の存在を知った時こそ、兄弟を殺すことは忍びないと悩んだものだが、今はそんな悩みなど押し殺す。


 この身は魔術師……いや、魔術使い。シンジは魔術師のように自己以外の他を省みないことなど出来ない。なぜなら、自分以外に大切に思う存在が大勢いるから。


 ゆえに、碇シンジは魔術師ではない。手段として魔術を用い、決して目的としない魔術使い。皆を守るという目的のためにこそ、シンジは力を行使する。


 この戦いは生存競争と同じだ。かつて、クロマニョン人がネアンデルタール人を排除したように、自然と生まれる種族闘争。ここで何とかしなければ、必ずその存在はシンジの大切な人たちに危害を及ぼす。


 ならばこそ、殺す。もとより本能で生きる他の使徒たちとは共生できない。だからこそ、殺す。


 殺すというその結果は、もはや覆らぬ決定事項。




 ならばせめて―――。




『シンジ君、まずは歩くことだけ考えて』


 リツコが初めてエヴァに乗るシンジに指示を与える。

 しかし、シンジは無反応。


『シンジ君? 聞い―――』


 てるの、と続くはずだった声は、遮られる。押し殺したシンジの声によって。






「―――契約しよう」





 そう、初めから殺すは必定。

 ならばせめて―――、




「君は、抵抗する間もなく、思考する間もなく」




 その結果は、決して避けられぬもの。

 ならばせめて―――、




「僕が、殺す」




 一思いに、殺しきろう。この、蒼い死神の眼を以って。









                             □









『し、シンジ君の眼の色が……』


「黒から、青へ……?」


 言葉と共に、透き通った蒼天のような青に変化したシンジの眼に、マヤが動揺した声を出す。

 リツコも、人の目が突然変色するという事態に驚きを隠せない。

 シンジの家系に過去外国系の血が入った記録はない。古くからの名家であった碇家は、外国の血を入れることを好ましく思わなかった。ゲンドウの側も、四代前までは日本人である確認が取れている。

 それゆえの謎。シンジに、先祖帰りによる瞳の変化の可能性など欠片もないのである。


「ち、ちょっとリツコ。あれ、なんなの?」


 最も落ち着いて戦場に臨むべき指揮官でさえ、狼狽している。まぁ、このことは彼女の元来の気質も関係しているのかもしれないが。

「……わからないわ。猫のような瞳の変化は人間にはない機能だもの。一体、どういうことなの……」


 理解できない、とばかりに眉根を寄せるリツコに、ミサトもリツコに説明を求めるのは諦めてモニターに視線を戻す。

 そこには、蒼い眼で変わらず使徒を見据えるシンジの姿がある。






「……碇。シンジ君に、あんな体質があったのか?」


「……ないはずだ」


 冬月とゲンドウも同じく困惑している。


 これがレイのような赤目、もしくは目ではなく身体的な変化などなら、ゼーレや他組織の介入による改造も懸念されるのだが、眼の色の変化だけなど何の意味もない。

 それよりも生来の体質といったほうがしっくりくる。

 シンジが知っていると思われる内容も、彼が知っていてもおかしくないものばかり。十年前の記憶には驚かされたが、初号機の役割については知らないようだった。もちろん、シンジの言を信じればだが。


「……監視を増やし、今後の経過を見る」


「それが得策だろう。それにしても、あの冷静な顔……」


 睨むでもなく、嘲るでもなく、使徒をただ捉えるその瞳。その姿を見やり、冬月は言う。


「本当に殺すという行為が出来そうだ。あの圧迫感のある言葉といい……少し尋問する必要もあるかもな」


「ああ」


 ネルフのトップに君臨する二人は、そうしてシンジの戦いを観戦する。









『武器はありますか?』


 発令所にシンジの声が響く。先程のプレッシャーはその声の中にはなく、まだ少し高音の残る、少年らしい声だった。


「―――あ、え……と、肩のウエポンラックにナイフ、プログレッシブナイフがあります。こちらもイメージによる操作で取り出せるようになっています」


 慌てたようにマヤが答える。シンジはそのマヤの様子にわずかに微笑み、ありがとうございます、と礼を述べる。

 そして、ウエポンラックからプログレッシブナイフを取り出したところで、リツコからの声がかかる。


「シンジ君」


『リツコさん? はい、なんでしょう』


「その眼のこと、あなたは知っているの?」


『この魔眼ですか? はい、もちろん』


 魔眼、というあの目のことを指すのだろう固有名詞にリツコはわずかに眉を上げる。


「……あとで、聞きたいことがあるわ」


『わかりました。でも今は、何よりも―――』


 シンジは発令所に向けていた意識を再び戦場に戻す。

 サキエルは、変わらずそこにいる。




『アイツを、殺す』




 そして、シンジは動く。







                             □







 一瞬だった。

 消えたと思った次の瞬間には、初号機の姿はサキエルのほぼ真下。さらに次の瞬間―――、



 トン。



 初号機の腕が真っ直ぐに振り上げられ、気の抜けるようなその音と共にナイフは使徒の硬質に見える赤いコアを貫いていた。


 使徒は、反応すらしなかった。



「言っただろう、抵抗する間もなく、思考する間もなく、殺すと」



 言葉と同時に、使徒の身体はボフッという音と共に灰となり、痕跡すら残さず霧散していった。

 発令所は声もない。人類初の対使徒戦は、これ以上ないほどの圧勝で幕を閉じた。



「魂までは殺していない。……君に、来世での幸福があるように」



 最後の言葉だけは紛れもなく、碇シンジの本心だった。




















―――To Be Continued


−あとがき−

やっぱり、一回ぐらいアッサリ倒してみたかったんですよ〜。
そういうのも、まぁいいかな〜と^^

とりあえず、EVA‐UGM‐第1話です。
今回は第三使徒撃退までです。少しずつシンジの四年間も書いていきたいですね。
ってゆーか、シンジの過去話で外伝書きたいかもw
もし何かそれに関して意見があったら、拍手とかでどうぞよろしく。
あ、感想ももちろんお待ちしていますよ〜。